第74話 森野の日記⑥
その後も、森野の日記は続き、俺の弁当を下駄箱に届けるとき、恭介に見られ、俺が駆けつけた時の事。(真由美先輩というのがどういう人物なのかも、やっと分かった。)
勉強会の事、買い物デートの事、俺が宇多川に初めて会った時の事、昼休みを屋上で4人過ごすようになった事、お勧めの本を読み合った事、など毎日楽しく過ごしている様子が書かれていた。
森野は日記の中で俺と宇多川に恋愛フラグを立てており、冷たい態度を取り合っているのは気持ちを隠すためのフェイクなんじゃ…?と勝手にキュンキュンしていた。
色んな意味で心が削れるので、やめてほしかった。
その日の料理メニューも時々記載しており、俺が苦手なピーマンをどの位食べれたかなども細かく記載していた。
母親じゃあるまいし、森野はどうして俺にそんなにピーマンをたべさせたいんだ?
恭介や、クラスの男子についても、時々記載はあったが、宇多川絡みの話題に関わっているものだったり、学校行事に関する事だったり、さっぱりしたもので、森野自身が特に思い入れがある様子はなかった。
こんな形で確かめるのはフェアじゃないとは思うが、森野が他の男子を想っているという事はなさそうで、俺はホッとした。
そして、6月後半からは、日記が途切れがちになり、少し乱れた字で家族への思いが書かれる事が多かった。
最後の記載は昨日の日付になっており、3人に宛てた手紙のような内容になっていた。
【6月25日(金)】
今日ほど、自分が臆病で愚かな子供だったと思った事はない。
人の事を考えてるつもりで、結局は自分の事でいっぱいいっぱいで、周りが全然見えてなかった。
夢ちゃん。
ここ数日、家でも学校でも失敗ばかりだった私を心配して、お母さんに連絡してくれてありがとう。
ここ最近、夢ちゃんが私をずっと心配してくれてたの、分かってたのに、気付かないフリをしてた。
私は夢ちゃんの強さに憧れて、夢ちゃんと一緒にいたくて、夢ちゃんを追いかけて、この碧亜学園に入って来た。
その夢ちゃんに自分が弱い事を知られたくなかった。心配かけたくなかった。
むしろ、強い夢ちゃんが時折見せる脆い部分を護ってあげたかった。支えてあげたかった。
なのに、今回の事では却って夢ちゃんをたくさん心配させて、泣かせてしまった。
賢くて、人の気持ちに敏感で、純粋で真っ直ぐな夢ちゃん。
そんな子の前で自分を偽ろうなんて、なんてバカだったんだろう。
自分のバカだったところをきちんと謝って、
これからは、夢ちゃんに正直に弱いところも全部打ち明けようと思う。
がっかりされちゃうかもしれないけど、それでもまだ友達でいてくるなら、
お家の人の許可を取って、またパフェ食べに行ったり、お笑いのライブ行ったりしようね。
夢ちゃんは気にしてるみたいだけど、黒川さんと一緒に行動するのは私は全然構わないからね。
駄目だって言われても、また小学校で初めて会ったときみたいに、1から追いかけていくから、覚悟してね。
お母さん。
私をずっと心配してくれてて、何度も電話をくれたのに、そっけない態度をとってしまってごめんなさい。
本当は声が聞きたくて、会いたくてしょうがなかったんです。でも、それはもうしちゃいけないと思った。血の繋がりのない私は家族から離れてあげた方が皆が幸せになれると思った。
4才から12年間も一緒に過ごしてきたのに、
お母さんの愛情を疑ってしまってごめんなさい。
里見先輩との許嫁と同居を許したのは、私が邪魔だったからじゃなくて、男の子が苦手な私でも、先輩とだったらうまくやっていけると思ったからだったんだね。
お母さんが、私の事をどこにいても、血が繋がっていなくても、大事な娘だって言ってくれて死ぬほど嬉しかった。
もし、これから疑問に思う事や、不満があっても、何でも言って、ケンカになってもどんどんぶつかっていくよ。だって私達は家族だもんね。
明日、お母さん、お父さん、いーちゃん、かっくん皆に会えるのが、嬉しくて、楽しみすぎてドキドキして眠れそうにありません。
聞いて欲しい事がいっぱいあるの。
皆の事もいっぱい聞かせて欲しいな。
次にショッピングモールへ行くときは私も連れてってね。
そして、里見先輩ー。
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心臓が跳ねた。
俺は深呼吸をして先を読んだ。
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もう、里見先輩には完敗です。
先輩は、本当に賢くて、大人で、困っている人を放っておけない優しい人。
結局嫌いな私でも捨て置けずに、救ってくれ、自分以外誰も傷付けず、見事に同居を解消してみせてくれましたね。
同居して最初の頃、年上なのに、気難しくて、子供っぽくて、頼りない先輩を守ってあげなきゃ、お世話をしてあげなきゃなんて、勘違いをしていた自分が、今や恥ずかしいです。
ありがとう。先輩。家族と、お母さんと向かい合う勇気をくれて。
そして、ごめんなさい。出会ったときから、先輩を傷付けて、辛い状況に追い込むばかりだったのに、最後にも昔の傷を暴くような事をしてしまって。
あの時先輩の体に触れたとき、ほんの一瞬だけ、思ってしまいました。
先輩の傷を癒やすお手伝いをできるのが、自分だったらいいのにと。
いえ。分かっています。それは私には無理だと。
望まれてもいないし、そんな事は不要である事も。
先輩は素敵な人です。
またすぐにふさわしい相手が現れるでしょう。
先輩に美人でスタイルのよい彼女さんができた事を噂で知るようになるー。
その日を私は楽しみにしています。
今、私が先輩にしてあげられる唯一の事は、先輩が教えてくれた数学みたいに完璧に綺麗なこの終わりを崩さないように、壊さないように、静かに速やかに離れてあげる事です。
最後のミッションは、笑ってお別れする事です。
何だか心配です。
家族と離れるときも思ったけど、私、あんまりそういうの得意じゃなくて。
まだ荷物がありますから、最後ではないですけど、明日この家を出るときに泣いてしまいそうです。
先輩、私を、笑わかす事してくれませんかね?
よしもとバリのこけっぷりを披露してくれるとか、めっちゃ寝癖ついてるとか、何でもいいのですけど。
お願いしますね、先輩?
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俺は思い出した。
別れ際、俺の前髪のハネを指摘した森野のたまらなく嬉しそうな笑顔をー。
「ふっ…。っく…。うぅっ。」
俺は堪えきれずに、嗚咽をもらした。
「君は…本当にっ…バカ…なのかっ?」
『嫌いな私でも』って、今だに俺が君を嫌ってるとでも、思ってるのかよ?
完璧に綺麗な終わりなんてとんでもない!
なんとか森野との同居を続けていけるように俺がどんなにみっともなく足掻いていたか、君は知らないだろう?
俺の気持ちも何も知らないくせに、こんな胸を抉るような事を書きやがって…!
勝手に日記を見ておいて、森野を責める自分を理不尽にも惨めにも思いながら、俺は暫く涙と鼻水を止めることができなかった。
*
*
*
やがて涙も枯れ果てて、呆然とその場に座り込んだまま思った。
このまま離れてしまえば、もうお互いに傷つけ合うことなく、森野は俺を誤解して、神様みたいに尊敬したままでいてくれる。
それはそれで、俺達にとってある意味最善の形なのかもしれない。
けれど…。
俺の望みはそうじゃない。
それを伝える事は完璧に綺麗な終わりを壊すどころか、今までの関係や思い出すら、グチャグチャに汚してしまう事になるかもしれない。
森野に失望されるかもしれない。カッコ悪いと思われるかもしれない。場合によっては嫌悪感を抱かれ、徹底的に拒否されるかもしれない。
いや、多分そうなる可能性の方が高いだろう。
そうまでして、本当の事を森野に伝える必要があるだろうか?
森野にとっても、俺にとっても。
俺は森野に最初に出会ったときのことを思い出していた。
『あの、何してるんですか…?』
柱の陰から辺りの様子をコソコソ覗っていた俺に、猫のような大きな瞳を瞬かせて、躊躇いがちに話しかけてきた森野ー。
ハハッ。今更何かっこつけようとしてんだ俺?
あいつには俺の一番カッコ悪くて情けない姿を既に見られているのだった。
*あとがき*
りんごは、家族と別れた時、改札で涙したように、浩史郎と別れた後、駅までの道すがら
泣いていたと思います。
相手にしてあげられる唯一の事が、別れてあげることしかないというのは、りんごにとっても切なく辛い事だったでしょうから。
二人の道が再び交わる事があるのか、今後も
見守って下さると有り難いです。
よろしくお願いしますm(__)m
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