第54話 怒りの理由
俺が呼び出した相手は、屋上手前の階段の踊り場で不機嫌な態度を隠そうともしなかった。
「呼び出しておいて、遅れるとかどういう神経なの?」
宇多川夢は仁王立ちして、少し首を傾げてこちらを睨めつけるように見た。
うぉ、こえーっ。俺は思わず後ずさりしたくなる体を叱咤し、怒りのオーラを纏わせる宇多川に駆け寄って謝った。
「すまん。ちょっと移動教室で戻るのが遅れた。でも、ちゃんと来てくれたんだな。」
約束はしていたものの、俺は少し意外な気がしていた。
普段の宇多川の俺への嫌いっぷりから言うと
すっぽかされても不思議ではなかった。
「東先輩からあなたが私と連絡をとりたがっていると聞いたときは驚いたわ。
でも、呼び出された理由はなんとなく分かる。りんごの事よね?
あの子の前で話せない事なのかしら?」
「お、おぉ。察しが早くて助かるぜ。」
「で、何?要件があるなら、手短にしてくれる?昼休みはりんごがいるから我慢してるけど、本当なら、私、あなたと同じ空気を吸うのもイヤなの。」
うん。そこまで綺麗に嫌われているといっそ清々しいな。
「分かった。端的に言う。宇多川に聞きたい事があったんだ。宇多川に最初に会ったときに言われた事なんだけど、森野が許嫁の話を飲んだのは家族の為だって。あれは一体どういう意味だったんだ?」
「……。そんな事言ったかしら?」
宇多川にしては珍しく、目を逸らして言った。
「言った。それからもう1つ。
俺は森野に出会った瞬間に一番傷付ける事を言ったって宇多川は怒ってたよな。俺はボイスレコーダーの件があったからてっきりその事かと思ってたんだが、
よく考えたら、あれは、二股事件の後学校で両親達に許嫁と同居の件の話が出たときに言った事で、出会った瞬間じゃない。
俺が森野に出会ったのは二股事件の時だった。
あの時森野とは、初対面だった。二股していた事や、それに関して付き合ってた子達に対して失礼な事を言った自覚はあるが、森野を傷付けるような事を言った覚えがないんだ。あの時宇多川はどういう意味でそう言ったのか、教えて欲しい。」
「………。」
腕組みをしてだんまりを決め込む宇多川に更に俺は続けて言った。
「昨日森野の母親と会った。」
弾かれたように、宇多川は俺を見た。
「全部話を聞いた。森野の母親と森野の今までの事を。もしかして、その事が宇多川の言ってた事と関係してるのか?それだったら俺はそれを知らないなくちゃいけないんじゃないかと、そう思って俺は宇多川に話を聞きたいと思ったんだ…。」
「そう…。全部知ったのね。それで、あなたりんごの事をどう思ったの?」
「どうも、こうも…。森野は森野だよ。別に何も変わらない!」
俺は動揺している事を悟られまいと語気強く言った。
「私だってそうよ!だけど、りんごはそうじゃない!心のどこかでずっとその事で悩んでた。苦しんでた。」
宇多川は泣きそうな顔で叫んだ。
「りんごは自分が家族にとって邪魔になると思ってる。だから浮気性と分かっているあなたと許嫁になる事も、同居する事も嫌だって言えなかったの!
でも、本当はそうじゃないの。いいご両親なのよ。あなたを許嫁にしたのはどうかと思うけど、多分本当にりんごの幸せを考えての事だったと思うの…。何度もそう言ってるのに、あの子分かってくれなくて…。」
「だから、宇多川は俺が気に入らなかったのか。」
「そうよ。それともう1つ。あなたの言った言葉がりんごを傷つけたからよ。
あなたも、りんごと長く過ごしているならいい加減わかるでしょ?あの子がどんな性格か。」
「まぁ、いい奴だと思うよ。天然で振り回される事もあるけど、基本素直で明るいし、面倒見が良いし…。」
「そのりんごが、初対面のあなたにあれだけの事をしたのはそれだけの理由があると思わない?」
「いや、それは俺が二股してた上に彼女達から逃げようとしたから、正義感の強い森野は許せなかったんじゃないか?本人もそう言ってたし。」
「それだけじゃないわ。あなたはりんごにこう言ったの。『女性というのは自分が信じたいものを信じる生き物だ。今はヒートアップしてるが、後で落ちついた頃に一人ずつ話せば案外どちらもうまく丸め込む事ができる』って。」
そういえば、そんな事も言ったかもしれない。
確かに女性をバカにしたようなひどい発言だったな。
「確かにひどい事を言ったかもしれないけど、それが森野に対してどういう…。」
「それがりんごに何を思い出させたと思う?
りんごが小さい頃、お家に帰って来なくなったお父さんを待ってるりんごのお母さんの姿よ。
どうしてお父さんはこんなに苦しんでいるお母さんを放っておくのかと疑問に思っていたらしいの。それを、あなたがそんな事を言うから…。」
!!
思い出した!森野は先輩のおかげであの時長年の疑問が解けたと言っていたんだ。その後、森野の表情が一変して…。柱の陰から俺を突き飛ばしたんだった。
「りんごはお父さんがお母さんを放っておいたのは、悲しみ、寂しさーお父さんにとっては対処するのが面倒なそんなお母さんの感情ーが収まるのを待っていたからだったと分かったと言ってたわ。
実際お父さんから離婚届が送られてきたのは、お母さんが悲しみや寂しさといった感情も時間が経って諦めや失望に変わった頃だったらしいわよ。」
「お、俺は何もそんな…。そんなつもりで言ったんじゃ…。」
俺は愕然として、喘ぐように言った。
「そうよね!あなたは何の考えもなしに軽はずみに言った事なんでしょうよ!!
でも、りんごにとってはね!誰より大事にしているお母さんに、苦しんでいるお母さんに対して笑いながら今はヒートアップしてるから放っておこう。落ちついた頃に丸め込めばいいからって言ったも同然だったのよ!!」
宇多川の血を吐くような叫びに俺は言葉もなかった。
肩で息をしながら、あの気丈な宇多川が泣いていた。
「私、あなたを許せないわ…。分かったでしょ?私があなたを嫌いな訳…。
私はあなただけにはりんごに近付いてほしくないの。」
「……。」
「あなたがりんごに好意を抱いてるのは知ってるわ。」
「!!」
「お願いよ、里見先輩。本当にあの子のためを思うのなら、その想いは知らせないまま、静かに離れてやってくれないかしら?
それが、あなたがりんごにできる唯一の償いだと思うの。」
「お、俺達は親の決めた許嫁で、同居の事も簡単に解消できるわけじゃない…。」
俺は宇多川から目を逸らして言い訳のように言った。
「そんな事はないわ。りんごから聞いたけど、月ごとに生活を報告する機会があるんでしょう?本人同士の気持ちを考慮してくれてる機会だと思うの。その時にりんごとの同居を解消したいと言ってくれれば…。もし、それでも、難しいようなら、宇多川が力貸すわ。何だったら、代わりに一時的に私が許嫁になってもいい!」
「なっ。お前は俺が嫌いだろ!?何でそこまで…。」
「りんごの為なら何でもできるわ…。今のりんご、辛そうでとても見ていられないのよ…。」
「森野が辛い…?」
「りんごがあんなに大好きな家族から離れて暮らしてるのよ。平気なワケないじゃない。もう限界が来てるのよ。家族の元に返してあげるのが一番いいのよ。」
「話は分かったけど、それは宇多川が言うべきことじゃないだろ?森野が、そう思って同居を解消して欲しいというなら俺は受け入れる。
けど、そうじゃないなら、俺は…。」
宇多川の強い視線を真正面に受け止める。
「そう簡単に森野を手放してやれない…!」
見る間に宇多川の目が釣り上げる。
「傲慢で自分勝手な人ね!あれだけりんごを傷付けておいて。どの面下げて、りんごを欲しいと言えるの!」
「不本意ながら傷付けてしまった事は謝る。
おれができる償いはする。
家族と行き違いがあるのなら、間に立って話し合って同居解消しないまでも、交流できるようにすればいいだろ?何でもできる事はやって、友達だろうと何だろうと今の関係を繋げていきたい。自分から断ち切る事はしない。」
「そう。こんなに私が頼んでいるのに無碍にするのね。分かったわ。
だったらもう、話は終わりよ!
それなら私は私のやり方でりんごを守ることにする!あなたのやり方は自分の気持ちを優先してるに過ぎないわ。りんごを壊してしまうわよ!!」
そう言い放ち、宇多川は俺に背を向けて歩き出した。
「宇多川!」
「何よ!」
宇多川は振り向かなかった。
「その、森野の事教えてくれてありがとう!
お前は、森野の本当にいい友達だと思う!」
「当たり前でしょう。あなたに言われるまでもないわ!」
宇多川は振り返らないままそう言うと、駆け去っていった。
胸に重苦しいものを抱えながら、俺はそれを、見送った。
自分だけが被害者のような顔で今まで森野にひどい言動をとっていた。
森野は嫌味も言わず、笑顔で応対していたが、今までどんな気持ちだったのだろうか。
森野の事をもっと知りたいと思う気持ちと
知れば知る程、辛い現実を突き付けられ、もうこれ以上は知りたくない気持ちが葛藤していた。
けど、ここまできてしまえば、もう相対するしかないのだと分かっていた。
『私はただ、ちゃんと女の子たちと向き合って欲しくて…。』
森野…。お前はいつも正しいよ。
俺は間違えてばかりだな…。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇
「あっ、先輩。お帰りなさ…。ど、どうしたんですか?」
玄関口で出迎えに来た森野は俺の顔を見るなり、驚いたような顔をした。
「ただいま。何がだ…?」
「いや、顔つきがどんより暗いから。昨日もちょっと暗かったけど、今日は輪をかけて暗いです。」
「そうか…?」
「もしかして、体調悪いんですか?お昼休みも屋上に来なかったし。ご飯ちゃんと食べました?」
「あ、あぁ。悪かったな。体調はなんともない。急に用事ができて行けなかったんだ。適当にパン買って食べたから大丈夫。お弁当すまなかったな…。」
「あっいえ、余った分は東先輩に食べて頂いたのでそれはいいんですが…。」
「恭介に…?」
途端に渋い顔をした俺をみて、森野はしまった言う顔をした。
「あ、いや、あの…。」
あわあわしている森野に俺はため息をつくと、努めて冷静に言った。
「明日はできるだけ行くようにする。どうなるか分からないから、俺の分のお弁当は朝渡すようにしてくれ。」
「あっ、はい。分かりました。」
思ったより怒られず、拍子抜けしたような顔で森野は返事をした。
俺は大きく息をつくと、リビングのテーブルの席を指差して森野に伝えた。
「それと、少し、話したいことがある…。
そこに座ってくれるか?」
「は、はい…。」
森野は目を瞬かせて、俺の顔色を窺うようにじっと見た。
「大事な話ですか…?」
「結構大事な話だと思うぞ?」
「落ち着いて話を聞きたいので、お茶淹れてきてもいいですか?」
「いいよ。」
森野は俺の顔を不安気にチラチラ見ながら急須にお茶の準備をし出した。
*
*
森野は神妙な顔で、お茶を入れた湯呑みを俺の前に差し出した。
「まぁ、まずはお茶を飲んで落ち着きましょう。」
「あ、ああ…。」
俺は勧められるままに一口お茶を飲んだ。
すると、森野も自分のお茶を一口飲み、ひと息ついて、意を決したように話を切り出した。
「それで?○イフルですか?それとも○コム?今度はいくら使っちゃったんですか?」
「は?」
「怒らないから正直に話して下さい。それほどの金額でないのなら、私も一緒にバイトしますし、高額ならご両親にも相談しましょう。一人で抱え込んでいたら、解決できるものも解決できませんよ?」
「君は何を言ってるんだ?」
「ですから、先輩の借金の話ですよ。」
「そんなものはない!」
「じゃ、またお財布でも落としちゃいました?」
「それも違う!お金の話じゃない!!」
「な、なんだぁ…。先輩、死にそうな顔してるから、私はてっきりお金の事かと…。」
森野は一気に肩から力が抜け、テーブルに崩れ落ちた。
「すごい嫌な汗かきました。紛らわしい事しないで下さいよ!」
恨みがましい視線をこちらに向けて、森野は文句を言った。
「勝手に勘違いしたのは君だろ?人を何だと思ってるんだ。○コムって!だいたい高校生は消費者金融使えねーよ!」
「そうなんですか?だって、先輩前科があるから…。」
「以前食費を使い込んだり、財布を落としたりした件なら悪かったけど、あれから反省して、お金の管理はちゃんとしてるよ!ちょっとは信用しろって!」
「すいませーん。」
ついつい、いつもの調子で、怒鳴りこんだところ、森野はちっとも悪いと思っていなさそうな様子で謝った。
「でも、じゃあ、何のお話だったんですか?」
不思議そうな顔で聞いてくる森野に俺は言い淀んだ。
「それは、その…。俺達が出会ったときの事なんだけど…。」
「二股事件の時の事ですか?」
「そ、そうだ。最初に会った時、森野は俺にどんな印象を持っていたか教えて欲しい。」
「えっ…。」
森野は一瞬とても気まずそうに目を逸らしたのを、俺は見逃さなかった。
やはり、森野は俺に対して憎悪の気持ちを抱いていたのだろう。
「教えてくれ。森野がどう思ったのか。俺はそれを知りたいんだ。」
「でも、先輩に対してあまりに失礼な事を言ってしまいます。」
再度請われても、森野はなおも言うのを躊躇っていた。
「それでもいい。構わないから言ってくれ。」
「何で、そこまで…。」
「それを聞かないと、俺は森野に対してずっと負い目を感じたままになってしまう。
頼むから言ってくれ。」
「何だか分かりませんが大事な事なんですね?」
真剣な表情で問うてくる森野に、俺は頷いた。
「じゃあ、言います。私、最初に出会ったとき、先輩の事を…。」
森野は躊躇うように言葉を切ると、深呼吸をして、一気に言った。
「静岡のおばあちゃんのとこで飼っている犬のペスそっくりだと思いました!」
*あとがき*
いつも読んで頂き、フォローや、応援、評価下さって本当にありがとうございます
m(_ _)m
近況ノートにも書かせて頂きましたが、
カクヨムコンに参加させて頂く事にしました。1月までに、春編完結まで投稿できるようにしたいと思いますので、
これからも、応援して下さると有り難いです。
どうかよろしくお願いします。
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