第70話 森野の日記②

【4月15日(木)】


今日のお昼休み、中庭で2年と3年の女の先輩がケンカをしているのを目撃した。


揉め事に近寄らない事を目標としている私は、そーっとその場を離れようとしたところ、柱の陰に隠れて女子達のケンカの様子を覗っている挙動不審な2年の男の先輩と目が合ってしまった。


何でか、その困ったような瞳に、おばあちゃん家のペスを思い出してしまって、ついウッカリ声をかけてしまった。


その自称リア充の先輩は里見先輩といい、女子達はその先輩をめぐってのものであることが、分かった。


私はすぐ、その場から立ち去ろうとしたが、その先輩は私に自分を逃してくれと頼み込んできた。


逃してくれたら、デートしてあげる。何でもおごってあげるとまで、言ってきた。


自分の事でケンカしている女子達を放って置いて、ただ逃げる事しか考えていない先輩に呆れたのだけど、何よりあの言葉が許せなかった。


「女性というものは自分の信じたいものを信じるものだ。今はヒートアップしているが、落ち着いた頃に一人ずつ話せば案外簡単に丸め込めるものなんだよ。」


小さい頃、お父さんを待っているお母さんの哀しそうな顔を思い出した。


幼心にずっと疑問に思っていた。


どうして、お父さんはこんなに辛くて悲しそうなお母さんを放って置いたのかと。


そういう訳だったのかー。


中学の時に再会したお父さんは余命幾ばくも無い状態だったから、どんなに憎んでいても、復讐することができなかった。


でも、里見先輩の言葉を聞いて、自分の中に忘れていた憎しみが蘇ってきた。


気づいたら、里見先輩をケンカをしている二人の女子の前に引きずり出していた。


やってしまった!男女の揉め事に首を突っ込むという一番いけない事を…。


後悔しても後の祭りだ。

ああ、名前まで名乗ってしまった…!


これから、どうしよう…。


❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇


あの出会いが、森野にとってどんな意味を持つものだったか、改めて思い知られ、俺は重いため息をついた。


森野は実の父親が亡くなる前に再会していたんだな。


俺と会わなければ、森野は父親を憎んでいた気持ちを掘り返される事もなかったんだろうか。


その後日記では、二股事件が学校じゅうの噂になり、俺が理事長の息子と知り、自分が退学になるんではないかと悩んでいる記述があった。


【4月20日(火)】


お昼休みに理事長夫妻=里見先輩のご両親に呼び出しを受けた。両親も、里見先輩も呼ばれ、いよいよ退学処分か何かになるかと覚悟した。


しかも、碧亜学園の受験について、お世話になったのが、里見先輩のお父さんと知らされ、申し訳なさで死にそうになった。


けれど、どういう訳か、私と里見先輩の許嫁と同居を提案されて、ビックリ!


お父さんもお母さんも、賛成みたい…?


あれ?お父さんは天然だからともかくとして、お母さんは私が男子苦手なの心配してくれてたのに、どうしてそんなに簡単にこの話を受けちゃったんだろう?


私は冷たい石を飲み込んだような気になった。


いや、そんなにネガティブに考える事もないのかな?


前から早く自立したいとは思ってたし、少し早まっただけと考えれば…。


問題は里見先輩とうまくやっていけるかどうか。里見先輩に相談すると、先輩は悲愴な顔で断るように頼み込んできた。


「君を始めて見たときに、好みから一番遠いところにいる子だと思った。つまりはモブキャラ、アウトオブ眼中だ。女と思えない。結婚相手になんて、考える事もできない。頼むから、この話、断ってくれ。」


その言葉を聞いて、私は震えた。あまりに感動したので、もしもの時にと夢ちゃんが持たせてくれた、ボイスレコーダーで録音してしまった。


誰も私に、そんな事を言ってくれなかった。


中学に入ってからは、

「全然可愛くないのに、調子づいてる。」

とか、「女のくせに、空気読めない。」とか、男子からも女子からも、女である事を理由に非難される事が多かった。


でも、里見先輩は、私をただの「モブキャラ」で、「女じゃない」と言ってくれた。


なら、私も先輩を「男の子」だと思わなくていいんじゃなかろうか。どうせ、こんな関係長くは続かない。先輩が、新たに恋人を見つけるか、私が一人暮らしできるようになるまでの一時的な関係で、「バグ」のようなものだ。


リア充のイケメンである里見先輩とは関わるのが怖いけど、ただの口の悪い「同居人」としての里見先輩なら一緒に暮らしていく事が出来るかもしれない。


里見先輩とだったら、男だの女だの意識しない、新しい関係を築いていけるかもしれない。


私は新しく生まれた希望を胸に、理事長夫妻とお父さん、お母さんの前で、力強く宣言した。


「先程の件お受けします。許嫁やシェアハウスの事も含めてお話進めて頂いて大丈夫です。」


と…。


ふと隣の里見先輩を見ると、死にかけのゾンビみたいな顔をしていた。


あ。しまった…。断るように頼まれていたのだっけ…。


またやらかしちゃった…。


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「誰が死にかけのゾンビだっつーの。」


俺は顔をしかめて思わず、文句を言った。


しかし、俺のあのひどい失言を、森野はそんな風に受け取っていたんだな。


男子が苦手な森野が、「女じゃない」と言われた事が嬉しかったというのは分からないでもないのだが…。


あの発言のほぼ全てが今の実情と合わなくなってきてるんだけどな…。


その後、森野が、許嫁と同居の件を宇多川に相談したらしい。もらったアドバイスをもとに、その件に反対している俺を、どうやって説得するかという試行錯誤の記述があった。


同居の件については、森野がいやに考えた事言うなと思っていたら、宇多川が一枚噛んでいたのか。すっかり騙されたぜ…。

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