第3話『フィスカスは、ここにいる』



「機関長、例の幽霊ですが」

 朝時間の全体確認事項が終わって解散となり、それぞれの持ち場へ散っていく中に機関長を見つけた計都は小走りに近づく。相手は杖をついているので歩みが遅い。すぐにつかまった。

「昨日も出ました」

 そうか、と機関長は返す。そっけない態度にもめげず、すかさず計都は幽霊の正体を見たぞと暴露しようと前のめりになるが、機関長が言葉を発する方が早かった。

「もう近づくな」

 鋭い声音に計都は冷水を浴びせられた気になる。勢いが削がれ、たたらを踏む彼を押しとどめるように機関長が手を出す。そうやって計都が静かになってから周囲に視線を走らせた。朝礼が終わった室内にはもう誰も残っていなかった。機関長はそれでも計都に扉を閉めさせる。

「最初におまえさんに興味を持たせることを言ったこっちが悪かった。あの幽霊を見かけても、話しかけられても無視しろ。いないものとして扱え」

 言うだけ言って、機関長は計都の反応も待たずに踵を返して部屋を出た。

「え……」

 計都は理解が及ばず、呆然とする。もちろん、機関長の歩みはいつもと同じだったので、追いかけることは可能だった。だが、できなかった。

「いろいろと、矛盾していたような」

 あれでは幽霊は存在していると断言しているようなものだ。そして、いることを認めながらも、存在を認識してはならないという。

 何かあったのか、そうは思っても幽霊に対する事情が変わる理由なんて計都には思いつかなかった。

 あの幽霊、いや古いロボットのフィーには何かがある。ただそれを公のものとして扱うと快く思わない者がこの船の中、もしくは船に関わりのある誰かがいるのだろう。

 機関長も計都が思っていたよりも幽霊話に食いついてきたので深入りする前に止めたのかもしれない。

「……っても、そんなサスペンスドラマみたいな展開、あるわけないけどさ」

 自身の妄想の羽ばたき具合にあきれつつも、計都は以降、幽霊について他者から話を振られても知らない興味ないで通すようにした。



 あれから、夜間警備の当番が回って来ると計都はまずフィーを探した。フィーの方も計都を覚えたらしく、声と足音を聞きつけて向こうからやってくるようになる。機関長には結局、フィーと呼称するロボットの存在についてたずねられずにいた。

「お兄ちゃん、こっち」

 不格好な脚部で走りまわる小さな姿は娯楽の少ない船内では新鮮だった。

 そう、自分だけの秘密を持っているということはプライベートが恐ろしく削られる集団生活内では極上の楽しみといえた。

 大丈夫、問題ない。何も規則違反や危険行為はないのだと自分に言い聞かせる。

 小さなロボットは船内をうろついているだけで、機材や積み荷にはまったく興味を示さない。そういう風にマーカーをふられているのだろう。例のぬいぐるみを引きずりながらあっちだこっちだと角の先や階段の裏側をのぞきこむ。

「お兄ちゃん、どこ?」

 小さなロボットは兄という存在を探しているらしい。たまに出てくる単語から推測すると、兄は二人いるようだ。だがこれまでフィーと一緒に行動している中で他の人型をしたロボットに出会ったことはない。もしかすると船内にある大型機材のことかと思い、他者の目がないところでフィーの兄かどうかを人工知能にたずねてみるが、作業工程が理解できないという愛想のない返答が来るだけだった。

 フィーの兄探しにはどんな設定効果があるのか気になって追いかけるが、いまのところ収穫はない。

 けれど今日は少しばかり何かが起きそうだった。

「ここは……」

 計都は非常灯すらない場所にいた。壁に触れていなければ、立っているのかどうかも見失いそうになるほどの厚い闇が広がっている。明かりになるのは手元のライトだけ。

「閉鎖区画……」

 船に乗って初めての違反は、機密扉の向こうへ侵入すること。

 光の輪の中に小さな粒がきらきらと踊っている。床のほこりが歩くたびに舞い上がっているのだ。無重力空間ならほこりも床へ落ちずに漂うのだが、宇宙とはいえ仮想重力のある船内ではほこりは普通にたまる。この区画は相当程度、人が出入りした様子がないらしい。床の上にはフィーが何度も往復した足跡だけが残っていた。

 いったい、どれだけ掃除していないのか。どれほどの期間、放置されてきたのか。

 この船には幽霊が出る。

 閉鎖区画に入ってはならない。

 これがロビン・グッドフェロー号に乗る際、真っ先に機関長から聞かされた注意事項だ。ただこれを聞かされたのは全員ではないらしく、まだ船内には昨日今日でようやく幽霊話を知ったという新人も少なくはない。

 今夜、計都はフィーが出入りしている気密扉の向こうにある区画へ初めて足を踏み入れた。強制的に押し入ったわけではない、いつものように別れようとしたところ、ふと思いついて後をついて行ってもいいかとフィーにたずねたところ、いいよと返事が来たのだ。

 その思いつきも、小さなライトだけで闇の中に放り出された瞬間に後悔したが。

 船内図面を見ると、閉鎖区画はそこまで広くはない。閉ざされている個所の広さは中規模の倉庫程度。隔壁を使ってひと区画丸ごと出入りできないように区切ったのだろうが、黒く塗りつぶされた地図から読み取れる情報はそこまでだ。

 だが少しばかり航宙船の構造にくわしい者が船全体を見れば違和感を覚えるだろう。実際、計都は最初に渡された見取り図を見て首をかしげた。

「この船、エンジンはある。けどそれらを制御するメインシステムを示す施設がない」

 通常、メインとなる船の電子頭脳は艦橋の真下に設置されていることが多い。この船も構造的には艦橋の下に部屋があるのだが、そこにある電子機器は余所にあるメインシステムと艦橋を繋ぐ補助的なものだった。

 補助、ではメインはどこにある。

 計都の予測では、この船の頭脳は閉鎖区画に置かれている。

 何のためにと思ったが、これまで知る機会はなかった。

 船内の閉鎖区域についてだが、当初の全体説明では閉鎖区画は船の初期設計部分にあたり、増設を重ねているので今は直接船の運航には必要がなく使用されていない。老朽化しているが改築する費用が捻出できないので封鎖している。内部は一部崩壊の危険性があるので決して入らないように、とあった。

 最初は仕事が決まったテンションもあってそういうものかと適当に流していたが、すぐにおかしいと気がつく。というか、単に閉鎖区画を避けて移動する機会が何度もあったので、使っていないにしろせめて通路くらいは解放して欲しいと思っていたところだった。

「こっち」

 フィーに導かれるままその秘密の小部屋、もとい閉鎖区画にやってきた計都だった。普段は閉ざされている厚い扉は小さなロボットが近づくと迎え入れるように開いた。

「開く……認証、されているのか」

 ロボットの認識票とこの分厚い扉が連動しているようだ。

 はやく、とフィーが急かし、計都はひとまずその疑問は脇に置いて先へ進むが行く先は非常灯のない闇の空間。

「待ってくれよ」

 明かりをつけるわずかな間にフィーはさっさと奥へ走って行ってしまい、しかも扉が閉まっていく。少しずつ狭まる光に追いたてられるようにライトのスイッチを入れた。

「帰るとき、開けてくれるんだろうな……」

 ううむ、と首をかしげながらフィーの後を追う。内部はほこりっぽいが、構造上は他の区画と大差ないように思えた。ただやはり長期間誰も立ち入っていないのだろう、ほこりをかぶった廊下のあちこちに落し物らしいペンや丸まった毛布、ちぎれたケーブルがそのまま放置されていた。

 ずいぶんと急いで閉鎖されたらしいな、と計都はフィーの姿を探しながら点々と転がっている過去の遺物に視線を走らせる。落し物の年代まではわからなかったが、相当程度古いもの、それこそ移民船時代のものに思えた。

 歩きながら少しばかり目が闇に慣れて余裕が出てきたので、計都はフィーを探しながらこの一ヶ月で調べた船の歴史を思い返す。

 星間輸送船ロビン・グッドフェロー号。

 その前身は、移民船アトランティス号。

 遥か過去、地球人類が宇宙を目指したスペースシャトル計画の最後の有人宇宙船と同じ名前だった。スペースシャトル計画はそこで終わったが、何百年もたってから名前だけが引き継がれる。この船を設計した何者かはよほどのロマンティストか面倒くさがりかのどちらかだろう。

 航路のログは古すぎて残っていなかったが、地球を脱して後に引き返してきた理由は記録されていた。機関部、それも制御系をつかさどる基礎ドグマに重篤な障害が発生し航行不能に陥ったのだ。

 どうにかして危機は乗りきったが移民船として先へ向かうことができず、アトランティス号の旅はそこで終焉を迎える。役目を放棄し地球へ引き返したのだが、戻って来るまでに出発から十年ほど経過してしまう。けれどそれだけの苦難と時間をかけて帰還した同胞を地球側は受け入れを拒否した。

 建前は、長期間の宇宙環境に慣れた人類が地球の風土で再び生活できるかどうかの保証ができないということだったが、要は放り出したのだから帰ってくるなということだ。

 再びさまよいかけたアトランティス号に救いの手を差しのべたのは、当時すでに植民地として開発が進んでいた火星だった。地球は一度放り出した人類を受け入れる余裕がすでに失われて枯れていくばかりだったが、代わりに加速度的に開発が進んでいた火星の方が人的資源欲しさに港を開放したのだ。

 新天地への道を絶たれたアトランティス号の乗組員は火星を第二の故郷として方々へ散っていった。火星で職を得て成功する者、没落する者。あるいは、やはり地球への思慕が捨てきれずに帰る者。

 それぞれが異なる道を歩き出したが、その軌跡まで計都が追うことはできなかった。ロビン・グッドフェロー号にはそこまで詳細な記録は残されていなかったのだ。

 船だけが、二百年が経過した現在も生き証人として存在し続けている。

 通常、移民船は新しい惑星や資源衛星に降り立った際はある程度、生活環境が整うまでの仮の住まいとなる。その間に船自体が資材として切り刻まれその姿を残すことはない。アトランティス号は移民船として活躍することはできなかったが、輸送船として改修工事を施され、名前も変えて航行し続けることになる。

「それも、この航路で終わりだが」

 元移民船は到着先で解体が決まっている。その片道切符を手に入れた計都は光の輪の中にあるものを見つけて足を止めた。

 それはこれまでの落し物どころか、船の中ですらめったに見ることができない、奇妙さの中では最上級のものになる。

 見つけたのは、花だ。

 白い花弁は先端部分が大きく、頭が垂れさがるほど広がっている。同じ種類の花が五本、花瓶に挿して扉の前に置かれていた。

「これ、造花か」

 うっすらとほこりがつもっている花は、その汚れに反してみずみずしい姿を保っている。本物でないことは一目でわかったし、花瓶も専用のものではなくパイプの廃材を切っただけの代物だった。

 何でこんなものが、と思って顔を上げる。閉ざされた扉には特に何の表示もない。だが開閉ボタンのランプは灯っていた。

「ここは、開くのか」

 他の部屋は電源が落ちているのか、どこの扉も反応しなかった。非常用の手動開閉装置を使えばこじ開けることは可能だったが、この扉はそんな力技に頼らずに開きそうだ。

 計都は左右を見渡すが、どこにもフィーの姿はない。中に何があるのか、入っていいのかたずねようにも相手がいない。だが好奇心には勝てず、計都は侵入を決める。

「……入るぞ」

 生体認証も設定されていないのか、開閉ボタンを押すだけで扉は計都を迎え入れるように開いた。

 室内は明るかった。もっとも、あの非常灯すらない廊下と比べてというだけだったが。光源は壁面に設置されたいくつものモニタだった。どれも機器が稼働しているのか、文字列や数式が忙しなく動いている。

 入った瞬間に思ったのが、古いな、だった。閉鎖区画なので新しい設備と入れ替えていない、つまり古いものという認識で間違いないのだが、その古いものが今も動いていることに違和感を覚える。

 何かをずっと計算し続けているモニタを見て、計都はあることに気がつく。

「これ、この船の航路じゃないか」

 モニタにはこの船の航路と予想到達時間などが細かに、そしてリアルタイムに表示されている。表示形式自体は古いが間違いないだろう。

「もしかして、ここがこの船の基礎ドグマか?」

 閉鎖区画に隠すように置かれているそれらを見渡し、計都は首をかしげた。まったく無駄な設計にしか思えなかったからだ。艦橋から遠く離れ、隔壁と気密扉の奥に隠された船の心臓部。メンテナンスと扱いやすさという言葉の対極にあるような構造だ。

 だがこの船は、過去にドグマがダウンした経緯があることを思い出す。

「……崩壊しかけたドグマを、ここで再設計したのか」

 メインは過去に死んだ。だがそのままでは移民船の乗組員全員も共倒れになってしまう。対策を講じなければ、船が文字通り全員の棺桶となる。

 その危機を脱するため、ドグマを再構築したことに計都は思い至り、同時に身震いする。いったい、どれほどの焦燥と緊張に見舞われたのか。当時のエンジニアたちが狂うように走りまわる様が容易に想像できた。その証拠に、室内の配置はどこもかしこもいびつだった。壁からケーブルがむき出しになり、基盤がその先に雑にぶら下がっている。効率やのちのメンテナンス作業のことなどいっさい考慮に入れていない無秩序な構成。必要なものを必要なだけ積み重ねていったらこうなった、とでもいうような設計図のない改築のなれの果てがそこにあった。

 船内にはこれと似たような状態になっている個所がいくつもある。おそらく、ドグマを艦橋へ繋いでいく際に使える部品を急いで組み合わせていったのだろう。

 計都は床から罠のようにはみ出しているケーブルを避けながら室内を一周する。使えそうなものをただ押しこんで連結させた、機能一点張りでデザイン性のかけらもない室内。旧式の大型演算装置の奥にも機械が埋もれている。酸素ボンベに似た形状の円筒形の物体がいくつも並んでいるのが見えた。

 あれは何だろうか、どんな機能があるのだろうかと思ってのぞきこむ。と、手をついている円筒形の下の方に手書きで表面に文字のようなものが書かれていることに気がつく。

 エンジニアの走り書き。どんなメモかと思ってライトを使って照らす。

「えーっと、F、か?」

 それは単語ではなく、ひと連なりの文章だった。

「これって……」

 文面を読み終えた計都は、ライトを手にしたままゆっくりと後退する。

 書かれていたのは計都が思ったような、エンジニアの残した計算式や裏コード、設計の覚書きではなかった。

「『フィスカスは、ここにいる』」

 書かれていた文章を計都は声に出して読み上げる。それでも内容が頭に入ってこない。それどころか、拒絶しようとしていた。

 計都は頭を振って顔を上げる。部屋の奥に並べられた円筒形のドラムは大型の機械群の後ろに隠すように置かれている。

 まるで、視界にも入れたくないとばかりに。

「フィスカス……あのロボットの名前」

 閉鎖区画へ入ってから見つけられないロボット。その名前が古い機械に書かれている。それ自体は何の問題もないはずだ。

 だが書かれていたのは元移民船の再起動されたドグマ内。しかも何か引っかかりのある文章だ。

「お兄ちゃん?」

 後ろからかかった声に、計都は最初とは逆の、むしろ落ち着き払った仕草で振り返る。

「フィー」

 入口には予想通り、小さなロボットが立っていた。自分を追ってこないので探しに来たのだろう。

「よかった、俺も探してたんだ」

 こっちに来てくれ、と計都は手招きする。フィーは機材には興味を示さないのでこの部屋にある機械についてたずねたところで答えが返ってくるとも思えない。それでもこの船に関して何か情報を得たかった。

「フィー?」

 だがフィーは扉のラインから先は断崖絶壁だとばかりに室内へ入ってこようとしない。

「どうかしたのか」

「ここは、いや」

 はっきりと答え、首を振る。不思議に思って近づくと、フィーはぬいぐるみを抱えて後ずさってしまう。

「いや、いやなの」

 初めて見せる強い拒絶の態度に計都は眉根を寄せる。愛玩用や業務用問わず人工知能に自由行動を与える場合、マーカーを振って行動範囲や挙動を制限させることはよくある仕様だが、コミュニケーション用とおぼしきロボットがここまで嫌がるそぶりを見せることは不自然に思えた。入れないように制限がかかっているのなら、拒否する前に立ち去ってしまえばいい。

 もしかして、と思い計都はフィーの前に立つ。無機質なカメラアイはくるくると動き、視点が定まっていない。動揺している、という表現が当てはまる様子だ。

「フィー、いや、フィスカスはこの部屋が何なのか知っているのか?」

「知らない!」

 ぱっと身をひるがえし、フィーはさらに奥へと走り去ってしまう。追いかけようにもライト一本では歩くことすら難しい場所。計都はすぐに小さな姿を見失ってしまう。

 しばらく閉鎖区画の中を声をかけながら探しまわったが、この闇の中では一度隠れてしまった姿を探すのは容易ではない。

「せめて、出入り口を開けてくれないかな」

 一度入ってきた扉の前へ戻ったが、侵入時と違い何の反応も見せない。フィーのように認識表を持っていないので扉の開閉に関する権限が計都にはないのだ。

 このままフィーの機嫌が直らずかくれんぼが終わらなければ計都は放置の憂き目に遭ってしまう。そうなれば遠からず計都は閉鎖区画内でひからびる運命だ。そろそろ夜時間が終わるので、引き継ぎに戻らない彼に不審を持った乗組員が探してくれるだろうが、この閉鎖区画まで来てくれるのはいつになるのか。

 ひとまず入ってきた扉の前で待っていよう、そう考えて歩き出した計都に救いの手は思うよりも早くきた。

 警報音とセットで。

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