第2話 ワタル

 いつの間にか、エーリュウは僕の目の前から消え去っていた。

辺りを見回しても、誰の気配も感じない。

 僕は薄暗い森を抜け、町に戻った。

とりあえず、ここの住人と話がしたかった。

具体的な山への行き方、それをエーリュウは教えてくれなかったのだ。

町は、僕が暮らしていた町となんら変わりはないほど平和だ。

 道路にはアスファルトが敷かれている。

だが、車は走っていないようだ。その証拠に、道路の真ん中では老人がろうそくを販売していた。


「どうしたボウズ、迷子か?」

 

木造の家の前を通り過ぎようとした時だ。

 どこからか声が聞こえた。少し高めの男性の声だ。

後ろを振り向くと、いつの間にか男性が立っていた。

 男は、僕よりずっと高い背をしていて、サングラスをかけ、肌は黒めだった。おまけに、寒くもないのにコートを着ていた。

 男は僕の近くにゆっくりと歩み寄って来ると、誰も頼んでいないにも関わらず、自己紹介を始めた。


「オレはワタル、この辺で適当に住んでる男だ」


適当な言葉が思い浮かばずに黙っていると、ワタルは呆れた顔をして言った。


「おい、あんた、人が自己紹介をしてるってのに、なに黙って突っ立ってるんだ?」

「あ、はい、すいません」


僕の口から、感情の籠もっていない謝罪が漏れ出した。

 ワタルはそれを感じ取ったのか、眉間にシワを寄せた。


「オレは棒返事が一番嫌いだ」


そう言い残すと、彼はズタズタ足音を鳴らし、去っていった。

「棒返事」という謎の言葉を残して。



 次に僕は、先程ろうそくを販売していた老人の方に行ってみることにした。

すっかり本来の役目を失ってしまった道路の上を歩き、老人が座る場所へ向かった。

 もうほとんど人はいなかったが、老人は、残ったわずかな人々と、楽しそうに談笑していた。

ろうそくの入っていた箱を覗き込んでみると、まだ2、3本余っているのが見えた。

 

「すいません。ちょっといいですか?」


ワタルはどこかに行ってしまったし、せっかくなら、山への行き方を聞いておきたい。

 僕が呼び掛けると、老人はゆっくりと後ろを振り返…らず、代わりに「前から話しかけなさい、後ろを振り向くのは骨が折れる」と言い放った。

 僕はわざわざ老人の前に周り、もう一度話しかけた。

だが老人は、僕が話し出すよりも先に僕の口の前に手をかざし、制した。

驚いた顔をして、老人の顔を見つめると、老人は、静かに笑った。


「少し待ちなさい、わしゃ喉がからからじゃよ、あなたも立派な青年なら、もうちょっと老人を気遣いなさい」


老人はどこからともなくペットボトルを取り出して、飲み始めた。

 待つこと5分、老人はやっと水を飲み干した。

老人は水を飲み終わるまでの間、僕は立ち去ることも、話しかけることも許されなかった。

 一度、老人のはげた頭に向かって、水を思い切りかけてやりたくなるのも無理はないだろう。

もっとも、大目玉を食らいたくはないし、山への行き方も教えてもらわなければいけないので、やめた。


「それで、わしに何か用か?」


しばらく話を進めようと試みたのにも関わらず、何も話してくれなかった老人だったが、とうとう話が一歩進んだ。

 ここまでゴマをすったことは人生で一度もなかった。

これも一種の経験ということにしておいたら、怒りも湧いてこなかった。


「はい、実は、僕、あちらに見える山へ行きたいんですが、行き方を教えてもらってもよろしいでしょうか」

「山? あぁ、あそこだな、わしもあまり行ったことはない。話を原点に戻してすまないが、なぜ聞く必要があるのじゃ? 山なんぞ登り方を聞くまでもないじゃろう」


言われてみればそうだ、なぜ僕は山への行き方などを聞いているのだろうか。

そんなこと、聞くまでもないはずなのに。

何かがおかしい。僕はそう確信した。

でも今は、考えるには情報が少なすぎる。

 この世界には何かあるはずだ。


「ええと、山までの道は分かりますか?」


僕が聞くと、老人は遠くの方を指差してこう言った。


「あっち」


あまりにも単純かつ簡潔な文に憤慨した。

 老人の指差す方向には、果てしない道路が続いている。

その後何回聞いても老人は耳を貸さなかったので、一旦老人に聞くのはやめ、大人しく道路を歩いて行くことにした。

 気づけば、町には人が見当たらなくなっていた。

僕だけが1人、町を歩いていた。

辺りはみるみる暗くなり、すっかり夜に近い状態になってしまった。

 方角がまるで分からない。街灯が無いためだ。

僕は1人立ち往生するしかなかった。

だがそんなとき、暗い視界の中で、光を発するなにかが遠くに見えた。

 家だろうか。

辺りに灯りもないため、僕の体はひとりでに、安心できる光へと歩きだした。

 近づいてみて分かったことは、この光は予想通り家のものだった、ということだ。

だが、誰の家かも分からないし、ノックしようにも扉が見つからない。

 そんなことをしていたら、何故か辺りが明るくなってきた。

空を見ると、昼のような明るい空が広がっていた、さっきの暗さが嘘だったみたいに。

家を後にしようとすると、どこからか声が聞こえた。高めの、男性の声だ。


「よう坊主。」


辺りを見回していると、背後にあった家の窓が音を立てて開いた。

 ゴゴゴゴという音がなり、錆び付いた古い家を連想させた。

そして、ワタルが家の中から身を乗り出してきた。


「こんにちは、ワタルさん」

「というか、ここはワタルさん


ワタルは不思議そうな顔をした。


「よう、てかお前、夜だってのに何してるんだ。」

「夜? 夜って、さっきの暗い時のことですか?」


ーー夜にしては短すぎる気がすぎじゃないかな…

ワタルは頭を一度掻いてから、口を開いた。


「あぁ、ま、ここは上とは違うんだ。もちろん時間軸もな。」


ガバガバな説明だったが、僕はその情報を信じるほかなかった。

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