第29話

「この度は素晴らしい祝いの品をいただき、誠にありがとうございました」


 皇帝に挨拶を済ませ、周りに集まる貴族達と穏やかに会話をしているアディエルとカイエンを、じっと物陰から見ている者がいた。


 ヒルシェールだ。


 薄青の巻服ドロープを纏うアディエルは、いつもよりその美しい黒髪が一際鮮やかに映えていた。

 ふと視線を上げたアディエルがヒルシェールを見つけると、フワリと微笑み、隣のカイエンに何かを囁いたあと、こちらに向かってきたのだ。


「お久しぶりでございます。ヒルシェール皇弟殿下。以前、お教えいだきました薬草の繁殖方法。無事に我が国でも殖やせることが確認出来ましたわ。貴重なお話をお教え頂き、誠にありがとうございます」


 以前と同じ変わらぬ様子で笑いかけてくれるアディエルに、ヒルシェールはその足元に縋り付きたくなるほどに感動した。


 家族以外でアディエルだけが、彼を外見ではなく内面で判断してくれる。

 それが彼にとってどれほど欲しかったことか、誰にも分かるまい。


 皇国の広間は、中央で話し合うスペースがあり、それを見下ろすように数段高い壁際全てに無数の場所がある。

 それぞれの身分に応じて、決められた場所があるのだが、話したい者同士が招かれた場所、または話したい者がいる場所へと移動する。

 ヒルシェールがいたのも、皇族用に用意されている場所の一つだった。


「……アディエル嬢。よろしければ、こちらに座られて話しませんか?」


 ほんの少しの期待を乗せて、口を開いた。


「…申し訳ございません。先にあちらでお約束がございまして。今後の交易のことになりますので、ご容赦くださいませ」


 頭を下げて去っていくアディエルの行き先を見やり、ヒルシェールは眉をひそめた。

 アディエルの向かう席には侯爵家の女がいた。


 エマール・カシュー。

 宰相であるカシュー侯爵の娘の一人だ。

 砂色の髪をひとつに纏めあげ、銀の簪を刺し、髪と同じ色合いの細いツリ目がこちらを向いていた。


 ヒルシェールはことある事に、自分に文句を言ってくる彼女が嫌いだった。


『ヒルシェール殿下!もう少し運動なさってはいかがかしら?』


『皇弟殿下ともあろう方が、そのような物ばかりお召し上がるだなんて…』


 ヒソヒソと影で言われるのも辛いが、面と向かってハッキリ文句を言ってくる彼女のことも辛かった。


 幼い頃は、自分に懐いていたのだが、いつからあんなキツく可愛げのない性格になったものかと溜息をついた。


 しかし、カシュー侯爵家と交易をすると言ったが、侯爵家が商売を始めるなど聞いてはいないと思いながら、エマールと話しているアディエルに視線を向けた。


 何やら怒っているようなエマールを、苦笑しつつもアディエルが宥めているようだ。

 あの娘エマールは、客人にもあの口調で話しているのだろうか?


 一抹の不安を覚えつつも、ヒルシェールはアディエルに視線を向けていた。

 そんな彼を見ている無数の視線に気付かぬままにーーーー。


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