第7話森の探索

意識が覚醒し、徐ろに時計に目をやると時刻は5時を少し過ぎていた。立ち上がりカーテンを開くと、昇り始めようとする太陽の存在を示唆するかのように空が少しずつ白んできているのが分かる



「……行くか」



支度をして部屋を出て一階に降りると当たり前ではあるが、起きるにはまだ早すぎる時間なので人の気配は無かった。父と母はまだ布団の中なのだろう。起こさないようにそろりと気配を殺しながら外へ続く扉のドアノブへ手をかける



「おはようございます 紅葉さん 今日は随分と早起きなんですね 」



振り返ると寝衣姿の父が少しだけ驚いた様子で廊下に立っていた。その目は僅かに俺の行動を訝しんでいる



「おはよう 父さん。目が冴えたんだ。二度寝も出来なくて」



「だから、あー〜うん 散歩……? そう 散歩だよ。散歩をしてこようと思って」



咄嗟に上手い嘘を吐く。

だが俺の心の内をどこか見透かすように父の瞳が少しだけ鋭くなったように感じた



「人が変わった行動をとるんですね」



「……」



言葉に詰まる。正直なところ、俺はこういった場を取り繕う技術に長けていないと自覚している。こういうのは配下の1人で俺の右腕とも呼べる存在。副官ウルカノスと魔王軍大参謀アウロラに任せっきりだったかが故にどう答えるのが最善なのかまるで分からずもう押し黙るしかなかった



この沈黙を父がどう捉えたのかは分からない。少しだけ困ったかのように、ため息を吐いて、手を翳す



「来なさい グツグツ」



魔法陣が現れた。父は召喚魔法を使い、火の精霊を呼び出したのだ。召喚魔術師なのだろうか?



「お呼びで ご主人」



現れたのは一見すると小さな赤いマナの塊だ。しかしその塊が不意に目を開ける。火の下級精霊のようだった。



「グツグツ 紅葉さんのお出かけについて行きなさい。何かあれば、分かってますね」



「はいよ ご主人」



「……行ってきます」



「はい いってらっしゃい。朝ご飯までには戻ってくださいね」



俺はグツグツを肩に乗せて、わずかに緊張しながら手を振り家を後にした。




「なあエルの娘っ子。オイラの名前はグツグツってんだ。所でお前さんはどこに向かってるんだ?」



「……」



「言っておくがオイラたち精霊に嘘は通じないからな。そしてお前さんの足取りには迷いがない。目的の場所があるだろ。どこだ?」



生物は嘘をつく時に微量に言葉に込もる魔力が曇る。こっちは大精霊クラスとも何回も殺し合ってきた。手の内は当然知ってる。その嘘は魔力操作が卓越してれば謀ることが可能だ。



(そんな事をしなくても何も喋らなければいいだけなのだが)



もしかしたら父は多少疑っているのかもしれない。娘の中身が変わっていると。だが不信が確信に変わるまでは何か行動に移る訳でもないだろう。その間に元に戻す。そうすれば万事が上手くいく。今は紅葉らしく振る舞うべきか



「この先に泉があるんだ。私はどうやらそこで溺れたらしい」



「何でわざわざそんなとこ見に行くんだ?縁起が悪いだろう」



「だから縁切りしたいんだよ」



「なんだ、そりゃ」



エニシとは厄介な縛りだ。縁結びの神マココ自身がそう教えてくれた。

人を含めた生き物は場所に縛られ、長い時間をかけて縁を作る。それは超常たる存在 神たちにも例外なく働き、その者たちと縁の紡がれた場所は、厄介な事に場所そのものが強大な力を持ち事象を引き起こす様になる。所謂龍穴アルカナと呼ばれるモノだ。

だから、俺が二千年後に紅葉の肉体に入り込んだのは、場所が関係しているからと考えたのだ



子供の足で走って30分程度の距離にそこはあった



「着いたようだぞ、娘っ子」



「のようだな。降りてろ、泉に落ちたら、質にもよるが水のマナで肉体を維持出来ない程度のダメージを負うことになるぞ」



「物知りだな。娘っ子」



「勉強したからな」







「特別魔力の純度が高い訳でもないし、龍穴どころか聖地ですらない」



何の変哲もない穏やかな辺であった。試しに水を掬い、口に含む。

それを見て背後にいたグツグツが慌てる



「おい生水だ。そんなもの飲むとお腹壊すぞ!」



「?」



「いいから吐き出せ。ペッ!しろペッ!!」



水は水なのに、ここまで言われては仕方ない。よく分からないが水を吐き出すとグツグツはホッとしたようだ。

一つ分かったのは場所は無関係ということだ。

しかし困った。予測の範囲内であるが、実際こうなると途方に暮れてしまうな。



「なにか手がかりがないと手詰まりになってしまうんだが」



人間はすぐに子供から大人になる。言うならば子供の時間とはかけがえのないお宝なのだ。それは幾百の黄金を積もうとも到底釣り合うものではない。

配下の1人にそんなことをいって、子供を溺愛する奴がいた。その言葉が真であるならば、俺は紅葉からそのお宝を奪っていっている



ガサリ。草むらが一瞬動き、そいつは俺たちがいる泉の反対側にのっそりと現れた。



現れたのは"アイアンベアー"金属の様に固い体毛。また鉄をも切断する牙と爪を持つ中位の魔物だった。普段は山の方にいるのだが、なぜ人里が近いこんな場所まで降りてきている。




「騒ぐな!娘っ子!!ゆっくりだぞ!!!」



「分かってる」



そろりと立ち上がり、一歩ずつ背中を見せないようにそっとグツグツを拾い、距離を取っていく。

今の俺にかつての力はない。見つかれば死ぬ。

そして人間の子供の足では大型の熊から逃げ切ることは不可能だ。

アイアンベアーはピチャピチャと水を飲んでいる。今のうちだ。今のうちに。ゆっくりと迅速に


ポキリッ……落ちてた小枝が踏みしだかれる音が、静寂に包まれた森に小気味よく響き渡った。



「グオオッ!!!」



俺たちの存在に気付いたアイアンベアーが顔を上げ、視線が絡むと一白を置いて、全力で走ってきた。目は血走っていた。まるで何日も食べておらず飢えているようだった



「走れーーー!娘っ子!!」



グツグツに言われる前に身体が勝手に全力疾走していた。心臓が痛い。背筋が寒い。全身から冷や汗が止まらない。なんだこの感覚は。もしかして恐怖か。あの程度の魔物に。

魔王である俺が恐怖しているのか?


魔力を循環させ、全力で土を蹴る。



逃げ切れるのか?いや逃げ切るんだ。戦闘は死を意味する。



「避けろぉーー!」



グツグツが船の舵でも切るように俺の頭を掴む。重心が乱れて、横にたじろいだ。

スレスレで頭を何かが横切った。アイアンベアーの爪だ。今のが当たっていたら死んでいた。



傾斜を転がり落ちて、無様に這いつくばりながら見上げる。2mを優に超えるその体から感じる圧が、数値以上に大きく見える。肩に乗っていたグツグツが何か覚悟を決めた顔をする



「娘っ子。ここはオイラが」



《サンダーブレイク!》



目の前に雷が落ちた。雨は降っていない。雷だけが突然落ちてきたのだ。魔法だ。雷撃の魔法サンダーブレイクは、アイアンベアーを脳天から直撃し、一撃で即死させていた



「怪我はない? 大丈夫?」



助けてくれた誰かが慌てて駆け寄ってくる



「すまない。助かっ────。」



その姿を見た時に俺は息が止まるかと思った。見覚えがある人物だったからだ



「お前は、ルコア……ルドル……なんで?」



魔王であったかつての時代。英雄と呼ばれる者たちがいた。その中でも、特に強い力を持つ英雄たちは、大英雄と呼ばれていた。



大英雄 ルコア・ルドル。雷の魔法を極めた世界最速の魔術師。そんな彼女は、勇者アリスが現れる数百年も前に死んだ。それが二千年以上経った今、変わらぬ姿で現れたのだ。

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