第二ボタン

スーパーボロンボロンアカデミィー

第二ボタン


 俺の家の近くにある、止まれの標識。


 彼はそこでいつものように俺のことを待っていた。



「……はよ、良平。」

「おはよ。」

「……行こうぜ。」

「ああ。」



 いつもと同じやりとりをして、いつもと同じ通学路をふたり並んで歩く。


 いつもどおり。なにも変わらない日常。

 そのはずなのに、心なしか良平は少し寂しそうな顔をしているように見えた。


 きっと、俺も同じような顔をしているんだろう。


 だって、こうして俺たちがふたりで一緒に学校へ行くことができるのは、これが最後だから。


 良平。俺の幼なじみ。

 小学校からいままで、ずっと一緒だった。


 ずっと一緒だったのに、俺たちは明日からばらばらの人生を歩むことになる。

 

 それが、さみしくて、もどかしいんだ。



「…………。」

「…………。」



 お互いに、なにも言わない。


 もともと良平は口数の多いほうじゃないから、いつもおしゃべりな俺ばっかりが話していた。

 

 俺がたわいもないことを話して、良平がそれに適当に相槌を打って。


 側から見たら、くだらないことだと思う。


 でも、俺は、そんな時間が好きだった。



「あ、あのさ。」

「……なんだよ。」

「……え〜と。」



 そんな時間も、今日が最後だ。

 だから、なにか話さないと。

 

 そう思って、良平に話を振ってみる。

 けれど、言葉が出てこない。


 いつもだったら、考えることはしなくても次から次へとなにか話題が出てくるのに。



「だ、第二ボタンの伝説って、知ってるか?」

「……まあ、なんとなくはな。」



 足りない頭から一生懸命絞り出した話題は、よりにもよってそれだった。


 第二ボタンの伝説。

 

 卒業式の日に、好きな人の第二ボタンをもらうと、両思いになれるとかいう、有名なジンクスだ。


 心臓にいちばん近いところにあるから、第二ボタンは心臓……。いわば、心の代わりなんだとか。


 だから、第二ボタンをだれかにあげるということは、自分の心を渡すということと、一緒なんだ。



「良平はモテるからな〜。欲しいと思ってる女、いっぱいいると思うぜ。」

「バカらしい。そんな奴らにあげるくらいなら、お前にあげるよ。」



 良平は、興味がなさそうな感じでそう言った。


 良平はそんなつもりで言ったんじゃない。

 そんなこと、分かっているのに。


 その言葉で、胸の奥が少しだけざわめいた。

 

 もしかしたら、なんて。

 俺はバカみたいに期待をしている。


 そんなこと、あるはずがないのに。



「マジ?ラッキー!じゃあ良平の第二ボタン、俺が予約な!」

「ハァ……?俺の第二ボタンなんてなんの価値もないぞ。」

「なんかそこいらの神社のお守りよりご利益ありそうじゃん。」

「……わかったよ。まあ、訳もわからないような女にまとわりつかれるより、マシか。」

「ははっ、そうそう。」



 赤くなった顔を、笑顔でごまかした。


 うれしくて、胸が高鳴る。

 

 俺は、良平のことが、好きだから。

 だから良平の第二ボタンが欲しかった。


 良平は鈍いから、俺の気持ちになんか、気づいていないだろうけど。


 でも、それでいいんだ。

 俺と良平は親友。

 

 良平は俺のことをそう思ってくれている。

 俺だって、そう思ってる。


 大事な幼なじみ。大事な親友。


 俺たちの中にあるのは、友情。

 長い時間の中で、大切に育ててきた苗だ。


 けれど、それとは別にいつからか俺は、良平に対して新しい感情の苗を育ててしまった。


 愛情。


 この苗を、なんども枯らそうと思った。


 でも、そう思えば思うほどにそれは大きく育っていって、いつしか友情よりも大きく、強く育ってしまった。


 けれど、それを良平にわかってもらおうだなんて、思わない。


 これは、俺のエゴだから。

 この感情は、俺の中で。

 俺ひとりで枯らさなきゃいけないんだ。



「というわけで、良平の第二ボタンは俺のもんだからな!ハイエナどもに群がられても絶対阻止しろよっ!」

「……わかったよ。卒業だってのに、おまえ相変わらず能天気だな。」

「……ああ、そうだよ。」



 良平が、すこしだけ目を細めて笑った。


 そんな良平に向かって笑顔を向ける俺は、うまく笑えているだろうか。





 すすり泣く声が、あちらこちらから聞こえてくる。


 たったいま、卒業式が終わった。


 わんわんと泣く女子、男泣きをする男子。

 先生や後輩までもが、目に涙を浮かべて、空間全体がもの寂しいムードに包まれている。


 まだ、他のクラスは退場をしている途中で、体育館からは、吹奏楽部の演奏する仰げば尊しがかすかに聞こえてきて、耳に心地よかった。



「(良平、良平……。)」



 俺は、すぐに良平を探す。


 良平は俺よりも出席番号がだいぶ早いから、もうとっくに体育館から出ているはず。


 あたりを歩いて、良平を探していると、少し離れたところに人だかりができているのが見えた。


 そこに集まっているのは、女子ばかりだ。

 きっと、良平はそこにいる。


 さっき約束したとはいえ、強引な女子に良平の第二ボタンを盗られているんじゃないか。


 そう思い心配になって、俺はその人だかりに足を向けた。



「良平!」

「だ、大吾……。」



 人だかりの中心にいるであろう良平に声をかけると、疲れた声で名前を呼ばれた。


 女子の山を掻き分けて、中心にいる良平のところまでいくと、案の定良平は揉みくちゃにされていて、ぼろぼろになっていた。


 良平の髪やら顔やらはぐしゃぐしゃになっていて、制服もシワだらけだ。


 詰襟のすぐ下にある第一ボタンは、糸が千切れかかっていて、いまにも外れてしまいそうになってしまっている。



「(よかった……。)」


 

 宙ぶらりんになった第一ボタン。

 その下にあるボタンを見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。


 良平の第二ボタンは、しっかりと制服についたままだった。


 良平は俺との約束を守ってくれたんだ。


 そう思うと、胸が熱くなった。



「オラ散れ散れ。良平の第二ボタンは俺が予約してんだ。」

「ええ〜?!良平くん、本当〜?」

「本当だよ。じゃあな。」

「あばよっ!」



 俺を見るなり、ほっとした顔をする良平。

 そんな良平の手を掴んで、人ごみから抜け出す。



「大吾、どうした……?大吾っ。」



 駆け足で校門を潜り抜け、だれも追いつけないように、はやく。


 いつものコンビニ、いつもの田んぼ道。

 何回も通った道を、振り返ることなくただひたすらに駆け抜ける。


 このまま、どこまでも行ってしまいたいと思った。



「ハァ……ッ。おい。どうした急に……。」


 

 ちょうど学校と家のあいだにある河川敷までさしかかったところで、良平は俺の手を振り払う。


 全速力で走ったせいで、俺も良平も肩で息をしていて、ハアハアというふたつの荒い息遣いだけが静かな河川敷に響いている。



「大吾……?」



 背中に刺さる良平の声は、氷の刃みたいだ。

 心配そうな声色。どこか俺を宥めているような、そんな気がした。



「なあ、良平……。」

「ン……?」

「俺たち、ずっと友達だよな……?」

「なにをいまさら。そんなの当たり前だろ。」

「だよなぁ……。」



 振り向けなかった。


 いま、振り向いたら。

 俺はきっと良平に、友達以上の関係を求めてしまうだろう。


 そうしたら、俺は。

 友達と好きな人の両方を失ってしまう。


 そんなの、嫌だった。

 


「これからもずっと、友達でいてくれよな。」

「いまもこれからも、俺は大吾のこと親友だと思ってる。」

「うん……。」



 親友という言葉が、胸に痛かった。


 本当は、良平とそれ以上の関係になりたい。


 受け入れてくれなくてもいい。

 俺のこの気持ちを、良平にわかってほしい。


 好きだ。

 そう、言ってしまいたかった。



「俺もだよ。俺もそう思ってる。」



 そう言って、クルリと後ろを振り返る。


 良平は、目を伏せて寂しそうに微笑んでいる。


 俺は、そんな良平になにもかもを打ち明けたい気持ちを抑えて、へたくそな笑顔を作った。


 いま、ここで良平に好きだと言えたのなら、どんなに楽になれただろうか。


 この気持ちが悪いものだとは決して思わない。


 もしもこれが良平じゃなかったのなら。

 俺は迷わず、好きだと伝えていただろう。

 

 けれど、良平は。

 良平は、親友だから。


 今の関係を、壊してしまうのが嫌だった。

 今まで育んできた友情を。良平を、失いたくなかった。



「……そうだ。第二ボタン、くれよ。」



 だから、この恋は今日で終わりにするから。

 

 きちんとけじめをつけられるように。


 君の心の代わりに、第二ボタンを俺にください。

 


「あ、ああ……。約束だったな。」



 そう言って良平が、第二ボタンに手をかける。


 プチンという糸が切れる音とともに、第二ボタンが制服から外れた。



「はい。」

「……ありがとな。」



 良平が、第二ボタンを俺に手渡す。


 手のひらにすっぽり収まってしまうほど小さい、金色のボタン。


 そのボタンが手のひらに触れたとき、俺は切なくて泣いてしまった。



「泣くなよ。今生の別れでもあるまいし……。」

「……ごめん。……ごめんな、」



 俺の心に根づいた愛の花。


 こんなにも大きく育ってくれたのに、俺は花を咲かせてあげられなかった。


 それが、切なくて、辛かった。


 手のひらの中にある第二ボタンを強く握り締める。

 手のひらの痛みは、失った恋の痛みだ。


 でも、それでいいんだ。

 それでいいんだと、自分に言い聞かせる。



「手紙、書くよ。」

「ああ。」

「ラインも電話も沢山するし、夏には遊びに行くからな。」

「ああ。」

「だから、……いまは、一人にしてくれ。」



 心配そうな顔をする良平に、静かな声でそう言った。


 いまはこれ以上、良平と一緒にいるのが辛かった。



「わかったよ。……家帰ったら、絶対ラインしろよ。」

「ああ……。ごめんな。」



 そう言って、良平は心配そうな顔をしながらも俺を置いて先に行ってくれた。


 良平の背中が、だんだん遠くなっていく。


 姿が見えなくなるまで、俺は良平のことをずっと見つめていた。



「(さよなら……。)」



 心の中で、そう呟く。

 

 そうして俺は、良平から貰った第二ボタンを川に向かって投げ捨るんだ。


 俺の恋は、大きく弧を描いて川の中に落ちた。

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