目指すは『ラグナスタワーの最上階』。キールの単独潜入作戦!

 パン! パパン! パパパパパパン!


「待ってくれぇ! お、落ちる!! 俺が悪かった! 頼む! お、降ろしてくれえええええぇぇ!!」

「気をつけようネ。人にぶつかったらまず謝らなくっちゃ★」


 ──カジノ・ラグナスタワーのとある薄暗い場所。そこは天井が70メートル以上はあり、床一面が黒の大理石で作られたフロアである。そこに二人の男の姿があった。


 約3000個以上のカラフルな風船で空中に浮かぶ黒服の男がいる。一見すると空想的ファンシーで楽し気に思えるが、実際は両足に風船のヒモが複雑にからまって逆さ吊りにされている状態だ。風船が破裂して急激に落下するたびに黒服の男は泣き叫びながら命乞いをしていた。


 そしてそれを、ピエロ風のメイクをした男が眺めている。白塗りの顔にオールバックの赤髪。赤い眉、赤い鼻、口元に笑ったような赤いメイク。左目の下に水色で一粒の涙を流しているようなメイクをしている。


 上は黄色いベストを着ており、赤と白のボーダー柄のワイシャツと黄色いネクタイ。両手には赤い手袋をしている。下は丈の短い黄色のパンツ、その下は赤と白のボーダー柄の靴下。そして特徴的な大きな赤い革靴を履いている。全体的に赤と黄色のイメージだ。


 ピエロの男は不気味に嗤いながらトランプカードの束を右手から左手にパララララッと飛ばしている。そして気まぐれにトランプカードを投げ飛ばしては風船を割っていた。


 ピピ、ウィーン。


 そのとき、フロアの自動ドアが開いた。現れたのは白い女だった。目の前の奇妙な光景を見た女がおもわず言う。


「あら、ドナルドじゃない。もう来てたの?」

「おかえり、ゾイ。僕もさっき着いたところさァ◆」


 ドナルドと呼ばれたピエロの男はゾイを見て不敵に笑って言った。ゾイが空中に風船で浮かんでいる黒服を見て言う。


「何してるの?」

「なんでもないよ。上下関係どちらが上かを彼に分からせてあげようと思ってネ」

「あらあら……。ドナルド相手に、お馬鹿さんね」


 無邪気な子どもに殺される虫を見るような目で、ゾイが黒服の男を見て言った。


「そろそろ降ろしてあげたら? 依頼主の部下を殺しちゃったら、ボスママの信用に関わると思うのだけど?」

「そうかい? それもそうだネ★」


 逆さづりで顔を真っ赤にしながら黒服は気を失いそうになっていた。パラパラとトランプカードで遊んでいたドナルドはカードの山を両手に分けて持ち、美しく扇状に広げる。そして全身を高速で回転スピンさせながら無数のトランプを風船に向けて投げ飛ばす。


 ビュビュビュビュンッ!

 パンッ! パパンッ! パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパンッッッッッッッッッッッッッ!


 風船は一気に破裂して黒服の男が落下してくると、肩で担ぐようにドナルドがキャッチした。そしてドナルドが黒服の男に言った。


「今回は大目に見るけど、次は容赦なく殺しちゃうヨ★」

「あぅ……あプ……」


 すでに黒服の男は気絶しており、口の端から少しだけ白い泡を吹いていた。ドナルドはやれやれと肩をすくめる。そしてドナルドがゾイにたずねた。


「それで? 念願の“緑髪の死神”には会えたのかい?」

「それが聞いてよ、ドナルド。行き違いで結局会えなかったのよ~、彼と戦う交わるのを楽しみにしてたのに……」

「それは残念。次は会えるといいネ★」


 残念そうに肩をすくめてゾイが言うと、ドナルドが嗤いながら言った。


 彼の名は「ドナルド・ワイズマン」。気狂いの道化師キチガイピエロと呼ばれているゾイの同僚の殺し屋だ。卓越した運動神経を持ち、手の平のコインは彼がはじくだけで弾丸となる。トランプは刃物と化し、楽しげな風船でさえ爆発物に変えてしまうのだ。彼にかかれば日常生活の範囲内にあるすべての道具は殺しの凶器に変えられてしまうだろう。


 彼の殺し仕事は非常に奇術的で、まるで手品マジックを見せられているかのような奇妙な仕事ぶりとボスママから高く評価されている。


 今でこそドナルドは裏稼業だが、昔はとある大企業の人気キャラクターとして有名だったらしい。しかし人気者や、優秀な者は嫉妬される傾向があるものだ。一部の人族からいわれのない悪意をぶつけられ続け、悪質な風評被害で人気が低迷し、ドナルドは引退を余儀なくされた。以前は陽気だった彼が徐々にうつ状態となって、次第に危険思想が芽生え始めた。


 ──そうだ……みんなが求めるドナルドになればいいんだ。


 ドナルドは良い意味で純粋であり、悪い意味でも純粋だったのだ。世間が悪魔のような殺人ピエロを求めているなら、悪魔になればいい。ドナルドは再び人気者になることを願った。そして古代東洋の文献にある「なまはげ」にインスピレーションを得たドナルドは、悪い子を懲らしめるピエロになると決めた。


「ドナルドは“悪い子”を見つけると、ついっちゃうんだ★」


 汚職や犯罪に手を染めていながら、責任を取らずに辞任して逃げる政治家たちを、ドナルドは次々と殺害していった。遺体の状態は様々で、首を鋭利な刃物で切り裂かれた遺体や、爆発物で首から上が吹っ飛んだ遺体。それ以外にも、胴体にハンバーガー4個分の風穴を空けられていた遺体もあったそうだ。


 政治家の中には正義信愛教のお偉いさんもいたらしく、それで目をつけられたドナルドは世界的大犯罪者悪い意味での人気者として賞金首となる。当然その情報はボスママの組織にも伝わっていた。そしてボスママと出会ったドナルドは現在も『世界の清掃業者ワールドクリーニング』の暗殺者従業員として働いている。


 そしてもう一人の女、ご存じの方もいると思うが彼女は「ゾイ・ゲルヴィラ」。組織内では『血濡れの女淫魔ブラッディサキュバス』なんて呼ばれてる純血の吸血鬼である。


 詳しくは割愛するが、以前に緑髪の死神ミド・ローグリーと死闘を繰り広げて敗北したことがある。その戦いで彼女は両目の視力が下がり、色を識別できなくなった。しかも興奮すると痙攣するように眼球が震えるという障害も抱えているようだ。


 その戦いがきっかけで、彼女は一途な美女メンヘラストーカーになった。「また彼の太くて固い棒が欲しいの❤」といつも周りの同僚に言っているそうだ。ドナルドもその一人である。


 ドナルドがゾイに言った。


「ところで……どうして僕は呼ばれたのかな。君一人でも十分だったろう? 二人も必要になるほど、今回は難しい殺し仕事なのかい?」


「──それに関しては、私の方から説明させていただきます」


 すると正面の大きな階段の上から少女の声が聞こえてきた。ゾイとドナルドは同じ方向の見る。そこには桃髪の少女が階段の上に一人で立っていた。するとゾイが言う。


「あら、ルルちゃん❤」

「彼女が今回の依頼主なのかい?」

「そうよ。正確に言うと“依頼主の秘書兼愛人”ってところかしら」


 ドナルドが不気味に嗤いながらルルを見上げて言う。


「なるほど……彼女の言葉は依頼主の言葉ってわけだネ★」

「その通りです。私の言葉は『ベガ様のお言葉』です。改めて依頼内容をご説明させていただきます」


 ルルは表情を変えず、淡々と言葉を続けた──。


                   *


「ぐご〰〰〰〰〰〰! があ〰〰〰〰〰〰!」


 フィオは気持ちよさそうにイビキをかいて眠っている。


 ──現在20時、8分。

 キールがミドの制止を振り切って単独行動をしてから時間はあまりたっていない。一時はフィオがキールを追いかけようと言ったがミドはそれを許可しなかった。冷静ではなかったとはいえ、キールなら無茶はしないはずだとミドは信じていたからだ。


 仮にキールをすぐに追いかける場合、必然的にミドがキールを追いかけなくてはならない。マルコは傷を負って動けないし、フィオはマルコの看病で残ることになる。再び刺客が襲撃してきたら、ミドがいなくては誰が二人を守るというのだ。


 3人で相談した結果、今夜はしっかり睡眠をとって明日に備えようとなった。そして、いち早く気持ちを切り替えて眠りについたのはフィオだった。


 ベッドから上半身を上げて座って居るマルコが、ぐっすり眠るフィオを見て言う。


「フィオさん、あっさり寝ちゃいましたね」

「そうだね~。フィオは神経図太いからな~。ま、そこがフィオのいい所なんだけどね」

「そう、なんですか? 緊張感が無さすぎるんじゃ……」

「そうだよ~。じゃなきゃ、ボクみたいな凶状持ちと一緒に旅なんてできないよ~」

「あ……」


 マルコは時々忘れてしまう。世間ではミドは『緑髪の死神』と呼ばれた伝説的な暗殺者大量殺人鬼である。普通に考えれば殺し屋と一緒に旅をするなんて怖すぎる。共犯者として世界中の賞金首から命を狙われることになる。普通は一緒に旅なんてしたくないものだ。そういう意味ではフィオのようなタイプは、ミドにとってありがたい存在なのである。


 すると突然、ミドはマルコに言った。


「ありがとう、マルコ」

「え?」

「必死でフィオを守ろうとしたんだよね。マルコが命がけであの吸血鬼と対峙したことは、その傷を見れば分かる」


 マルコの体についた傷跡は正面だけで背中にはなかった。つまりマルコは“敵に背を向けなかった”ということだ。対してフィオには一切傷跡が見当たらないことから、マルコだけが敵と対峙したと推察できる。それだけで十分勇敢だ。


 マルコは自分の体の傷跡を見て言う。


「でも……ボクは結局守れませんでした。だからニオさんを連れて行かれて……」

「気にしなくていいよ。相手が悪かったんだから」


 マルコは両手を握りしめて拳を作る。ベッドのシーツに小さなしわが伸びる。声を漏らすようにマルコが言う。


「ボク、勘違いしてました……成長して、強くなったって……。竜人の力があれば、簡単に守れるって……」

「………………」

「あの吸血鬼の女が言ってました。力の使い方がヘタだって……」

「………………」

「もし、あの女が本気だったら……ボクは殺されていました」

「………………」

「ボクが殺されたら……次は、フィオさんが──」

「もう言わなくていい」


 震えるマルコの肩をミドが掴んで止めた。そして続けて言った。


「マルコの責任じゃない。二人に任せたボクの責任だ」

「ボク……情けなくて……ミドさんやキールさんが、信じて任せて、くれた、のに……ボク、何も、できなくて……」

「うん、うん。分かってるから」

「ごめんなさい……ごめんなさい」


 マルコは何度も、何度もミドに謝っていた。ミドはマルコの背中をさすりながら聞いていた。ひとしきりマルコをなだめた後、ミドが言う。


「ボクは部屋の入口で見張りをするから、マルコも安心して休んだ方がいいよ~」

「でも、ミドさんも休まないと」

「一日くらい平気だよ、徹夜は慣れてるから。それにコイツもいるから仮眠くらいは取れるよ」

「?」


 謎の植物の種をミドが親指と人差し指で摘んでマルコに見せた。マルコはきょとんと目を丸くしている。するとミドが床に種を落とした。


 ぼん!


 すると床から芽が出てきてあっと言う間に巨大な花に成長してしまった。頭部と思われる巨大な実がパカッと2つに割れて口が開く。するとミドが顎の下周辺を撫でて言う。


「どうマルコ、可愛いでしょ。ボクのペット『人食い花』だよ~。あ、人食い花っていうのは学名で、実際に人は食べないから安心していいよ~」

「ギャッギャッ」

「よ~しよしよしよしよし、イイ子でちゅね~」

「キュ~キュ~」


 ミドがさらに撫でると、人食い花は嬉しそうに身をゆだねていた。ミドがマルコに言う。


「基本はこの子が見張りしてくれるよ。いないとは思うけど雑魚モンスターが来ても食べちゃうし、それ以上の危険を察知したらボクを起こしてくれる」

「な、なるほど。それは……安心ですね」


 マルコは少し驚き、苦笑いしながら言った。ミドが人食い花に指示を出して部屋の入口に移動させる。そして振り返りながらマルコにミドが言った。


「それじゃあマルコ、おやすみ~」

「はい、おやすみなさい。ミドさん」


 マルコもミドに返事をした。


 そしてミドは床を軽く足で叩きながら「──出てこい、木偶棒デクノボウ」と言う。すると床が青く光り、そこから木偶棒デクノボウが飛び出してミドの手に収まる。そのまま出入口の方に向かって歩き、手前で木偶棒デクノボウを抱きかかえるように持って胡坐あぐらをかいて座った。


 マルコも横になり、目をつぶって眠りにつく。ミドはマルコが寝たのを確認した後、誰にも聞こえないほど小さく、小さくつぶやいた。


「ゾイ・ゲルヴィラ。そんなに会いたきゃ、こっちから会いに行ってやるよ。大事な仲間を可愛がってくれたお礼は、キッチリ倍返ししてやる……」


「ギギギ……」と、ミドが木偶棒デクノボウを強く握りしめる音が小さく鳴った──。


                   *


 ──現在時刻、20時13分。


「さて……どうやって潜り込むか」


 ミドと別れた後、カジノ・ザ・ベガ・ラグナス付近にキールは来ていた。宮殿のような建物の中心にラグナスタワーが聳え立っているのが遠くからでもわかる。ラグナスタワーは高さ711メートルもある構造物で、青光りの稲妻が螺旋状に放電しているため、夜でも神々しく輝いていた。


 目指すはベガ・ラグナスがいる場所、そこにルルもいるはずだ。となると、カジノの中心にある『ラグナスタワーの最上階』を目指すのが妥当だろう。


 ルルがベガというこの国の支配者と深い関係にあるのは間違いない。ルルはベガの手足となって働いているのは間違いない。フィオの話を聞いた限り、場合によっては暗殺などもさせられている可能性もある。


 キールはどうしても信じられなかった。虫も殺せなかったルルが汚れ仕事をさせられている。しかも嫌々ではなく、自ら望んでベガに使えているような印象だ。もちろんフィオの話を誇張されている場合があるから鵜呑みにするわけにはいかない。しかし、やなり自分の目で確かめないとキールは気が済まなかったようだ。


「オレの顔は、もうバレてるだろうな……最悪オレの昔の手配書まで持ってるかもしれねぇ。久しぶりに変装するしかねぇな」


 キールは変装道具を持ってきていない。多少なら身体操作で体型を変えたりはできるが、服装は別で調達する必要がある。


 変装の衣装を揃えるにもお金がいる。キールは懐から手持ちのお金を見た。カジノ側にとってカモにしやすそうな金持ちに変装するのがいいだろう。小金持ちの変装となるとブランドの服や靴など無駄に高いものを揃える必要がある。一時的な変装のためだけに無駄遣いはしたくない。


 キールは少し考えてとある場所に向かった──。


                   *


 ラグナスタワー、カジノの入り口。


「いらっしゃいませ、お客様。ごゆっくりお楽しみください」

「どうも」


 カジノの店員らしき黒服の男が笑顔で老人に言う。杖を突いた太っちょの老人は黒い帽子ハットを片手で上げて禿げ頭を見せながら会釈えしゃくした。そして金歯を見せて微笑み、高級そうな腕時計を自慢げに見せびらかしながら、カジノの中にゆっくり入って行った。


 入口にいた黒服の男は老人を見て「ふんっ」と鼻で笑った。


 老人がカジノの中に入ると、目の前には眩い世界が広がっていた。床が白く光沢しており、天井にはキラキラした何かよく分からない照明などがたくさんぶら下がっている。赤い絨毯じゅうたんが敷き詰められた場所や、畳が敷き詰められた異国風な場所もある。カジノ内には大勢の人がいて、各々がカジノを楽しんでいる様子だ。


 一般的なカジノゲーム。ルーレット、スロットマシン、ポーカー、バカラ、ブラックジャック。それ以外にも、ありとあらゆる種類のカジノゲームがあるようだ。サイコロを使ったゲームや、コインを使ったゲーム。珍しいものではモンスターを使ったバトルやレースに賭けるゲームもある。


 しかし老人は、そのどれにも目もくれず、真っ直ぐにトイレに入って行った。老人はトイレの個室に入ると鍵をかける。そして両手で耳を掴んで思いっきり引っ張りだした。皮膚が引っ張られて真っ赤に染まり、老人の顔が崩れ始める。


 ぐにゅぐにゅぐにゅ! ぶちッ! ぶちぶちッ!


 老人の顔の皮が剝がれていき、チーズのように伸びて千切れていく。ブチンッ! とすべて剥がれ落ちると、中から金髪の少年が吐息を漏らしながら姿を現した。


「んっ、ふぅ……よし、とりあえず第一関門突破だな」


 金髪の少年はキールであった。キールは金歯を取りながら言った。キールはどうやってブランドの服などの変装衣装を手に入れたのだろう。


 変装用の衣服を調達するため、キールは酔っ払いが多い飲み屋街に足を運んだのだ。そこには建物と建物の間でゲロを吐いている男や、道端で無防備に寝ている酔っ払いが大勢いる。当然そういう人を狙った強盗まがいの連中もいる。


 キールは偶然通りかかった路地裏で一人の人族の男が素っ裸にされているのを目撃した。どこかで見たことある男だと思ったら、この国に最初に入ったときに見た成金と思われる男だった。その周囲には若い獣族のオオカミ男二人とオオカミ女一人がいて、成金の男の財布や服を奪っていた。


 成金の男は白いブリーフパンツまで脱がされており、強盗の一人のオオカミ女が鋭い爪でパンツを引き裂いていた。なんという屈辱、おそらく強盗たちを追いかけてこれないようにするためだ。街中を素っ裸で走り回ったら、公然猥褻わいせつ罪で成金の男の方が捕まってしまう。


 必死に「返してくれ!」と成金の男は叫んでいた。強盗の一人が「うるせぇ!」と言って財布と服を奪い取り、男の顔面を安全靴で蹴り上げる。成金の男は鼻血を噴き出して仰け反って倒れた。


「よし……! 逃げるぞ!」


 強盗の一人が言うと他の二人もうなずいて逃げようとしていた。三人の強盗が裏路地を走って角を曲がる。


「──待てよ」


 強盗たちの前に立ちふさがったのはキールだった。強盗の一人がキールを睨みながら言う。


「あぁ!? 誰だ!」

「随分羽振りがよさそうだな。オレにも少し分けてくれよ」

「その肌と牙……吸血鬼野郎だな。ふざけんな! ぶっ殺すぞ!」


 強盗のオオカミ男は殺気立っており、両手の鋭い爪を構えて三人の獣族がキールに飛びかかってきた。

 キールは鬼紅線きこうせんを操り、あっさり強盗三人組を拘束してしまう。そして身動きが取れない三人の首に手刀を打ち込んだ。獣族の三人は「ギャウン!」と鳴き声をあげて気絶した。


「は~い、お疲れ~」


 気怠そうに言ったキールは気絶した強盗たちを鬼紅線きこうせんでその場に吊るし上げる。そして彼らが奪った持ち物をキールは漁った。高級そうな服は身に付け、服についていた土やほこりなどの汚れを軽く手で払う。


 ジャケットの内ポケットの中に男の財布が入っているのにキールが気づく。財布の中身はギッシリつまった札束と一枚の写真があった。写真にはむすめと思われる4歳くらいの少女と成金の男が笑顔で写っていた。キールをそれを見て手を止める。そして男の顔の横にキールは財布を置いて言う。


「悪いな、オレは正義の味方じゃないんでね。この服、借りてくぞ」


 その場を立ち去ろうとして、何かを思い出したようにキールが振り返って言った。


「あ、そうだ。一応言っておくけど、これに懲りたら二度と金持ちアピールなんてやめた方がいいぞ…………って、聞いてねぇか」


 涙と鼻水を垂らして気絶している成金男を見てキールは、軽くため息をつき、その場を後にした。


 こうして変装して成金の観光客になりすまし、カジノの正面から堂々と怪しまれずに入ることにキールは成功したのだ。




 ──そして現在、キールはベガ・ラグナスのカジノのトイレにいる。


 キールは個室トイレの真上にある通気口を見上げた。そして耳を澄ましてトイレに誰も入ってこないか注意をする。トイレに近づいてくる足音はない。今のうちならいける。キールは個室トイレの真上にある通気口を開ける。そしてヒョイっと通気口の中に潜り込み、通気口を閉じた。


 カジノ内部の構造はおおよそ把握している。トイレの通気口を通って行けば『VIPルーム』に行けるのだ。


 このカジノには会員制のVIPルームが存在する。本来はカジノの入口から一番奥に向かい、黒服に会員証を見せて中に入れてもらうのが正規の手段だが、キールはそんなものは持っていないから不可能だ。だが通気口だけはすべてのフロアで繋がっているのだ。通気口には黒服等の見張りもいない。いるのはせいぜい、薄汚いネズミか黒光りしたゴキブリくらいだろう。


 では、なぜ『VIPルーム』に行く必要があるのか。さすがに通気口だけを通ってラグナスタワーの最上階を目指すことはできない。ラグナスタワーの最上階に行くにはVIPルームのエレベーターを使うしか方法がないのだ。少なくとも事前に手に入れていた建設当時の図面には、そう描かれていた。


 通気口の最終地点はVIPルームのトイレだ。そこから個室に降りて服についたほこりなどの汚れを落とす。そして何ごともなくトイレを出て行き、カジノのVIPルームにキールが潜入を果たす。


 その先に広がる世界は表のビカビカとした明るいカジノとは違った。VIPルームは全体的に薄暗く、落ち着いたクラシック音楽が流れていて優雅な雰囲気だった。


 床はワインレッドの複雑な模様をしたカーペット。上を見上げると円錐えんすい形に尖ったような天井をしている。円錐上部の側面は窓ガラスのように透明で、中から夜空と螺旋状に落ちる青い稲妻が見える。


 そして円錐の中央に80メートルはあろうかという長さのエレベーターが天井の中心を貫いている。おそらくその先が、ラグナスタワーの最上階なのだろう。エレベーターの周囲には警備員として屈強な黒服が複数ほど仁王立ちしていた。


 キールは怪しまれないように中央のエレベーターを観察できる場所を探して歩く。VIPルームの中にはギャンブルをせずに酒を嗜みながら談笑を楽しんでいる者もいる。


 近くの椅子に座って、キールはクラシック音楽を楽しむフリをする。そして同時に中央エレベーターに意識を集中した。あまり直視しすぎると怪しまれるため、目線は一切向けない。視界の端にぼやけて見える程度に抑える。


 おそらく7~8時間で黒服は交代するはずだ。いかに屈強な黒服とはいえ生理現象は避けられない。永久機関を持ったサイボーグでもない限り、生物が永遠に眠らずにトイレにすらいかない。そんなことは不可能だ。


 誰かが交代する瞬間にその黒服と入れ替わり、エレベーターに乗って最上階に向かう。最悪8時間も待たされる長期戦になるかもしれない。キールは黒服の誰かが動くのを待った。


 ──約33分後。


 動いた!


 黒服の一人が動き出した。まさかこんなに早く動くとは思わなかった。キールは黒服の動きに集中する。黒服は隣にいる黒服の男と会話している。お互いに相槌を打ち、一人がその場を離れて行った。


 黒服の進む方向に仮眠室や休憩室などがあるはずだ。キールは黒服の後をつけて行った。


 黒服の後をつけて行くと、人気の少ない廊下に入って行く。どうやらその先に仮眠室でもあるのだろう。周囲に人の気配がいないことを確認したキールは、奥に行こうとする黒服に声をかけた。


「そこの君! ちょっといいだろうか?」

「はい。何でしょうか、お客様?」

「聞きたいことがあるんだが、トイレはどこだろうか?」

「トイレでございますか? それでしたら、この廊下を真っすぐ行って突き当りを──」


 トンッ!


「ぁぐっ!?」

「……悪いな。お兄さん」


 黒服が顔を横にした瞬間に、キールは黒服の顎を狙って裏拳をする。直後、黒服は脳を揺らされて足から崩れた。倒れかける黒服をキールが抱える様に掴む。 


 そしてキールは黒服を背負ってトイレの中に身を隠した。トイレの個室から出て行く際にキールが言う。


「トイレの場所、教えてくれたありがとうな。しばらく眠っててくれよ」


 服を交換したキールは指で喉を抑えて小さく発声練習を何度か繰り返す。すると徐々に声変わりし、気絶させた黒服の声を完全に声帯模写することに成功する。


「ん、ん! あぁ! よし……イイ感じだ」


 そして悠々と外に出て、キールはVIPルームに戻る。


 ──VIPルーム。中央のエレベーター前。そこに一人の黒服の男が大慌てで現れた。


「ゲホッ! あぁッ! ガハッ!」

「ん? おい、どうした? 交代するんじゃなかったのか?」

「た、大変だ! 侵入者だ!」

「何!?」

「オレを襲って服を奪おうとしやがった! 何とか返り討ちにしてやったが、逃げ足が速くて見失っちまった。まだどこかに潜伏してるはずだ!」


 黒服の男は苦しそうに腹部を抑えながら言った。そして続けて言う。


「オレはベガ様に報告しに行く! くれぐれもお客様を不安にさせないように侵入者を探してくれ!」

「なるほど、分かった!」


 報告を聞いた黒服はインカムを使って他の警備を担当している黒服たちに情報連絡をしている。その間に襲われた黒服の男がエレベーターに乗って扉を閉めた。


 ウォ──ン……。


 エレベーターが静かに動き、上昇して行った。すると腹部を抑えていた黒服は急に元気になって背筋を伸ばした。


「ん……ふぅ! やっぱ変装するのも楽じゃねぇな。連続はさすがにキツイわ……」


 お察しの通り、黒服に変装していたのはキールである。侵入者の存在を黒服に知らせることにはなったが、彼らは下のフロアを捜索するはずだ。まさか侵入者がすでにエレベーターで上に上ったとは思わないだろう。


 エレベーターがグングンと上昇する。円錐形のVIPルームの天井を抜けると、透明な筒状の中に入った。外が丸見えで、青光りする稲妻と街の夜景の絶景が広がっている。キールは思わずその美しさに見とれてしまった。その時だった──。


 ビ───────────────────────────ッ!


「!」


 突然、不快な警報を鳴らしながらエレベーターが停止してしまった。キールは驚いて周囲を見る。すると謎の声がスピーカーから響き、キールに話しかけてきた。


「ビビビ……。ズー……ズー……。──待っていたよ、侵入者くん」


 マズい、しくじった!

 出口のない個室の中に閉じ込められてしまったのだと、キールは悟った──。

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