奇麗
私は、私の人生において、初めて楽しみを見つけたのだ。有象無象には到底理解出来ぬだろうが、私は今幸せなのだ。だが、その幸せは一瞬で過ぎてしまう。彼女の喰事でのみ見られる芸術は、どうすることもできない。私は後一年程でこの大学を去ってしまう。その芸術を永遠にするには、彼女を手に入れなくてはならない。写真や絵画に収めても良いのだが、実物を見てしまった以上、劣化版を見る気など、さらさら無い。
この前は
取り敢えず、彼女に
私の芸術家としての活動の決行を計画してから数日が経った。専ら私は、彼女を探す事に夢中になっていた。勿論講義には出席するが、それ以外は、ひたすらに彼女を探している。そして困った事に、なかなか見つからない。始めは、顔が壊れた愚かな人間の中から、整った顔の人間を見つけ出す事など、私にとっては容易いと思っていたが、如何にも見つからない。思い返せば、彼女の一方通行しか、記憶が存在しない。私から会うというのは難しいかもしれない。
私は全ての講義が終わり、一人ベンチに座っていた。流石に歩き疲れたのだ。医学部の一年から四年の必修講義を調べ訪れてみても、彼女の姿を、一瞥すらしない。絶望だな。
「河合さん、何をしているのですか?」
ああ、漸く見つけた。やはり彼女からの一方通行でしか会えないらしい。
「歩き疲れたから座っていただけだ」
さてどうしようか、どのようにして私の家に来るよう誘導しようか。
「隣座っても?」
「構わないが」
「ありがとうございます」
はぁ、やはり他人と接するというのは、とても疲れる。
「あの、河合さんにお願いがあるんですが…」
「何?」
お願い。くだらない理由なら却下しようか。いや、やはり叶えよう。どうにかして彼女をコントロールしなければならない。多少の不愉快は我慢すべきか。
「この後、河合さんの家に行って良いですか?」
これはこれは、私にとっては幸運な要望だ。だが。
「何故だい?」
直ぐに頷く程愚かでは無い。人は打算無しに行動しない。彼女の目的が判るまでは、様子見だな。理性の皮を被った本能で動く獣風情か、それとも真面な人間か。
「勉強を教えてもらいたくて」
「私の家である必要は?」
「河合さんは、公共の場にいる事を嫌うと思って」
概ね正解であるが、どちらかと言えば、人がいるのが嫌いなのだが。
「なるほどねぇ…良いよ。少しくらいなら。晩御飯も、粗末な物で良いなら出そう」
「ありがとうございます」
彼女の欲望は、人間のものであると判断した。物事が上手くいくと、こんなにも良い気分なのか。これで、私の芸術は完成の一歩手前だ。
私の部屋では、別段何事もなく、唯々知識の収集に没頭した。やはり勉強というのは良い。彼女もなかなかに賢い故、余り不愉快には感じない。さて、そろそろ私の芸術を始めよう。
「すまないが私はお腹が空いた。
「良いですね、
実際、
「どうぞ」
「…そのままですか。それに、ナイフとフォークって…」
「すまない。私がその食べ方を好いているのだ」
「そうですか、まぁ、良いです。では、頂きます」
「頂きます」
もうすぐだ。刹那の後、私の芸術が、そこに完成するのだ。
彼女は、左手でその
美しいなぁ。一切れだけで、私は高揚した。次の一切れはさらに大きく、本当に心臓を潰しそうだ。
「ご馳走様でした」
おや、もう食べ終わってしまったのか。やはり、至高の芸術は永遠で無いのか。いや、だからこそ、これ程までに美しいのか。まぁ良い。彼女が存在する限り、いつでも見れるだろう。
「河合さん。満足して頂けましたか?」
「ああ。やはり
勿論、彼女に不審と思われないため、私も食べていた。
「いいえ。私が聞いているのは、味なんかではありません」
「どういう事だ?」
彼女は一体何を言っているのだろうか。全く理解出来ない。
「私が心臓を食べる姿を見てどうでしたか?」
私は一瞬驚いた。だが直ぐに平静を装った。私では無い彼女が、正常であるはずの彼女が、今はっきり「心臓」と言ったのだ。
「何を言っているのか、よく分からないのだが」
「私を家に入れたのは、その光景を見たかったからなのでしょう?唯の二回会った、正体もよく分からない人間を、貴方が家に入れるなど、普通ではありません」
平静を装え、平静でいるんだ。理性的であるのだ。
「貴方が見ている世界で、私は唯一の存在だったのでしょう?貴方の執着は、当然です」
理性を保て。私よ、理性的であるのだ。
「どうですか?貴方の芸術は?」
「感想は?」
私は平静を装い、無言を貫いた。
「…こんな時間ですか。では、私は帰ります。さようなら」
私は常に理性的であった。だから私は、彼女が振り向いたその瞬間、彼女が用いていた
だが、私の視界には、もう息をしない肉塊がある。この事実は消えることは無い。私は理性に従い、自首する事にした。私は近くの交番に行き、「人を殺してしまいました」と言った。
証拠として、彼女の血がついた
「本当に殺したの?人を?綺麗だけど、このナイフ」
そんな筈はないと思い、私もナイフに目を落とした。だが、何故であろうか、そのナイフは純銀であった。
「たしかに殺したんです。家に死体があるんです」
「じゃあ、今から君の家に行くから。悪戯なら許さないよ」
悪戯なものか、馬鹿馬鹿しい。貴様のような無能に時間を割くだけでも不愉快だというのに。
私と警官は、私の家にいた。そこにある彼女の亡骸を確認するために。だが、彼女はそこに無かったのだ。床を紅く塗った血も、彼女の持ってきた鞄も、彼女の痕跡全てが消えていたのだ。
「やはり悪戯じゃないか。もう帰らせてもらうよ」
何処にでも行け、肉塊が。
「どういう事だろうか。彼女は生きていたのか?いや、私は死んでいるのを確認した。した筈だ。全ての痕跡が消えた?そんな筈はない、だってそこに、何も無い皿が二枚…」
そこにあったのは、私が食べた
私はその紅い実を手に取り、口に入れた。
「…美味しいな」
後から分かった事だが、彼女、
それから、私の世界が少しばかりましになった。というのも、食物が正常になったのだ。食感も、人間を食べているようには思わなくなった。そして、
私は大学を卒業したら、画家になろうと思う。私は記憶だけは良い。だから、あの芸術を、完璧とは言わないまでも、再現する。彼女は、私の中で生き続けるのだ。
私の愛した者を、永遠に。ああ、楽しみだ。
蕃茄って美味しいよね テラ・スタディ @Teratyan
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