声にコンプレックスしかなかった僕がある日推しに激似の声を手に入れ、とりあえずネット配信してみた

ナガレカワ

第1話 僕がハマったきっかけは

「なんかお前の声って気持ち悪いな」


突然言われたその台詞。相手はもう覚えてすらいないだろう。

しかし、僕の中でその言葉は重石となってのしかかり、僕から声を出すという意欲を奪った。


今日も僕は声を発さない。家では挨拶の代わりに頭を下げるし、何か言いたければ身振り手振りか筆談。

学校では声を発しなくていいよう、友達はいないし、話しかけられても頷くか首を振るだけ。意外と声を出さなくたって人間は生活することができるんだよ、知ってた?

最悪なのは授業で当てられた時。これはどうも避けようがない。なんで一人一人に当てるんだろうな、何の意味もないよ、あんな行為。

そういう時は出来る限り自分の声を変えて、でもはっきりということで何回も言うことを避ける。

誰も僕の声に耳を傾けないように、気持ち悪いって思われないように。

自分も聞きたくない、自分の声なんて。


今日は早く帰らないと。

僕は学校が終わると急いで家へと向かった。

今日は僕が楽しみにしていたあの日なのだから。


こんな声を一切出さない僕だが、何も人の声も嫌いなわけではない。

むしろ、人の声を聴くのは好きだし、自分の汚い声を発さないことで、かえってたくさんの人の声が聞こえてくることはとても素晴らしい。

あの人の声は低くてよく響く。あの人は高いけど心地よい高さで耳心地がいいな、ってね。

人の声は色々な特徴があってずっと聞いていたくなる。あぁ、自分の声も綺麗だったらよかったのに。


さて、なぜ僕が急いで家に帰っているのか。それは、今日は僕の好きな声優『水流凪(つるなぎさ)』の最新作のアニメが録画されているからだ。

本当はリアタイしたかったんだけど、学校がある身としては深夜1時まで起きていることは厳しい。


僕が水流凪に出会ったのはトラウマにより声を発せないどころか、部屋からも出ることができなくなっていた時だった。


僕の声って気持ち悪かったんだ、みんな僕の声を気持ち悪いって思ってたんだ。

誰とも話さなくてもいいように、家族すらとも話さなくていいように僕は部屋から出ず、ただぼーっとする日々を過ごしていた。

頭の中の自分の声をかき消すように、僕は惰性の中で動画を流していた。

何かを聞いていれば、何も考えなくて済む。考えなくて済めば自分の声を思い出すこともない。

しかし、そんな惰性で流していた動画の途中に挟まってきたCMの声から僕は耳が離せなくなった。

そのCMはあるアニメと何かのコラボだったと記憶している。たった15秒のいわゆるPR動画だったが、その声の主に僕は耳を奪われた。

決して特徴があるわけではないが、聞いたことはないのにどこが懐かしい声。低すぎず、高すぎず、ただ人を落ち着けるためにあるような声。彼の周りにある空気が全て振動し、彼のために震えているような、何度も何度も聞いていたいと思わせる声。

その声に僕は一瞬で魅了されたのだ。


彼の声と出会ったことをきっかけに、僕は、彼のことを調べ、コラボCMのもととなっているアニメを見てますます彼の声に夢中になった。

それ以来、僕は彼の声を聴くことだけが生きがいとなり、部屋からの脱出を図ることができたのだ。


家に帰り、僕は他には目もくれず、録画されているアニメをつける。あぁ、楽しみ。

アニメが始まり、水流さんが演じるキャラクターが出てくる。

あぁ、なんていい声なんだ。低いが低すぎることはなく、美しく空気を振るわせるその声。耳心地がいいにもかかわらず、圧倒的な声の存在感。

この人の周りの空気は信じられないほど澄んでいる気がする。

そして何より、このキャラクターが実際に存在していると思わせる演技力と違和感のない声の質。

最高すぎる。


30分という時間はあっという間に過ぎ、次回予告も終わってしまった。

あぁ、最高だった。

今回は珍しく悪役だったから大丈夫かなと少し心配していた部分はあったが、全くそんな物は杞憂だった。

今までの彼の印象を払拭する声の質と高さ。しかし、魅力を損なうことなくさらに上乗せするような発音と声のとおり。

あぁ、来週も楽しみだな。

来週もこのために生きられるよ。

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