──ルルは、キール様と会いたくありませんでした

「──っ!」


 エレベーターのスピーカーから聞こえる声の主に意識を向けながらキールが声を漏らす。すると声の主が言う。


「この国のカジノは世界一でね。当然、防犯装置や警備セキュリティも万全だ。ネズミ一匹の侵入など、すぐに分かるんだよ」

「………………」

「お前は完全に閉じ込められている。一緒に侵入したお仲間数名はすでに拘束しているよ。無駄な抵抗はやめて投降とうこうしなさい」

「嘘だ、オレは一人で来た」

「……なるほど。やはり侵入者は“お前だけ”なのか」

「!」


 おもわず相手の決めつけを否定してしまい、キールは一人だという情報を与えてしまった。相手のカマかけにキールは引っかかってしまったようだ。声の主は続けて言う。


「たった一人で何をするつもりだったんだ? お仲間の奴隷解放運動武装組織テロリストどもは、お前を捨て駒にでもしたのか?」

「?」

「とぼけても無駄だ。お前の所属してる“奴隷解放運動武装組織テロリスト”の仲間がこの国に潜伏しているんだろう? 私の情報網を舐めてもらっては困る」

「テロリスト?」

「………………………………………………………………ブチッ──」


 キールがつぶやくと、スピーカーの声の主が沈黙する。10秒ほどの沈黙のあと、通話を切られてしまった。するとエレベーターが再び動き出す。


「──おわっ!」


 最上階に向かって登っていくエレベーターの中、キールは最上階を睨んでいる。額にはポツポツと汗が浮かび、こめかみと頬の上を一滴の汗が流れ落ちた。最上階まで到達すると、エレベーターのドアが自動で開く。


「大人しくしろ」


 ドアの先で取り囲むように黒服の男たちが並んで銃口を突き付けており、その中の代表と思われる黒服の男がキールに言った。抵抗せず両手を上げたキールはエレベーターをゆっくりと降りる。


 ガッ!

「!」


 突然キールは後頭部を殴られた。その衝撃で意識を失いかけるが、かろうじて気絶はしなかった。すると薄っすらだが会話がキールの耳に入ってくる。


「さすが、お見事ですルルさん」

「……この侵入者をろうにお願いします」

「分かりました。おいお前ら、コイツを牢に運べ。ちゃんとくさりで両手を繋いでおけよ」


 するとキールの体を複数人の男が乱雑に掴んで持ち上げる。そこでキールの意識は途切れた──。


                   *


 月明かりが窓から差し込むラグナスタワーの一室。縦に長い大きな窓際に書斎机があり、インクやペン、書類の束などが机の上に整理されて置かれている。


 そこに一人の老吸血鬼が安楽椅子に座って窓の外を眺めていた。すると部屋のドアの向こうの廊下から、カツカツと近づいてくる足音が聞こえてくる。足音はドアの前で立ち止まって言った。


「侵入者を捕らえました、ベガ様」

「よくやった。入りなさい、ルル」

「失礼いたします」


 ガチャ……ンギィィィ。

 ガチャン。


 ルルは部屋の中に入ると一礼する。ベガが振り返らずに手招きをする。ルルはそれに従ってベガに歩み寄った。月明かりに照らされた老吸血鬼の素顔が露わになる。しわのある老いた顔だ。するとベガがルルに言う。


奴隷解放運動武装組織テロリストについて何か知っていそうだったか?」

「おそらく無関係かと」

「……そうか。まぁいい、どのみち侵入者に人権はないのだからな」


 すると、ベガがルルに語り出した。


「今や私の国は、正義信愛教の方々もお忍びでいらっしゃる“正義正しい”と認められた健全なカジノ国家だ。それはつまり、奴隷の運用も正義だと認められている証拠だ。発電を主に、彼らに様々な仕事を与えることによって鬼族の過去の罪を償わせている。そうだな? ルル」

「はい、その通りです」

「罪人を更生させ、救済するためだというのに……。それを古臭い倫理観を振りかざし、私を悪と罵るとは……あきれてものも言えないな」


 奴隷解放運動武装組織テロリストのことを古い考えに囚われた、愚かで可哀想な連中だと言わんばかりの表情で、ベガはため息をついた。何か言いたそうにしているルルがベガに訊ねた。


「その……ベガ様。侵入者あの者処遇しょぐうは、どうなさるおつもりですか?」

奴隷解放運動武装組織テロリストどもとは無関係だとしても、あの男は懸賞金をかけられた賞金首だそうだな。なら世界正義犯罪粛清機構WJCPに渡してしまいなさい。それが“正しい行い”だ」

「………………………………………………」


 ベガが机の上に置いてあるキールの手配書を指さしながら、続けて言う。


世界正義犯罪粛清機構WJCPにも正義信愛教の方は大勢いる。私の友人である彼らも喜んで受け取ってくれるだろう」


『世界正義犯罪粛清機構(通称、WJCP)』とは、正義信愛教の「正義」を基準に世界各国の警察機関により組織された国際組織である。現時点での加盟する国・地域は200カ国を超えている。


 加盟する条件は正義信愛教を国教にしていなければならない。つまり、すべての国民が信奉すべきものとして保護し、宗教として正義信愛教を公認している国家でなければ加入できない。


 世界正義犯罪粛清機構WJCPは国際犯罪者の粛清を目的としており、世界で唯一『現行犯死刑』の執行を許されている機関である。犯罪者と判断された者を現行犯逮捕と同時に、その場で好きに処刑して良いというものだ。


 通常、犯罪者は捕まったら裁判にかけられることになるのが普通だが、この組織にそんな常識は通用しない。冤罪の可能性? 彼らの行いは全て正義であり、常に正しいのです。


 ルルは苦しそうに沈黙していた。何か思うところがある様子である。ベガがルルに言う。


「どうした? 何か問題があるのか?」

「……いいえ、ベガ様の言う通りです」

「よろしい」


 ルルが一礼しながら言った。ベガは窓の外を見つめながら言う。


「そういえば、今日は“まだ”だったね。さぁこっちにおいで、ルル」

「……はい」


 書斎机を避けてベガの目の前にルルが歩み寄る。目の前にはどっかりと黒い動物の革でできた椅子に足を広げてベガが座っている。


「失礼します」


 ルルはそう言ってベガに近づき、後ろを振り返ってそのままベガの股の間にお尻を落として座る。ベガが目をつぶって深呼吸しながら両手でルルを優しく抱きしめた。ベガにぐいっと引き寄せられると、耐えるようにうつむいてルルはじっとしていた。


 ルルのうなじの匂いを嗅ぎながら、ベガがお腹をさすりだす。その手は徐々に上がっていき、左胸の下までくる。そして、そのまま持ち上げる様に左胸を揉んだ。


「ん……」


 ルルが声を漏らす。ベガはその声を聞いて口角がほんのり上がる。グイっとルルを抱き寄せて、ベガは首筋に噛みついた。鋭い牙がルルの柔肌に食い込む。血管が浮き上がって脈打ち、赤黒い血液が溢れ出てきた。


「あ……! ん、ぐ」


 痛みに声を出してルルが下唇を噛んだ。

 口の中に濃厚な鉄の味が広がって興奮したベガは、鼻息を荒くしてルルの首筋にヒルのようにしゃぶり付き、本格的に吸血を始めた。


 ズズ……ズズズズッ! ジュル、ジュル。ちゅぱ。ジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュル!!


 吸い付かれるたびにルルの顔色が白くなり、血の気が引いていく。対照的にベガの血色が良くなって肌が若返っていく。

 ルルの鬼族の血には、ちょうどいい微弱な電気が含まれており、筋肉の収縮を助ける効果がある。ピリピリとした微弱な電気がベガの筋肉に流れ、衰えていた筋肉の細胞を修復させていく。


 若返ったベガの今の姿は人間で例えるなら、30代後半から40代前半といったところだろう。さっきまでの老人のような見た目からは信じられないほどの若返り効果だ。


 ジュル……ズズ……ちゅぱっ!


 身体が若返ってベガが満足すると、ルルの首から牙を抜いた。ルルはガクンとうなだれて、一気に椅子から崩れ落ちる。両手を床に突いてなんとか倒れないようにルルは持ちこたえた。


 ベガが椅子から立ち上がって言う。


「げぷっ、ふぅ……これで、鬼族の罪が少し償われたよ。良かったね、ルル」

「………………………………………………………………」


 フラフラのルルは言葉を発することができず、動くことさえままならない様子だ。ベガがルルを見下ろしている。


 ルルは立ち上がることができず、ぺたんと床に座ったまま小刻みに肩を震わせている。それを見ていたベガが部屋の入り口に顔を向けて叫んだ。


「誰かいないか!」


 ガチャ。

 ベガが叫ぶと一人の黒服が、ノックすらもせず勝手に部屋の中に入って来た。ベガが黒服に言う。


「お前、新人か? ルルを寝室まで運んであげなさい」

「はい、わかり……!?」


 入室の許しもなく部屋に入ってきたところをみて、ベガはその黒服を新人と判断した。顔色の悪いルルを初めて見た様子で、新人の黒服が驚愕している。するとベガが言う。


「安心しなさい、鬼族は吸血鬼族と同等の治癒力を持っている。お前のような人族なら死んでしまうほどの出血でも、ルルなら栄養の高い食事と休息をとっていればすぐに回復する」

「はい、わかりました……」


 ルルを抱きかかえて新人と思われる黒服は出て行った。


                   *


 夜が明けて、二日目の朝がきた。宿泊しているホテルの一室で、ミド一行が準備をしていた。


「マルコ、傷の具合はどう?」

「大丈夫だと思います。ちょっとヒリヒリする程度で、そこまで痛みはありません」


 マルコの身体の傷は完治寸前だった。まだ傷跡は残っているが不気味な風穴は塞がっており、赤々としたニキビの治りかけみたいな状態だった。軽く摘むと黄色いうみがピュッっと飛び出して痛そうだ。


 ミドが両手を合わせて「ん〰〰!」と念じながらつぶやく。


「森羅万象 ──毒消し草──」


 するとミドの手の平の中から一枚の緑色の木の葉が現れた。ミドは木の葉を祈るように両手で包んで絞るように力を加えた。すると、ミドの組んだ手の中から水滴がマルコの手の上に一滴だけポタっと落ちた。


 ポゥ……。


 ほたるのようにライトグリーンの光が一瞬だけ現れて消えた。ミドは両掌に付着した世界樹の潤いがかわく前にマルコの腕の傷を優しく撫でた。するとマルコの腕の傷は癒されていったのを感じて目を丸くしている。そしてミドが満足そうに言う。


「はい、消毒完了~!」

「ありがとうございます、ミドさん」

「動けそう?」

「はい、大丈夫です!」


 マルコは満足そうに答えると、ミドも嬉しそうだった。するとマルコがミドにたずねた。


「これから、どうしますか?」

「もちろん、キールを探す。ついでにニオも救出する。ここのホテル代、まだ払ってもらってないし」

「え、どういうことですか?」

「ホテル代はニオの報酬から払う予定だったんだ。100万ゼニーあれば余裕でしょ」

「でもホテル代くらいなら大丈夫じゃないんですか?」

「マルコ、カジノ近くのホテルっていうのはね……驚くほど法外な値段を取られるもんなんだよ。ゼロが二つか三つくらい違う。おそらく今のボクたちの所持金じゃあ端数しか払えないよ」

「お金ないって……どど、ど、どうするんですか!?」

「だからニオを助けて報酬を払ってもらわないと困るんだよね~」


 ミドはヘラヘラ笑っていたが、心配性のマルコは頭を抱えていた。

 おそらくキールはベガ・ラグナスのカジノに単独で向かったはずだ。同じ場所にニオもいる可能性が高い。


「んぎゃあ!? 最悪の運勢っス!! 『大切な人との別れの予感』とか嫌な予言されたっスよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 歯磨きしながら部屋の隅にあるTVにフィオが夢中になっている。今日の占いコーナーを熱心に観ているようだ。最悪の結果だったのか歯磨き粉の白い飛沫しぶきをTV画面に飛び散らせながら、フィオの嘆く声が響いてくる。


「今週のラッキーアイテムは『日焼け止め』っス! ミドくんミドく〰〰ん! 最強の日焼け止め買くっス!! 最悪を回避するためにはラッキーアイテムが必要っス! 未来の幸運は自分の手で掴むのが、あーしのポリシーっス!!」

「そだね~。朝食を食べに行くついでに一緒に買おうね~」

「なら早く出かける準備するっスよ! 善は急げっス!!」

「わかったわかったから~」


 フィオがミドを急かしている。もちろんフィオもキールを心配していないわけではないだろう。だがいつまでもクヨクヨしないのが彼女の信条らしい。気持ちを切り替えて次に何をするべきか、フィオなりに考えているとも言える。


「ちょちょちょちょちょちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! 大変大変大変っスうううううううううううううううううううううううううううううう!!」

「え? なにフィオ、どしたどした?」


 その時、フィオが大騒ぎしてミドとマルコの元まで走ってきた。フィオに引っ張られて行ったミドだったが、TVの前まで来ると目を見開いて愕然とした。


「そんな……」


 小さくミドが言った。TVにはベガ・ラグナスの島全体に流れているであろうニュースが映し出されている。ニュースキャスターらしき人物が記事を読み上げ始めた。


昨日さくじつ、カジノ・ザ・ベガ・ラグナスに賊が侵入したとのニュースが入ってきました。調べによると賊は『大盗賊フクロウ』という指名手配中の凶悪犯であるとのことです」


 画面にはキールの手配書の写真が映し出されていた。ミドの瞳にそれが写り、眼球が微かに揺れる。

「続いて、今日のコイン占い天気予報です。表なら晴れ、裏なら雨に──」

 プチン……。ミドがTVの電源を切った。ミドがつぶやく。


「あのとき力づくでも……ボクがキールを止めていれば……!!」


 マルコとフィオが戸惑いながらミドを見ている。するとミドが言う。


「必ず助けに行く……二人とも準備したらすぐに行こう!」

「あったりまえっスよ、ミドくん!!」

「任せてください! 今度こそ役に立って見せます!」


 ミドの一言にフィオとマルコが頷いて言った。三人が顔を見合わせて不敵に笑った。こうしてミド一行は新たに決意を固めて、キール奪還作戦に向かうのだった──。


                   *



 ──キールは、また夢を見ていた。幼い頃、まだルルと無邪気に遊んでいた頃の夢だ。


「鬼は外ぉ!」

「いッ! やめ──」

「街から出て行け、不幸の元凶!」


 同じ街に住む貴族の少年たちがルルに固いまめを投げつけていた。街の入口に三人の少年が立ちはだかり、ルルに大量の固い豆を投げつけていた。バシバシと当たり、ルルは顔や頭を両手で隠しながら耐え忍んでいた。


「やめろォ!」


 ルルを庇う様に叫んだのは幼いキールだった。囲んでいる貴族の少年の一人が言う。


「何だお前? 邪魔すんなよ。今、鬼を退治してんだよ!」

「ルルをいじめたら許さないぞ!」

「あぁ? この鬼、お前のペットかよ?」

「そうだ! ルルはオレの“物”だ! 人の所有物を傷つけたら器物損壊罪なんだぞ!」

「だったらしっかり見張っとけよな。俺たちはてっきり奴隷の鬼が街を襲撃しに来たんだと思ってよ」

「ふざけんな! こんな女の子が一人でそんなことするわけないだろ!」


 キールが威嚇するように睨むと、少年たちは小バカにするように笑いながら去って行った。キールがルルに目を向けると、ルルはプルプルと震えていた。キールが声をかけた。


「大丈夫か、ルル?」

「キール、さま……」

「遅くなってごめん。父さんに呼ばれちゃって……」

「いいえ、きにしないでください。ルルはキールさまの“しょゆうぶつ”ですから……」

「あ……」


 不意に襲ってきた罪悪感で、キールはハッとする。涙を流して謝罪するルルにキールが言った。


「ごめん」

「え……? どうしたんですか、キールさま?」

「ルルを“物扱い”して……」

「いいえ、ルルはキールさまの“もの”ですよ?」


 何もおかしくないといった様子でルルは言った。なんだか恥ずかしくなって、キールはルルの顔を見れなかった。


 ────────────────────────

 ────────────

 ──────

 ──


「──────ッ!?」


 キールが目を覚ます。気づくと薄暗い謎の部屋にキールはいた。


 胡坐あぐらをかいた状態のキールの両手は万歳するよう持ち上がり、手首は黒く分厚い手錠をかけられ、長い鎖で繋がっている。その鎖はレンガの壁に固定されていて、ジャラジャラ鳴るだけでビクともしない。足首にも足錠あしじょうをかけられており、黒光りした鉄球がズッシリと重そうに転がっていた。おそらく8~10キロくらいはあるだろう。


 そうやって状況を確認するようにキールが動いていると、看守と思われる黒服の男が気づいて、もう一人の男に言った。


「おい、目を覚ましたぞ。ルルさんに報告してこい」

「わかりました」


 先輩らしき黒服に言われて新人っぽい黒服が慌てて牢の先の階段を上がっていた。

 3分ほどするとカツカツと階段を下りてくる足音が聞こえてくる。キールは顔を上げず、目線だけを足音の先に向ける。すると目の前に桃髪の少女が目に入った。キールの瞳孔が開く。桃髪の少女が黒服の男と話をしていた。


「彼と二人だけでお話したいことがあります。申し訳ありませんが、退出していただけませんか?」

「面会するのは構いませんが、ルルさんだけでは危険です。もしかしたら爆弾を体内に隠し持ってるかもしれません。何が引き金になるか分かりませんから、迂闊うかつに一人で話すのは危険です」

「だとしたら、その爆弾の引き金トリガーは何でしょうか? 心肺の停止ですか?」

「その可能性は高いでしょう。テロリストどもは危険な連中です。自爆テロだって躊躇ためらわない」

「彼はおそらくテロリストとは無関係です。それに彼を殺すつもりはありませんから安心してください。お願いします、出て行ってもらえませんか?」

「しかし、やはり一人は危険です。ルルさんだけ残すなど……」


 バチィッッ!! ビリリッッ! バチバチッッッ!!!


 その瞬間、ルルの全身に青白い静電気が発生し始めた。フワフワと桃色の髪の毛が持ち上がり、パチパチと白い火花が飛び散っている。まるで全身の毛が逆立たせながら威嚇してくる猛獣のようだ。すると、ルルが黒服に言う。


「──聞こえないんですか? “出て行け”と言っているんです」


 張り詰めた緊張の中で静かにルルが言うと、黒服が慌てて言う。


「し、失礼しました! ルルさんの実力なら……も、問題ありません! くれぐれも用心していください」

「分かっています」


 するとルルの全身の静電気が徐々に収まっていく。黒服の男たちは二人を残してその場を後にした。黒服が本当に出て行ったのを確認したルルは、キールの目の前に歩み寄っていく。そしてルルが言った。


「お久しぶりです。キール様」

「!」


 顔を上げたキールは桃髪の少女を凝視して言う。


「ルル……?! 本当にルルなのか!?」

「はい、ルルです」

「……っ! 生きてた、本当に生きてた……! よかった……会いたかった、ルル……! オレは、ずっとルルに謝りたくって──」

「何をしに来たんですか? キール様」

「何って……!? オレはルルが死んだと思ってて……だから会いに──」

「忠告したはずです、『余計な詮索をすると命の保証はない』と……。聞いていないんですか?」

「いや、それは……」


 キールは口をつぐんだ。そこに立っていたのはキールの知っているルルとはかけ離れていた。以前の純粋な雰囲気は消えて、冷たい目でキールを見下ろしてくる。フィオの云ったとおりの印象だった。言葉を失っているキールにルルが言う。


「──ルルは、キール様と会いたくありませんでした」

「……え?」

「キール様は緑髪の死神と行動を共にしていると聞いています。信じたくありませんでした。キール様が“悪”に染まっていたなんて……」

「待ってくれ! 話を聞いてくれ、ルル! オレは……!」

「これからキール様は、世界正義犯罪粛清機構WJCPに引き渡される予定になっています」

「……!?」

「ですが、ご安心ください。幼少期にお世話になったせめてもの情けです。このまま大人しくこの国を出て行っていただけるのなら、ルルの権限でキール様を見逃してさしあげます。ご一行の皆様にも危害を加えません」

「何言ってんだよ……ルル!?」


 ルルの淡々とした口調の言葉を聞いても、キールは理解が追い付かずにいた。ルルは構わず続ける。


「ご安心ください。ベガ様は別の問題で忙しいので、ネズミ一匹の逃亡なんて些細な問題、お見逃しくださるはずです」

「別の、問題?」

「キール様には関係のないことです。大人しくこの国から出て行ってくださいますか?」

「待て、聞いてくれルル! 今まで探さなくて悪かった! オレは、てっきりルルが死んだと思っていたんだ!」

「キール様の話など聞いていません。まだ自分の立場をご理解いただけてないんですか?」

「オレは、ルルのあるじだろ!? まだオレの父さんがつけた呪印が──」

「違います。ルルの今の主様は、ベガ様です」


 するとルルが後ろを向いて後ろ髪を上げ、首筋のうなじをキールに見せてきた。キールはルルのうなじに刻まれた呪印を見て絶句した。ルルが言う。


「これは、ベガ様に頂いた“奴隷の呪印”です。キール様のお父様から頂いた呪印はすでに消えています」

「そんな……どうやって……!」


 奴隷の呪印とは、主人が奴隷との契約をする場合に付けられる首輪のようなものである。これで命令に背いた場合や逃亡を図った場合、主人の意志で奴隷を殺処分できるものだ。消すには主人が契約を解除するか、奴隷が死ぬしかないと言われている。


 キールの父親が奴隷契約を解除したというのは考えられない。契約解除ではなく、殺処分を選ぶはずである。もう一つの可能性は奴隷が死亡した場合だが、目の前にいるルルの存在がそれを否定している。ルルはどうやって奴隷の呪印を解除したのか。キールは分からずに戸惑う。するとルルが言った。


「呪印を消す方法は、主様の契約解除と奴隷の死だけではありません。もう一つあります」

「?」

「契約した“主様の方が先に死んだ場合”です」

「!」


 奴隷の主人が死んだ場合、それまでの契約は自然消滅する。結果、奴隷の呪印も一緒に消えるらしい。確かにキールの父はふとっちょの人さらいに殺された。だが、そうなるとおかしなことになる。

 父はルルの殺処分プログラムを起動させた“後に”殺されたはずだ。つまり呪印が解除されるより“先に”ルルの殺処分プログラムが発生していなければならないのだ。


 キールがルルにたずねた。


「でも、父さんが死んだのは、プログラムを起動した後……」

「キール様はご存じないのですね。あの呪印プログラムは時限爆弾のようなもので、爆発までに“タイムラグ”があるんです。だからプログラムを起動させたとしても、一定時間は爆発しなかったんです」

「!」

「呪印が爆発する前に契約した主様が先に死んだため、強制的に契約が自動解除されて呪印は消滅。ルルは死なずに済んだのです」

「そう、か……そういうことか……」


 どうやら殺処分プログラムは起動してから『読み込み時間』が必要のようだ。スイッチを起動してすぐに爆発するようなものではないらしい。


 一人のプログラム発動に約30秒から1分ほどの読み込み時間が必要だそうだ。

 ちなみに複数人のプログラムを同時に起動すると処理速度が重くなるらしい。処理速度の低下に比例して爆破までの時間が長くなるようだ。皮肉にも太っちょの人さらいが父を殺したおかげで、ルルは助かったことになる。ルルは続けて言う。


「あの後ルルは奴隷商人に買い戻され、あちこちを転々と回されて、最後にルルを買ってくれたのがベガ様です」

「………………」

「今のルルは、ベガ様の忠実なるしもべです」

「………………」

「お互いのために、大人しく出て行っていただけますか? キール様」

「ごめん、ルル……。それはできない」

「どうしてですか?」

「………………」

「お願いですキール様、考え直してください」

「………………」


 何も言わなくなったキールに対して、ルルは諦める様に言葉を続けた。


「……明日、世界正義犯罪粛清機構WJCPの方がいらっしゃいます」

「………………」

「あと、一日だけ待ちます。それまでに考えを改めてください」


 ルルが立ち去ろうとすると、キールが言う。


「教えてくれ……。今のルルにとって……オレは、何だ?」

「ベガ様の聖域を荒らす侵入者です」

「そうか……。もう、オレは、ルルの主人でも……家族でもない……赤の他人、なんだな?」


 キールの言葉に、ルルは振り返らずに言う。


「ルルはもう、キール様の奴隷ものではありません──」

「……!」


 そう言ってルルは一度も振り返らずに歩いて行った。ルルの言葉は、キールの胸に深く突き刺さった。うなだれたままキールは、ルルが去っていく足音を、黙って聞いていた。


 ルルは外で待っていた黒服を呼んで言う。


「話は終わりました」

「お疲れ様です。大丈夫ですか?」

「問題ありません。明日、あの侵入者を世界正義犯罪粛清機構WJCPに引き渡します。それまでよろしくお願いします」

「分かりました」


 両手を前に組んで軽くルルが一礼すると、黒服の男もつられて頭を下げて言った。


 ──その時だった。


 どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!


「!?」


 激しい揺れと振動が床から伝わってくる。ルルと黒服は驚いて周囲を警戒している。キールの隣の牢の壁が破壊されたらしい。するとそこから女の声が聞こえてきた。


「あれ、いない? 隣かな? ゴメちゃん、お願い!」

「任されよ」


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!


 するとキールの隣の壁がハンマーのような鈍器で叩く音が響き、一撃で壁が壊された。砂煙が待ってキールが軽く咳き込む。

 いびつな丸い穴が壁にできて二人の人影が見えた。一人は巨大なハンマーを持った大男、もう一人はスラッとした女だった。キールはその女を見て目を丸くする。


 すると女は鎖に繋がれたキールを見つけるやいなや言った。


「あ、いたいた。やっと見つけましたよ!」

「……っ!? アンタは!?」

「話は後です。今はココから逃げないと──」


 バチィッッ! バチバチィィィッッッッッッッッッッッッッッ!!!!


 その時、激しく放電しているルルが、女に向かって回し蹴りをした。


「おお、怖い怖い。鬼族の女は気性が荒くて嫌ですね。悪いけど、キールさんは我々が貰っていきます。彼を死なせるわけにはいきません」

「ふざけるな! 奴隷解放運動武装組織テロリストどもがッッッ!」


 ルルが全身から火花を散らせて女を威嚇している。すると女が言う。


「ここにいたらキールさんが殺されちゃう! ゴメちゃん、キールさんを連れて逃げるよ!」

「任されよ」


 女は大男に命令すると、キールの両手の鎖を大男が引きちぎって外した。そしてキールを肩に乗せて破壊した穴から女が逃げていく。大男も行こうとすると、横からルルが飛びかかった。


「キール様に……触るなあああああああああああああああああああぁぁッッッッ!!」

「む? 邪魔!」

「──ぁッ!! ッッッッッッッッッッッッ!!!!」


 大男はハンマーでルルの横っ腹をフルスイングで殴りつける。鈍器ハンマーの重い衝撃でルルは奥に弾き飛ばされた。ルルが悶絶している隙に大男は壁の穴から出て行き、女について行く。


 すると女が大男に並走してきた。その女をキールは知っていた。以前どこかの国で差別されて苦しんでいたのを助けた女だ。キールは女に言う。


「アンタ……! もしかして、エイミーか?!」

「はい、エイミーです。お久しぶりです、キールさん!」


 その女は正義感の強い国で出会った吸血鬼族の少女、エイミーだった──。

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