第2話 ワタル
いつの間にか、エーリュウは僕の目の前から消え去っていた。
辺りを見回しても、誰の気配も感じない。
僕は薄暗い森を抜け、町に戻った。
とりあえず、ここの住人と話がしたかった。
具体的な山への行き方、それをエーリュウは教えてくれなかったのだ。
町は、僕が暮らしていた町となんら変わりはないほど平和だ。
道路にはアスファルトが敷かれている。
だが、車は走っていないようだ。その証拠に、道路の真ん中では老人がろうそくを販売していた。
「どうしたボウズ、迷子か?」
木造の家の前を通り過ぎようとした時だ。
どこからか声が聞こえた。少し高めの男性の声だ。
後ろを振り向くと、いつの間にか男性が立っていた。
男は、僕よりずっと高い背をしていて、サングラスをかけ、肌は黒めだった。おまけに、寒くもないのにコートを着ていた。
男は僕の近くにゆっくりと歩み寄って来ると、誰も頼んでいないにも関わらず、自己紹介を始めた。
「オレはワタル、この辺で適当に住んでる男だ」
適当な言葉が思い浮かばずに黙っていると、ワタルは呆れた顔をして言った。
「おい、あんた、人が自己紹介をしてるってのに、なに黙って突っ立ってるんだ?」
「あ、はい、すいません」
僕の口から、感情の籠もっていない謝罪が漏れ出した。
ワタルはそれを感じ取ったのか、眉間にシワを寄せた。
「オレは棒返事が一番嫌いだ」
そう言い残すと、彼はズタズタ足音を鳴らし、去っていった。
「棒返事」という謎の言葉を残して。
*
次に僕は、先程ろうそくを販売していた老人の方に行ってみることにした。
すっかり本来の役目を失ってしまった道路の上を歩き、老人が座る場所へ向かった。
もうほとんど人はいなかったが、老人は、残ったわずかな人々と、楽しそうに談笑していた。
ろうそくの入っていた箱を覗き込んでみると、まだ2、3本余っているのが見えた。
「すいません。ちょっといいですか?」
ワタルはどこかに行ってしまったし、せっかくなら、山への行き方を聞いておきたい。
僕が呼び掛けると、老人はゆっくりと後ろを振り返…らず、代わりに「前から話しかけなさい、後ろを振り向くのは骨が折れる」と言い放った。
僕はわざわざ老人の前に周り、もう一度話しかけた。
だが老人は、僕が話し出すよりも先に僕の口の前に手をかざし、制した。
驚いた顔をして、老人の顔を見つめると、老人は、静かに笑った。
「少し待ちなさい、わしゃ喉がからからじゃよ、あなたも立派な青年なら、もうちょっと老人を気遣いなさい」
老人はどこからともなくペットボトルを取り出して、飲み始めた。
待つこと5分、老人はやっと水を飲み干した。
老人は水を飲み終わるまでの間、僕は立ち去ることも、話しかけることも許されなかった。
一度、老人のはげた頭に向かって、水を思い切りかけてやりたくなるのも無理はないだろう。
もっとも、大目玉を食らいたくはないし、山への行き方も教えてもらわなければいけないので、やめた。
「それで、わしに何か用か?」
しばらく話を進めようと試みたのにも関わらず、何も話してくれなかった老人だったが、とうとう話が一歩進んだ。
ここまでゴマをすったことは人生で一度もなかった。
これも一種の経験ということにしておいたら、怒りも湧いてこなかった。
「はい、実は、僕、あちらに見える山へ行きたいんですが、行き方を教えてもらってもよろしいでしょうか」
「山? あぁ、あそこだな、わしもあまり行ったことはない。話を原点に戻してすまないが、なぜ聞く必要があるのじゃ? 山なんぞ登り方を聞くまでもないじゃろう」
言われてみればそうだ、なぜ僕は山への行き方などを聞いているのだろうか。
そんなこと、聞くまでもないはずなのに。
何かがおかしい。僕はそう確信した。
でも今は、考えるには情報が少なすぎる。
この世界には何かあるはずだ。
「ええと、山までの道は分かりますか?」
僕が聞くと、老人は遠くの方を指差してこう言った。
「あっち」
あまりにも単純かつ簡潔な文に憤慨した。
老人の指差す方向には、果てしない道路が続いている。
その後何回聞いても老人は耳を貸さなかったので、一旦老人に聞くのはやめ、大人しく道路を歩いて行くことにした。
気づけば、町には人が見当たらなくなっていた。
僕だけが1人、町を歩いていた。
辺りはみるみる暗くなり、すっかり夜に近い状態になってしまった。
方角がまるで分からない。街灯が無いためだ。
僕は1人立ち往生するしかなかった。
だがそんなとき、暗い視界の中で、光を発するなにかが遠くに見えた。
家だろうか。
辺りに灯りもないため、僕の体はひとりでに、安心できる光へと歩きだした。
近づいてみて分かったことは、この光は予想通り家のものだった、ということだ。
だが、誰の家かも分からないし、ノックしようにも扉が見つからない。
そんなことをしていたら、何故か辺りが明るくなってきた。
空を見ると、昼のような明るい空が広がっていた、さっきの暗さが嘘だったみたいに。
家を後にしようとすると、どこからか声が聞こえた。高めの、男性の声だ。
「よう坊主。」
辺りを見回していると、背後にあった家の窓が音を立てて開いた。
ゴゴゴゴという音がなり、錆び付いた古い家を連想させた。
そして、ワタルが家の中から身を乗り出してきた。
「こんにちは、ワタルさん」
「というか、ここはワタルさん
ワタルは不思議そうな顔をした。
「よう、てかお前、夜だってのに何してるんだ。」
「夜? 夜って、さっきの暗い時のことですか?」
ーー夜にしては短すぎる気がすぎじゃないかな…
ワタルは頭を一度掻いてから、口を開いた。
「あぁ、ま、ここは上とは違うんだ。もちろん時間軸もな。」
ガバガバな説明だったが、僕はその情報を信じるほかなかった。
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