第2話 ぬいぐるみを持った幽霊
自身の境遇を悲観したところですでに港を出た船に乗ってしまっている以上、目的地へ到着して下船するまではどうすることもできない。恨むなら、最終運航便と知りつつ片道だけの航宙経歴が欲しくて乗船を決意した自分自身だろう。
ただ幸いなことに、幸運の女神は最終便でも仕事をしてくれているらしく、船内設備の不調等はあっても航路内でのトラブルはなく、計都も与えられる仕事をこなしていくうちに作業工程も覚え、半月も経過して慣れてきた分だけ精神的に余裕ができたおかげであまり愚痴も出なくなった。
そうやって航路も半ばを過ぎて一ヶ月。航行予定は少しばかり遅れていたが、船内にはどことなく安定した空気が流れるようになってきた。
そんなある日、計都は廊下であるものを拾う。
「……なんだ、これ」
不審物のたぐいではなかったが、宇宙を航行中の貨物船の中でということを考えると異質なものが落ちていた。そして現在、船内は夜時間で計都は見回りの任に着いている真っ最中。つまり落し物は回収しなければならない。
計都は落し物の端っこをつかんで眼前に掲げて首をひねる。
「ぬいぐるみ、だよなあ」
それは太陽系第三惑星地球にいた生物、ウサギを模したぬいぐるみだと見当づける。ただ形状はデフォルメされ妙に平べったくなり手足が伸びて垂れさがっている。ぬいぐるみというよりクッションのようだ。
計都はぬいぐるみの長い手をぶらぶらさせながら周囲を見回す。相変わらず照明は最低限で通路の奥まで見通せない。
誰の落し物だろうかと、ようやく名前と顔が一致してきた船員を思い浮かべる。
「……見当もつかねえや」
お気に入りのぬいぐるみがないと夜は眠れない、そういう精神性のタイプが持ち主だろうというところまでは推測できたが、これまでのぞいてきた他の個室内でこんなものは見ていない。
とにかく、船員の誰かだろうと思って計都はぬいぐるみを脇に抱えて歩き出した。
「明日の朝礼で報告してみるかな」
全員が集まる場で高々と掲げられるぬいぐるみと、その持ち主の顔色を想像する。少しばかり意地悪なことを思いついて楽しくなってきた計都の歩調が跳ねる。
廊下に計都のスキップした足音が反響する。航宙船に乗っていて気がついたのが、意外と静かな点だった。特に今が夜時間で人気がなく大型の機材が動いていないせいもあるが、機関部から離れていることを差し引いても市街地を走る車の中にいるよりも静かだ。
見張りに出る前、例の機関長からこんな静かな夜にはあの幽霊に出くわすぞ、とにやけた笑いと共に追い出された。
すでに遭遇済みなのではいはいと適当に流してきたが、奥へと進むたびに人気と音が消えていき、さすがに少しばかり歩みが鈍る。
計都は雑に抱えていたぬいぐるみに力をこめる。こういうとき、側に何かあると落ちつく気分が少しばかり理解できた。
スキップが消えた足で先を急ぐ。見回りの範囲は前と同じ。この先の通路をまっすぐ進むと気密扉に突き当たる。そこまで行って異常がなければ引き返してくるだけ。
その気密扉が手元のかぼそい明かりの先に見えてきた。予定の目標地点まで、あと少しと計都は大きく息を吐く。
だが、そこで気がついてしまった。一度意識に入ってしまうと、急に焦点が合ったように視界に見えている光景が一瞬にして切り替わってしまう。
「……勘弁してくれよ」
うわあ、と声を上げて顔を手で覆う。三秒数えて手を外したが、やはり先ほど見た光景のままだった。
「気密扉が、開いてる」
もう一度ライトを掲げて確認する。扉は細く開き、向こうにはさらに深い闇がうかがえる。初めて見た光景に計都は異常を報告するのも忘れ、気密扉って分厚いんだな、とどうでもいいことに意識を飛ばす。
そこに割り込む、違う声。
「あ、見つけた」
間近で聞こえた声に、計都は声も出せずに全身を震わせる。完全な不意打ちに彫像のようになってしまった身体で立ち尽くし、眼球だけを忙しなく動かす。
と、すぐ側の通路から何か小さなものが飛び出し、計都が持っているぬいぐるみの手をつかんだ。
「ここにいたんだ」
なにがだれがどれが。
混乱しかけていた計都はぬいぐるみが大きく引っ張られて我に返る。相手はウサギのたれた腕を引っ張って取り返そうとしているようだが、悲しいことに恐怖で硬直してしまった計都の腕にはさみこまれたぬいぐるみは抜けない。
「とれないー」
幼い舌ったらずの声と動く気配、ぐいぐいと引っ張られるぬいぐるみに計都はようやく相手が幻聴でも何でもなく、質量を持ってそこにいることを理解する。
計都はわずかな明かりの輪の中に入ってきた存在を、ぎりぎりと音がしそうなほどぎこちなく首を動かして視界に入れる。
もっさりとした毛のかたまりが見えた。そしてまるで毛のかたまりから直接飛び出しているような腕がぬいぐるみをつかんで引っ張っている。
例の幽霊だ。すぐに計都はそう考えたが、即座に違和感に気がつく。
幽霊というものは透けていてもっと存在感のないものという認識もあったが、何よりおかしな点がある。
(こいつは、人間じゃない)
そう、幽霊は生者とは違うという判断ではなく、そこにあるものはあきらかに人間とは異なる存在だったのだ。
髪の毛のように見えた部位はよく見れば人工繊維だとすぐにわかる安っぽさ。突き出している腕は金属でできている。関節があって五指もそろっているが、それはあくまで人間の形状を模しているだけにすぎない。
計都はぬいぐるみから手を離し、ようやく身体をひねって動かすとその存在を改めて正面からのぞきこんだ。
落ちたぬいぐるみを拾い上げる手も、足も、ずた袋のような粗末な衣服からのぞく部位もすべてが金属、人工物で構築されている。
それはこちらを見上げてきた顔も同様だった。目はふたつあって口もある。耳らしき構造も見受けられるが、あくまで丸い形に最低限、顔に見えるパーツを配置しただけ。
不意の乱入者は計都の胸の下あたりの高さしかないロボットだった。
廃材を組み合わせて作ったのか、両手足は年代と形式が異なる部品で構築されている。見えていない胴体部分も、おそらくつぎはぎだらけだろう。何らかの作業用ロボットに誰かが人間っぽく飾りをつけたのかと思うが、ぬいぐるみの腕を持ってくるくると下手なダンスを踊っている様子にまた疑問が増える。
あまりにも動作がつたなく無駄が多いのだ。船には各所に作業補助を行うロボットが配置されているが、それらは機能優先で人型をしているものはない。腕部や脚部といった、作業に必要な機能部分を特化した構成になっている。
目の前のロボットと工業用のロボットでは、制作の基本理念が違いすぎる。
何でこんなものが、と飛びかかってこられた際の恐怖も忘れて疑問符を浮かべる。そこでひとつ、思い当たる節があった。長期航路の場合は乗組員のストレス発散用にペットロボットなどが配置される場合がある。この幼児のような挙動も、それなりに愛くるしいと言えなくもない。
(もしかして、こいつが幽霊の正体なのか)
途端、計都の身体から力が抜け、汗が一気に噴き出す。かなり緊張していたようだ。大きく息を吐き、計都は小さなロボットから一歩離れてその様を見下ろす。小さな身体は変わらず踊っていた。
怪談なんて、正体がわかればこんなものかもしれない。航路の安全を保証するという幽霊は、不格好なアンドロイドとも呼べないできそこない癒し系ロボット。
やれやれ、と計都は頭をかく。これで明日、機関長への土産話ができたなと肩を落とす。むしろやっと気がついたかと笑われるかもしれないが。
「ねえ、お兄ちゃん」
話しかけられ、計都は視線をロボットへ戻す。不格好なロボットだが発声機能は優秀らしく、声だけ聞いていれば幼児としゃべっていると錯覚しそうだ。
「な、何だよ」
「お兄ちゃん、迷子?」
見上げてくるのがただのレンズだとわかっていても、少し首をかしげる仕草が妙に人間くさく感じて計都は戸惑う。
「いや、俺は……」
「あたしフィスカス。フィーだよ」
個別の名前もあるんだな、と計都は微妙に芸の細かいロボットにどう対応したものか悩み、結局は素直に名乗り返すことにした。
「俺は計都だ」
「計都、お星様の名前だね!」
よく知ってるな、と計都は感心する。彼の名前は大昔、地球のある国で伝えられていた神話内に出てくる天体のひとつだ。彼自身は両親から名前の由来を聞かされており、それなりの知識はあったが大半の人間はまず知らない。ましてや見かけがここまでしょぼいロボットがこうまで博識なことに驚く。そんな無駄とも呼べそうな知識を植え付けた制作者が気になった。
(もしかすると、AIの基礎ドグマはすごく古いのかもな)
ロボットの人工知能の古さがそのまま性能の悪さを示すということはない。むしろ昔の方が行動規範がゆるく、積み重ねた知識を使っての知的なふるまいや自由な行動を取ることが可能になる。古いドグマを持つ人工知能の中には自ら創作活動を行い、積極的に作品を発表するような個性を発揮する個体もいる。
そこで計都はこの船は元は移民船だったことを思い出す。航行システムは最新のものにアップデートされていても、大元になる基礎ドグマが古いままという可能性は高い。そしてロボットは作業用やコミュニケーション用を問わず、一見は自立稼働しているように見えてもネット回線を介して人工知能とドグマが繋がっている。稼働中に何らかの不具合が起きた場合、回線を遮断すれば故障したロボットを強制的に停止させることができる。
見かけはボロのこのロボットも、大昔のドグマに蓄積されている知識をフィードバックさせて稼働しているのだろう。だからこそ古い神話の天体について語り、つぎはぎだらけの身体で子供のようにふるまってみせる。
(面白いな、こいつ)
初めて計都はロボットに親しみの感情を覚える。眼前の存在を金属の玩具だと割り切るには挙動があまりにも人間くさい。そのあたりに制作者のこだわりを感じる。計都自身はまだそこまで深い知識のない船内保守要員だが、だからこそ尊敬の念を覚えた。
「ねえ、お兄ちゃん」
物事に対する視点が変わると、見上げてくる目線が無機質のカメラアイではなく小さな子供の好奇心に輝く瞳のような気がしてくすぐったい気持ちになる。この様子を見れば、船内で幽霊、というか幸運の女神扱いする他の船員の心情が理解できた。
「何だ?」
ぬいぐるみを抱えていたロボット、フィーはおずおずといった様子で手を出してくる。
「あたしのお兄ちゃんも迷子なの」
まだ他に同じようなロボットがいるのかと驚愕するが、フィーからそれ以上の情報はない。少しばかり考えたあと、計都はフィーの手を取った。当たり前だが金属なので感触は硬く冷たい。
「なら一緒に探すか」
途端、フィーはうれしそうにその場で何度も跳ねた。力をこめて握ってくる手は強かったが痛くはない。〇・七Gの重力下の中では重い身体の動きもどこかゆるやかだ。
歩き出そうとしたところで計都は気密扉が解放されたままだったことを思い出す。足を止めて振り返ると、出鼻をくじかれたフィーがこちらを見上げてきた。
「どうしたの?」
「や、あの扉が開いてるから」
「フィーが開けたの」
そうなのか、と納得しかけたが、なぜ癒し系ロボット(推測)であるはずの存在が、封鎖されている扉のロックを解除できるのかとまた頭を抱える。
「あそこ、フィーのおうち」
一瞬で疑問は破壊された。
「そう……なのか」
出てきたから、開いている。言われてみれば簡単な話だった。このロボットを常時見かけないと思っていたが、どうやら普段は気密扉の向こうにいるらしい。
なぜだろうとは思ったが、疑問が多すぎてどこから手をつけていいのかわからなくなる。考えようとするとフィーに手を軽く引かれた。
「お兄ちゃん、いないの」
そうか、と返して計都は時計を見る。少しばかり気密扉の前で時間を使いすぎてしまった。このままでは交代時間までに規定のルートを回りきれない。あふれている疑問は道々で解消しようと歩き出す。
「行こう、フィー」
その日、見回り時間いっぱいまでフィーと連れ立って船内を捜索したが、兄弟らしいロボットは見つからなかった。
フィーにたずねても、このロボットは物事に対する知識はあるようだが、年齢設定が子供のようで系統立てた会話をすることは苦手らしく新しくわかったことはなかった。
また一緒に探そう、そうやって別れようとすると最初はぐずっていたフィーだったが、根気よく説得を繰り返すとしばらくして納得したらしく、またねと手を振って走り出した。
その姿が消えるまで見送ってから、計都はフィーが走って行った先にある機密扉の向こうは例の閉鎖区画だということを思い出す。
「……幽霊の、すみか」
機関長はそう言っていたが、実際にいたのは不可思議なロボットだけ。
そして、ぬいぐるみの持ち主がフィーだったことに遅まきながら気がついた。
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