第39話 新たな転属先は


 今少し困惑している、というのも、目の前のアリアスがスプーン片手にこちらを向いているからだ。なにをしているのか、単純な話だ食事をするべく用意している、私の食事をな。


「はい、ターニャ姉さま、あーん」


「いや、アリアス、食事位は自分で出来る。今までだってそうだったんだ、それは必要ないぞ」


 入院してからベッドの上で生活だったが、スプーンくらいは問題なくだな、おい聞いているのか!


「私がやりたくてしているんです。それに看護師長の許可も取っているんですからね。安心して任せて下さい」


 要介護な状態ではないぞ、せめて要支援だ。なんというか、恥ずかしいからやめてくれ。おい同室の者ども、羨ましそうな顔をするのもヤメロ。


「それは解ったが、自分でしなければ治りも遅くなる。だからそいつを渡すんだ」


 頬を膨らませて「ぶぅ」と不満顔をされてしまう、いいか、譲れない戦いはあるものだぞ。はぁ、とため息をついて「わかりました、でも一口だけはさせてください!」キリッとこちらを見られる。


 アリアスに悪気が無いのは理解しているし、わざわざこうやって傍に居てくれているんだ、多少はこちらが折れるべきなんだろう。仕方ない、仕方ないんだ。


「一口だけだぞ、その後は自分で食べる」


「わぁい! それじゃお姉さま、あーん」


「あーん」


 チキンライスが乗ったスプーンを口に突っ込まれてしまう。満面の笑みで見て来るものだから、つい視線をそらしてしまった。まったく、ここは軍病院だぞ。


「退院したら、ノルデン勤務に戻るわけではなさそうだ。戦争が起こっていると言うのにな」


 勲章を私のところへ持って来た時に小耳に挟んだが、別部所へ転属することになるらしい。或いはノルデンに残りたければ、その時点で希望を上げれば対処もしてやろう、との配慮だったのかも知れん。


 哨戒任務中の遭遇で墜落して入院中なわけだが、その間に協商連合は帝国へ宣戦布告を行ってきた。海を挟んでの睨み合いが、北方の係争地を舞台に本格的な戦争にとって代わっている。準備万端出撃してきた協商連合が初戦では優位に立って、帝国が防戦一方というのが現状だ。


「増援が続々と北に向かっているって話ですよね」


「列車は軍人で一杯になっているかも知れんな。何せ大量に、安価に、定期で輸送できる列車を利用しなければ話にならん」


 帝国は国内に鉄道を敷いているわけだが、他国に比べるとこれが多い。経済発展の為でもあるが、広い国土を輸送する手段を多角的な意味から強く求めていたからに他ならない。国土の防衛に使うつもりで敷いた路線だってたくさんあるだろう。


「馬車や河船じゃ時間かかりますもんね」


 自然を利用した河船、こちらは莫大な輸送能力を誇るが、その半面で河がある所でしか使用できない。無論これを使わない手はないが、これだけでは偏った輸送になってしまう。河沿いの都市までは船で運び、そこから馬車できめ細かくというのが少し前までのやり方だ。まさに中世の交通手段といった感じだな。


「時間もそうだが、鉄道はこれから軍では戦略的な機動を行うのにも重要な位置を占めて来る。戦争が起こったなら近いうちに判明するが、こいつがあるとないとでは戦い方そのものが変わって来るからな」


 即ち物量の違いは、戦争の形態を様変わりさせる。鈍重でじわじわと広がっていく事しか出来なかった戦場の推移が、錐が突き刺さるかのような鋭さになる。言葉では説明しがたいが、事象として必ず影響を与えて来るぞ。


「お姉さまって時々凄いですよね、どこでそんなことを学んだんですか?」


 凄いのは時々だけか……まあいいさ。能ある鷹は爪をかくすというからな!


「各地の図書館にはそういった関連のものが埋まっている。アリアスも時間をとって本を読んでおくと良い」


 実際は歴史の教科書だの戦記アニメの受け売りだがな! 座っていても寝ていても移動が出来るのは優秀だ、速度は超一流のマラソンランナーが走る位の低速だとしても、休まずに延々と、それも何十両も連ねて動けるのはあまりに魅力的だ。


「そうしますねっ! ところでノルデンでなければ次は何処に?」


 そいつは私も知りたい、願わくば安全で楽な部署にして欲しいものだな。やりがいを求めてなどいない、歴史編纂部署などでも結構! 別に功績を上げたいわけでもないし、何なら昇進だって不要だ。ただただ平和に過ごせるところで是非とも飼い殺してくれ。


「さあな、私などその他大勢の一人で構わん」


 他愛ない話をして時間が過ぎていく。いよいよアリアスが戻ってしまう日がやって来ると、別れがたい表情を前面に出して傍で肩を落とす。再会は嬉しいのは、辛い別れがあるからだな。


「ほらもう帰る時間になるぞ。そんな顔をするな、せっかく可愛いのに曇ってしまうぞ」


 うむ、何ともいけ好かないセリフだが、それなりに有効だったらしい。


「お姉さま、約束してください。次の配属先が決まったら、お手紙をくれるって」


「うむ、そんなことか、約束する。保留の可能性もあるが、それならそれで連絡をする」


「私待っています、またこうやって会える日のことを」


 なんだか恋人同士の別れのようではないか、ただの……なんだ、先輩と後輩の仲だぞ。特別感があるのは否定しないがな。


「私もだ。軍人は時間厳守だ」


 帰りの馬車までもう一時間を切っている、駅まで走っていけば間に合うだろうがギリギリは褒められたものではないぞ。鞄を足元に置くと最後に抱き着いて来る、ふふ、子供だな。


 よしよしと背に腕を回してぎゅっとしてやると、アリアスが顔を上げてこちらを見詰めて来る。そして、徐に唇を重ねて来た…………なにぃ! ちょ、いかーん! ど、どういことだこれは、まさか別れにキスするのは常識だったりするのか?


「お姉さま、私の事を忘れないでくださいよ」


「わ、忘れなどするはずがなかろうに!」


 こいつ、子供だなと思っていたのに何ということを。うーん。笑顔になって離れると手を振って走っていく、私はその背がみえなくなるまでずっとその場で立ち続けていた。


「もしかしたら、お互い一番家族に近い存在なのかも知れんな」


 妙な感傷に浸ってから数日、新たな部署への配属命令が下った。本国戦技教導隊付技術検証要員でエレニウム開発工廠。出向先の責任者はドクター・アーデルハイト・フォン・シューゲルになっていた。

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