第10話 頭脳労働の代価はお菓子
ホテル・グランレッド、軍営があるのが十七番なので目と鼻の先だ。時折見かけるホテルなので、その豪華さは重々承知していた。工作員ならば随分と予算がつけられているんだな、こちらとは大違いだ! 痩せたジャガイモや、スジばかりのウインナーを配給される身としては、そこはかとなく悔しい気持ちがあるぞ。
とはいえ憶測でばかり物事を進めるのは良くないな。ここは一つ状況の把握に努めるとしようではないか、ロビーで突っ立っていては目立つ、仕方なくラウンジに行くべきだろう?
「巡査部長、奴らに気づかれては面白くないだろう、ラウンジで調査を行うぞ」
「ホテルの協力を仰ぎましょう、警部補もこちらに合流するようです」
これは公務の一環だ、警察に協力する善意の市民とホテル従業員という形が実に望ましい! これならばあれこれと文句も言えなければ、各種の費用請求も個人にはしまい。
外向きのカウンター席ではなく、観葉植物があるテーブル席を一つ占めてしまう。フロントマンではなく、フロアマネージャーがやって来てすぐ傍に立った。視線は当然私たちではなく巡査部長に行っている。
「二人組の男について聞きたのですが、ご協力していただけますか?」
「ええ、もちろんです。一人はニコライ・アクショーノフ二十五歳、もう一人はアレクサンデル・ロマノフ二十八歳、共に連合の正規旅券と旅行ビザを持っていました。部屋は三階の四〇四号室です」
まあこれについては最初は違和感があったが、それは仕方ないことだ。帝国というか、このあたりでは地上階がベース階であり、私の感覚では二階にあたる部分が一階という風に一つズレて数えられる。こんなことで後々勘違いして大失敗をするつもりはないぞ。
「まさか筋肉大好きなお友達が、新年を男同士で過ごそうと言うわけではあるまい。何かしらの仕事と考えた方が常識的ではないかと私は思うが」
皮肉めいた喋り口にフロアマネージャーが苦笑する、どうして子供がここにいるのかといった視線なのはもう慣れっこだ。ケーキと紅茶のセットを楽しむのはアリアスだけでは寂しいだろうから、私もそれに付き合ってやるとしよう。
「確かに珍しくはありますが、そのような客が皆無というわけでも御座いませんので」
誤認ではホテルも迷惑するから良く調べろと、遠回しの物言いだな。そういう捜査は警察がする、心配は要らない、多少時間が掛かってもその間にラウンジで時間を潰せばよいんだからな!
「旅券の写しをこちらへ。本部に問い合わせをかけます」
黙っていても捜査は進む、なんと素晴らしいことだろう。助言者として傍に居る、私はきっちりと役割を果たしているぞ。そうだな、二皿目のケーキを注文して良いくらいの働きはしているつもりだ。
遅れて合流した警部補、やってきた直後に目をパチクリとしているので巡査部長に説明をさせた。警部補はマスターサージ級、最高下士官にあたる、つまりは将校の真下に位置する私たち士官候補生よりやはり下になる。
「警部補、アクショーノフ伍長と、ロマノフ軍曹は共に連合の軍人で現在長期休暇中との返答が本部より来ました」
おかしな点はない、軍人だって休暇が与えられるし国外へ旅行にだって行く。部隊で友人になったやつだっているだろう。まさに選ばれてここへやって来た二人組だというのがうかがい知れるな。
「情報部の人間が、調べて解るような部署に所属しているとは思えん。こういう時の偽装は得てしてどうとでもしやすい、国防省勤務などが多いな」
パンケーキにフォークを喰い込ませて、マニュアルに記載されていそうな部分の指摘をしておく。警部補が視線をやると「りょ、両名とも国防省福祉課勤務とのことです」巡査部長がメモを読み上げた。疑惑はますます深まった、ただそれだけだ。
「私がもし旅行するなら、泊まる場所を先に押さえておかないと不安ですね」
シフォンをナイフで切り分けてアリアスが視線も向けずに呟いた。旅行慣れしているならともかく、活動に傾注するようなやつらならば連泊をしているだろうな。フロアマネージャーが「初日から七泊を承っています」三日目だと補足した。
「控えめに言って、いくら首都でも同じ場所に七泊もするより、旅行ならばあちこち泊まり歩いた方が移動も楽だろうな。貴官らはどう思う?」
なお移動は労働に含まれていない、その上予算は限られていてホテルの予約も自力で行え、食費は昼だけ、領収書が無ければ経費支払いはない、そんなブラック企業は爆ぜろ! ……ふう、少し過去を思い出してしまった。
「首都で何かしらの目的があるわけですか」
「巡査部長はあの二人以外にも仲間が居そうだという話だったが、下士官兵だけが独自に動くとは考えづらい。どこかに指揮官――将校が居るだろうな。そしてそいつは決してホテルに七連泊などしていない」
兵が目立つことがあっても、将校はその間に消え去るだろう。この手の奴は探そうとしたって見つかりはせん、どこかで偶然目にすることでもあればそこから追い立てる位の話だ。
「民間宅にでも宿泊しているとしたら、我等ではどうにも」
今は二人の容疑を固めるのが先決だろう。万が一、ホモクラブの会員だったら熱愛の邪魔をするのはいただけない。恥かしくて職務質問から逃げて捕まるのは、果たしてどうだ?
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