第32話 コーヒーのお味は


 士官学校の一般的な卒業は九月の末の話だ、十月が新たな区切りになるのだから当然と言えば当然だが、どうにも生前の感覚だと三月がソレだな。入校は魔力検査が判明次第なので不定期、魔導科以外は十月が新入で揃っているぞ。


 夏の暑い盛りに入校して、三連続の試験突破、少尉に任官して配属先は北方軍管区、ノルデン地方と決定が通知された。ノルデン地方はいわゆる係争地だ、レガドニア協商連合と帝国でその主権を争っている場所だな。


 南西では共和国と国境付近で小競り合いをしていたが、こちらでも同じように死人はそこそこ出ているらしい。だからと戦争をしているのかというとそうではない、あくまで事故による落命という話だ。お互いそういう体裁を保つのが、政治的によろしいと判断されているわけだ。


 というわけで雪がまだ解けはじめる前の三月、コートを羽織って白い息を吐き、私はハンネブルグに降り立ったわけだ。帝国最北端の都市で鉄道があるのがここまでで、この先は道路も満足に敷かれていないそうだぞ。


「軍帽ではなく毛糸のものを被って来て良かった、着任するまでは非番だ、違反はしていないぞ」


 誰に対して言い訳をしているやら。風が冷たいな、喫茶店にでも入るか。赴任期限を一日残しての到着だからな、急ぐことはない。交通の不具合を鑑みた余裕を持たせての辞令、ありがたく享受しておこう。


 扉に括り付けてある鈴がカランカランと音をたてる。店内から視線が向けられるが、直ぐに興味を失い元通りにする客がほぼ全てだ。カウンターに並んでいる椅子によじ登り店主へ「暖かいコーヒーを、砂糖とクリームをたっぷりだ」心が躍るオーダーをした。


 数分で香りはコーヒーだが見た目は何だかわからない、白いものがこんもりと乗せられたカップが差し出される。ほほう、こいつがここのウインナーコーヒーか。


 にやりとして一口飲もうとすると余りの熱さにすぐに口を離してしまう。なぜウインナーというかだが、ウィーンのナーだからだ。即ち、古都ウィーン風のコーヒーということだな。あの都は生クリームを良く使う、甘みの無いもので濃厚さを追加するもので、チョコレートケーキにジャムを挟んでクリームを使い甘みを調節するのもあるぞ。


 スプーンで蓋代わりになっているクリームを混ぜ込んでやり温度を下げると、今度こそ一口。濃厚な味わいと鼻腔をくすぐる刺激ある香り、甘みと苦みの調和が何とも心地よい。


「ああ、なんと美味しいのだろう」


 つい呟くと、店主が笑いながらやって来てビスケットを数枚差し出してきた。何かと首を傾げていると「ウチのコーヒーをそんなに美味そうに飲んでくれた礼だよお嬢ちゃん。大したもんじゃないさ」皿に載せられているそれを見て礼を言う。


「ご好意に感謝します」


「ほう、随分と大人びた喋りだな。感心だ。見ない顔だが近所の子じゃなさそうだが?」


 別に私の事を調べようという諜報員ではないだろうが、素直に明かしてしまうのも良くないな。かといって嘘をつくのも気が引ける、曖昧にしておけばいいか。


「帝都から引っ越して来ました。明日には別のところへ行っているので、宿を取るために寄ったところです」


 うん、何ら怪しいところもなく矛盾しない。店主もそれで満足したようで引き下がって行った。もしかすると私は存外対人能力が高めなのではないか?


 口に出せばダースで激しい抗議を受けそうな感想をコーヒーと共に飲み込んでしまう。話には聞いたことがあるが、兵営では代用コーヒーなるものが存在しているらしい、そこいらに咲いているタンポポを炙って茶にしたのをそう呼んでいるとか言っていたが、私は騙されんぞ。


 ハンネブルグには北方軍前線司令部とかいうのが置かれている、だからこそここにやってきたわけだ。司令部に出頭すればそこから私の軍人生活がスタートすると言っても良い位だ。今まではあくまでプレ活動だからな。


 置かれている地方紙を拡げてみると、帝国の政治経済や、諸外国の政策などが綴られていて、ノルデン地方近隣の三面にはこう書かれていた。


「協商連合との係争地で小競り合いが頻発、か。お互い黙っていては相手の権利を認めることになるからな」


 仲良くしろと言うのは実は間違いだ、小さくでも争っていなければ一つ一つの動きが大きくなってしまい、取り返しがつかない方向へ進んでいく。これは予言ではなく多くの歴史がそう証明している。諺や慣用句でいけば、嵐の前の静けさあたりか。


 帝国と協商連合の間には海がある、そしてノルデン地方はその海を挟んで近い場所にある島などを含んだ、フィヨルド形成地帯。複雑な地形のせいで行政統治が行き届かず、海賊まがいの存在が個別に各地を支配していた名残で、どちらにも属さない空白地帯かのような扱いをされている。


 実際、海を越えようとするのでなければ支配していても意味が無いどころか、管理費用が馬鹿みたいにかかるだけの岩場に過ぎない。だが、海の先の国に用事があるならばここを占領しておく必要がある。攻めるにも守るにも。争いがおこるのは必然、時間の問題だろうな。


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