廃船航路
六神
第1話 この船には幽霊がいる
計都は顔を上げて振り返る。
通路の奥は非常灯が青白い光をにじませているだけで、手元のライトを消せば一メートル先も満足に見えないありさまだった。
だが、その闇に沈んだ先から声がする。泡が弾けるような声で笑っている。声と一緒に軽い足音が響いてくる。まだ幼い声だ。耳を澄ますと、それを察したのか声と足音は遠ざかり聞こえなくなってしまう。
ああ、まただ。
持っていたライトで声のした方を照らしてみるが、光量不足で届かない。だがスポットライト並に強烈な光を浴びせても、声の正体は知れないだろう。これまで何度か声の軌跡を追いかけたが、一度として光の輪の中に姿をとらえることはできなかった。これからもできる気はしない。
何せ相手は幽霊。姿も見えなければ、本来ならば声も届かない相手。
そんな奇妙極まりない存在が、この航宙船ロビン・グッドフェロー号には存在している。
「新人!」
雑に呼ばれ、計都は工具箱を指定の棚に置いて振り返る。散髪するタイミングを逃して微妙な長さになってしまい、頭の後ろでまとめている髪がふわりと揺れた。
航宙船ロビン・グッドフェロー号は人工重力発生装置を備えているが、エネルギー節約のために平常時でも地球基準の約七割、〇・七Gに設定されている。日常生活には問題のない設定値なのだが、慣性はそのままなので髪や衣服の揺らめきがまるで水底にいるような緩慢さになる。
だがその〇・三Gの差が足に障害を持った男には都合がいいようだ。計都に声をかけてきた初老の男性は、杖をついてゆらゆらと揺れながらこちらへ向かってくる。こつこつと杖の先が床を叩くがその間は少しばかり開いていた。
「機関長」
計都は男のもどかしい動作にも特に動じない。以前の事故で足を悪くしていると聞き及んでいたので相手の到着を待たずに自分から小走りに近づく。その動作も、走るというより飛び跳ねる動きだった。
「終わったか」
とはいえ、こちらが気を使っても相手の妙に鋭い眼光はゆるまないのだが。
「あ、はい。B8系統の第七六番管の調整はすみました、あとは……」
機関長は手を振って計都の話をさえぎる。
「残りは明日にまわせ。それより……出たのか」
一瞬、何を言われたのかわからなかったが、計都はうなずきを返す。
「出ました、幽霊」
そうか、と機関長は白いひげの生えたあごをさすると天井を見上げた。壁や天井には太いケーブルやパイプが何本も走り、見ているだけでめまいがしそうだ。効率よりも、ただ目の前の作業を優先させた末にできた不自然な空間。かなりごちゃついている船内の構造は何度も改修工事が繰り返された結果だ。
顔を戻すと機関長は言葉を続ける。
「おまえさん、初仕事が最終運航の船とはついてねえな」
話が変わったなと思いつつ、計都は相手に合わせる。
「そうですね。俺、この船を降りたらいきなり無職ですよ」
せっかく星間航路を走る輸送船のメンテナンスとしてもぐりこみ、念願の宇宙の旅へ出た計都だったが、初めての船は定期輸送船。決まった航路をただ往復するのみ。
しかも記念すべき初乗りとなるこのロビン・グッドフェロー号は今回の航路を最後に廃船が決まっている。貨物輸送というより、船自体を解体するために作業用のドッグがあるコロニー群へ向かっているのだ。日程は、一ヶ月半から二ヶ月を予定している。
船自体に意思があるとは思わないが、それでも自ら墓穴に飛びこみに行くような道程を進んでいる船の中にいると少しばかり気が重くなり、計都は隠れて息を吐く。
「ついてない……」
いちおう、下船先で次の仕事の紹介はあるそうだが、それを受けるか自費で出発地点兼出生地でもある火星まで戻るかは個人の判断に任されている。
要するに、使い捨てだ。
これでは何のために何十時間も講習を受けて免許を取得したのかわからない、と計都はなげくがその肩を機関長が叩く。
「そう気を落とすな。首を切られるのはみな一緒だ」
彼らの横を、機関長と同年代の男たち数人がすりぬけて行った。今回の航路はベテランぞろいと言えば聞こえはいいが、単に就業期間だけはやたらと長い、もうリタイア寸前の人員がほとんど。若い世代は計都のように初心者マークが外れて間がない新人ばかり。
新人とベテラン。コンビを組ますにはうってつけだが、この構造の意味するところはひとつ、この船には働き盛りの中間層がいない。それなりに経験を積んでいた者たちは船が廃船と聞くや否や方々に散って面接を受け、新たな就職先をつかんで去って行った。そして加速度的に船員の平均年齢が上がってしまった船はこのままでは人員不足のため最終運航便が出ないところまで追いつめられてしまう。
このままでは契約不履行で船会社が訴えられてしまうため、問題を解消するにあたって経験不問で若い世代を緊急募集したのだ。
おかげで未経験者で十代の計都はやすやすと船に乗ることができたが、老人とその孫世代しかいない船内では毎日どころか一時間ごとに何かトラブルが起こっている。このままではこの航路を最後に引退を決めて乗りこんだベテランが過労で倒れてしまう。その前に右左どころか上下もわからない新人が少しでも使えるようになるかは望み薄だ。
募集要項にあった、仮免が取れたばかりの新人でもベテランが丁寧に教えますという文句は間違いではなかったが、書かれていない部分にこそ真実がつまっていたなと計都は隠れて嘆息する。
『あなたは合格です』
計都は自分を面接した人工知能が笑顔のグラフィックでそう告げた直後、比喩なく飛びあがった。だがしかし、次にその笑顔のまま人工知能の彼女が「この船は今回が最終運航便で片道のみの業務となりますがそれでもよろしいでしょうか」と言って天国から地獄に叩き落としたことを一生忘れないだろうと嫌な思い出リストに刻みこむのだった。
天国と地獄を同時に味わった計都だったが、黙考数秒でこの仕事を受けた。たとえ一度の航海でも片道切符でも、経験者という肩書だけは船に乗らなければ手に入らないのだ。
機関長も同じことを言って励ましてくれる。
「おまえさんにはまだ先がある。少なくとも、航宙船に乗ったっていう実績は残るんだ。次の仕事もすぐに見つかるさ」
そうかな、だったらいいなあと計都は肩を落とす。
「実績になりますかね。この船、今回は人員の輸送なし、貨物だけだし」
一般というか、世間的なイメージの宇宙の旅というと、新しい惑星や資源を探す船が一番輝かしく、次に人を運ぶ船や観光船、大きく差をつけて貨物船となる。そして貨物船の中でも安全が確立された航路を往復するだけの定期輸送船は、評価のランクとしては下位どころか存在からしてなかったことにされている。完全に裏方的な扱いだ。
さらに付け加えると、計都の初乗船となる記念すべき航宙船ロビン・グッドフェロー号は今回でお役御免となるうえに片道しか運航しない。
正規の仕事の半分しかこなしていない事実を略歴に何と書けばいいのか。
悩みあぐねて頭を抱え、行ったこともない地球よりも若干軽い重力内で計都はもがく。
「貨物だって重要な資源だ。供給の循環が途切れると、絶対にどこかで行きづまってそこから崩壊していくんだ」
「それはわかりますが……」
「なあに、この船はもっているんだ。そう心配するな」
ああ、と計都は顔を上げる。この船に乗ってはじめに聞かされた話だ。
面白い話を教えてやるよ、と悪戯でも思いついたような笑みを浮かべながら機関長は語りだす。
この船には、乗船名簿にない人物が乗っている。
見た目は少女。だがその姿を見ても通報も捕獲もしてはならない。
なぜなら、彼女はこの船の女神だから。
最初は老人の与太話と相手にしていなかったが、その日のうちに計都は考えを改める羽目になる。
いたのだ、幽霊が。
この船は貨物船なので空間のほとんどは倉庫になっている。船内の照明は最低限で、区画によっては非常灯のみということも珍しくはない。しかも配線やパイプが壁や床を問わずはみ出して歩きにくいうえに、急に気密扉が行く手をふさぐ。その様は完全に迷路で、暮らしやすさや快適さとは無縁の空間だ。
そんなうらぶれた船内での初日、船内時間で夜になったので計都は新人の仕事として見回りを言いつけられた。まだ常に手元に図面がないと自分の位置も見失いそうな状況でさまよっていると、頼りない明かりの中を走り抜ける影と笑う声を認識した。
小さく、幼い姿だった。
その足で影とは逆方向へ走った計都は、自身に与太話をふきこんだ機関長のところまで駆けこんで先ほど見た光景を多分に私感混じりで訴える。聞き終わった男は、それみたことかと嘲笑う真似もせず、もう少しばかり続きを語ってくれた。
計都が泣く泣く乗りこんだ、片道切符の航宙船ロビン・グッドフェロー号は、元は貨物船ではなく移住船だったと老いた男は告げる。それもただの移住船ではない。居住可能な星を探す旅をするために設計された、特別な船のひとつなのだ。
過去、新天地を求める者たちが、それこそ貨物のように移民船に集められ、ひとつの種子として住み慣れた惑星を飛び出し新たに母星となる先を求めた時代があった。
大移民時代。
いまから二百年以上前、第二の故郷を探す旅としてはじまった計画だが、その実態は、人類発祥の地である地球上に飽和した人類の数を減らし、わずかに残った資源を守るためだった。華々しい美辞麗句で飾りつけられた言葉の裏にあったのは、ただの棄民。
もう地球上は戦争を起こして人命を削ることもできなくなるほど資源は枯渇し、何もかもが疲弊していた。だというのに、地球の総人口は増えるばかり。
戦争もできない、医療技術の進歩で致死性のある疫病もそう簡単には流行らない。このままでは人類の死亡原因の一位が餓死か自殺になってしまうと危ぶんだ政府は、数が減らせないなら余所へ捨ててしまおうと、残ったわずかな資源をかき集めて移民計画を実行したのだ。そうやって地球外へ遺棄された人類の数は億単位に上る。
彼らは切り捨てられたことを自覚しつつ、ならば新たな種として別の場所で花開いてやろうと意気ごみ、自身を育んできた大地を離れた。
指し示す道標も地図もないまま方々に散った移民船の大半は、どれも数年後には吉報がないまま連絡を絶った。中にはこのロビン・グッドフェロー号のように、船内設備の不備により、当時植民地として開発が進んでいた火星へ戻ってきた船もいる。出発地点である地球へ戻らなかったのは受け入れを拒否されたから。
そのような不慮の事故や政治的な思惑を幾重にも重ね、初代の移民船が旅立ってから二百年を越えたが、居住可能な惑星が見つかったという報告はいまだにない。
そして人類の一部を放逐した地球はその後、火星の地球環境化が成功してからは逆に地球を脱して移民となる人類の勢いが増していった。現在の地球は一部の都市に人口が一極集中化することでかろうじて生産性を保つ程度となり、人類発祥の地という名誉以外に誇れるものがない存在と化している。
親の代から火星生まれの計都は、古い世代が地球を信仰の対象のようにあがめて一度は降りたいと口にする姿を見てきたが、彼と同年代の若者は懐古趣味としか見ていない。あの青い惑星は彼にとってその程度の存在でしかない。
人類の隠したい歴史の遺産となる移民船は本来の名前を消され、移民船から貨物船へと改修されて火星とコロニー群の間を繋ぐ定期航路を往復する船となった。
そんないわくのある船に幽霊が出ると噂が立ったのは就航直後。そこから二十年、噂は消えないままだが不思議と大きなトラブルもなく運航を続けている。
「こいつは古い船だ。閉鎖区画も多いし、幽霊話のふとつやふたつ出てくるだろうよ」
閉鎖区画については乗船前に軽く注意があった。この航宙船は古い船を増改築しているので現在では立ち入ることができないエリアがいくつか存在していると。実際、船の図面には黒く塗りつぶされた区画が複数ある。ただ幽霊がいるとは聞かされなかったが。
閉鎖区画に入るんじゃねえぞ、と計都は機関長に釘を刺され、わかってると返す。
「あそこは幽霊のすみかだ」
またそれか、と聞き流しそうになったが、機関長は入るなよと繰り返す。
「幽霊話は置いといて、あの気密扉の向こうの区画は修理を放棄されて封印された場所だ。下手に入ると迷ったり、最悪、薄い扉ひとつ開けたらそのまま真空へ放り出されるかもしれねえ」
まさか、と笑い飛ばしそうになったが不意に背筋がひやりとする。乗船してまず気づいたのが、船内にある無秩序な改装の痕跡だった。この船には扉の向こうに扉があるといった無意味な個所がいくつもある。配管がぎっしりとつまりすぎて体格のいい乗員は修理したくとも身体が入らないような場所もある。古い船がそのときの状況に合わせ、場当たり的な増改築を繰り返したからだ。
機関長の言うことも一理ある、と計都は心のクリップボードに留めた。
「けど、無事故なのにたった二十年で廃船っておかしくないですか」
船内の住環境はお世辞にも快適とは言い難い。出航してからもトラブル続きだが、娯楽の少ない船での暇つぶしと経験値を積むためと考えればそこまで悪くはないだろう。
機関長はそうだな、と返してひげをなでつける。
「輸送船になってからは二十年だが、そもそもが移民船だ。初期建造時期は二百年を越えているからな」
それもそうかと納得はできるが、かつての移民船が改造されて輸送船になった例は他にもある。そのどれもがあと五十年は使う予定が組まれていた。古い船には現在にはない利点もあるので少々調子が悪い程度では廃船にはされない。
この船だけが、例外なのだ。
「何でこいつだけ……」
同じ移民船の経歴を持つ輸送船に就職するならあと五十年の猶予がある方へ乗りたかったと計都は肩を落とす。
「なげきたくなるのもわかるがよ、次のオーナーが廃船を決めてるんだ、俺らにはどうすることもできねえよ」
この船は最終運航に出る寸前にオーナーが変わった。より正確に言えば、新オーナーが輸送船として使うことなく廃船を決めたのだ。
機関長はこの船が輸送船として活動開始した直後からの古株で、最後の運航を見守るために居残った。ここにはそんな人間がたくさんいる。中には、船を降りたところで次のあてもないので惰性で続けている者も多い。少なくとも、この航路を最後まで付き合えば、次の働き口の紹介だけは受けられるのだ。
「だから、なぜなんだ。何でわざわざ買い取った船をそのまま廃船にするんだ」
計都は会ったこともないオーナーに向けて恨み節をぶつける。
「さてね。幽霊船をひとりじめしたくなったのかもな」
そんな道楽で輸送船一隻を丸ごと買い取ったあげくに廃船にするなんて、貯金残高を見てもため息しか出ない計都には酔狂どころか狂人の発想にしか思えなかった。
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