第6話1日の終わり
レッドボアのトンカツ。肉をどうやら白金稲粉を使って、衣を纏わせているらしい。口に運ぶとカツ丼とはまた違った味わいがあった
ガツガツとトンカツを食べている俺を見て、向かいに座っている父が口を開く
「紅葉さん ちゃんと好き嫌いせずに野菜も食べないとダメですよ」
「野菜……草……」
驚いたことにどうやら、これらは食事を彩る為の飾り付けではなく、山でそこら辺に生えてそうな雑草に見えるにも関わらず、食べ物であるらしかった。
「そうよ 野菜はしっかり食べないといけないわ。だから、あ・え・て あーえーてー!ママの野菜も全部進呈します。か、勘違いしないでよね 別に野菜が苦手だから、紅葉ちゃんに押しつけ様だなんて思ってないんだからね!純粋に親心なんだからね」
「紅羽さん?」
「ママ お野菜 だいすき 好き嫌い ない
野菜あげる 嘘 だからパパ 怒らない」
父が物凄い圧のある笑みと共に母に顔を向ける。目は全く笑っていなかった。
どうやらこの草を食べると健康に良いらしい……俺は生まれてこの方、病に罹ったことが無いのだが、健康を意識しないといけないとは、なんとも不便な体質だと云わざるを得ない
「ぱくり」
ふむ。美味しいかと聞かれたら、まあ不味くはない。ジューシーな揚げ物の箸休めとして、このヘルシーな水々しい野菜たちが体内で良い働きをしてくれているのを感じる。
一つわかったのは、俺はどうやらカツ丼派であるらしかった
「紅葉〜夕食食べ終わったらお風呂に入りなよー」
魔王と怖れ慄かれていたあの時代にお風呂に入るということはなかった。俺自身はそもそも時間をかけて体を清潔に保つより、清潔魔法を使えば瞬時に体を綺麗に保つことが容易だったのでそちらを使っていたからだ
故に俺自身初めての経験である。浴室に入室するとデカい浴槽に水が張られていた。湯気が立っているのでお湯のようだ。改めて豊かな時代なのだと思い知らされる
「自宅に小さな温泉があるようなものだな これでは」
清流の国アルロマフが体を清める為の水浴を温水として利用して体を清潔に保つ文化として体系化したのが始まりであるとされ、『寝る前に風呂に浸かると1日の疲れが全部吹っ飛ぶんだよー』と。そう言って毎日3回はお風呂に入る部下がいたがそんなことがあるのか?
言うなれば全身をお湯に浸けるだけなのだ。この程度の事で、日々の疲れが吹っ飛ぶのなら、その世の中にストレスなんてものはない
「ふぁぁ〜」
魂が口から抜け出そうな感覚に襲われて、思わず変な声を出してしまった。
なるほど。人体に適した温水に浸かる事で身体中の至る所に血を通わせ、外からの水圧で身体を揉んでくれている。これにより疲労から解放される感覚は正に夢見心地だ。
思わずなんだか少しウトウトしてしまい、瞼が重くなってきて微睡み始める……あえてこの感覚に身を委ねるのも良いものだな
「紅葉〜今日は入浴剤使わないの?」
「……母さんノックくらいしてくれないか」
凄い台無しな気分で、若干不機嫌に言葉を返してしまう
「女同士なんだから恥ずかしがらないでよ。で、ほら新商品 スライムの雫 炭酸ver お隣のデュラハンさんから貰ってもらったから使ってみなよ」
「スライムの雫 炭酸!?」
炭酸って何だ?手渡されたのは青いブニブニとした手触りのナニカであった。お風呂に入れると瞬く間に、スライムの雫は水に溶けて、青く染め上げ、水がゼリーのように弾力を持っていた
「なんかこれ……刺激臭が」
スライム。造魔の分際で俺の至福のひとときを邪魔するとは、やってくれる
これなら入れない方が良かったぞ、母よ。そう後悔しかけた瞬間、泡がぶくぶくと浮かび上がる。
な、なんだ!?なんか身体がシュワシュワしてくすぐったい!
スライムは食べ物を捕食する時に体内に取り入れて胃酸でドロドロに溶かすのだが、このスライムの雫なる物。どうやら、温水に弱い酸を付加したらしい。このビリビリと肌を刺激する感覚は、先程とはまた違った極楽を味合わせてくれた。
俺は今全身をスライムに抱きしめられている。生命を包む大海原はまるで子供にとっての母胎といえる。
「これは……これはーーー!!!」
俺は確かに見た。スライムの新たな可能性を────。
「新商品どうだった?」
「うん なんか 凄かった」
「そか アイス食べる?」
「ん。 食べる」
「ユニコーンの角とバイコーンの角どっちする?」
二千年後ではあいつらの角って食文化に組み込まれたのか。相当硬くて、それこそ人間の歯が立つ硬度ではないはずだが、時間の流れとはかくも恐るべし
「ユニコーン」
包装された袋から物を取り出す、本物ではなく、氷菓子をユニコーンの角に模したようであり、バニラ味と書いてあった。
口に含むとなんていうか甘くて冷たくて美味しかった。母が食べていたバイコーンの角はビターチョコ味らしく、一口くれと言ったら、母曰くこれは大人の味らしい。味に大人も子供も無いと思うのだが、興味があるので今度是非食べてみたいと思った
「ふぅ〜 結局普通に過ごしちゃったな」
自分の部屋のベットにゴロンと寝転がり天井を仰ぎ見ながら、考えをまとめる。
一つ。俺の魂は何故二千年の今になって人間の紅葉に乗り移ったのか?────原因不明
二つ。俺の死んだ五百年も後に復活した魔王は何者なのか?────詳細不明
三つ。これが1番大切だ。勇者アリスはあの後、どうなったのか?────……
「明日……から、情報収集しない、とな……」
枕元にオルゴールが置かれていたので魔力を微量に流す。流した分だけゼンマイが巻かれていき、ゆったりとした音楽が室内を満たし始める。この音楽聞き覚えがある。夢海の導き手であり人魚姫 ローレライ・ハイネの歌声だ。それと比べると込められた魔力は遥かに弱いが、それでも聞いた相手を夢海に引きずり込むには十分であった
深い微睡みに浸かるように意識は、底へと静かに引っ張られていった
呪われ荒れ果てた場所。そこは空気が撫でるだけで肌を瞬く間に爛れされて、一呼気で死に至る瘴気が充満しており、割れた空間の狭間からは常人が見ただけで発狂してしまう狂気が渦巻いていた。
そんな生命の介在する余地すらない死の地において、ただ1人。異様な老婆が平然と何かを目指す様に歩いていた
暫くして老婆は目的の場所に着いたのか漸くと足を止める。
老婆の目の前のそこだけは異質であった。一目で不浄の一切が存在できぬ神聖な場所だと分かる空間。魔法の力により生み出された一本の御神木と傍には血に塗れて黒く変色した聖剣が地面に突き刺さっていた。
「ヒッヒッヒ 200年ぶりとなりますでしょうか
お久しゅうございます 魔王様」
しわがれた声と共に臣下としての礼を取る老婆はかつて世界の全てから忌み嫌われた魔王と畏れられた者の配下であった。
「何ですか そのとぼけ顔は……ああ、なるほど この醜い老婆の姿では誰か分からないのも無理ありませぬな。ならば思い出させてあげましょうか
"常闇は弱き人を獣に変える
恐れを口にしてはいけない その恐れは闇を呼び いつか我らを獣に変えてしまうから
穢れを目にしてはいけない その穢れが闇を呼び いつか我らを獣に変えてしまうから
祈りを忘れてはならない その祈りが闇を遠ざけいつも我らを人として満たしてくれるのだから
さすれば聖体拝領を与えましょう 聖餐のみがあなたの闇と血の渇きを 忘れさせてくれるでしょう
しかし 忘れてはならない 例えあなたが忘れても 常闇はあなたを忘れはしないことを"
これで思い出してくれましたかな?以前魔王様に絵本を作れと言われて、一冊戯れで作ったら、魔王軍でベストセラー作家になったマナフ・ワルプルギス。でございますよ魔王様」
マナフ・ワルプルギス。彼女の名は世界に広く知られている。男であれば神さえ誑かすと云われた美貌と女性なら誰もが嫉妬する豊満な肉体を持っている美女、だからではない。それは偉業を成したからだ。世界に5人しかいない大魔法使いとして数えられる智と魔を持ち、又、この世界にある魔法の1割は彼女により創られ広めた魔法黎明期における立役者であるからだ
「ヒッヒッヒ 思えば、転生ばかりしてきましたからな、ここまで年老いたのは初めての経験ですよ……魔王様の驚く顔が目に浮かびますわい」
「さて魔王様に事の顛末を報告させて頂きましょう。先ず魔王様の死後に起こった二百年に及ぶ聖戦によりウルカノス様を初めとして、ティアベル様もヴェスター様もアウロラ様も。全員が残らず殉死を遂げました。まさか魔王軍で最も死を経験したわしが最後を見届ける羽目になるとは、いやはや皮肉なものですな」
「多種族は勇者を輩出した人間を中心にまとまりを見せています。これからは人が創り上げる時代が来ますよ」
マナフは御神木にその疲れ切った背中を預けるように腰掛けて、一息ついた
「これで魔王様の待ち望んでいた平和が来るのですな!やりましたな!結果的に貴方様を信じてついて来た仲間はみんな死にましたが、素晴らしい未来の為です。まあそこは気にしないでおきましょう!
ばかやろう!!!なにが……なにが 平和なもんか
貴方も貴方です。いつか来る未来を夢見てばかりで、どうして懸命に生きる現在を見てくれなかったのですか。本当にこんなやり方しかなかったとでもいうのですか!
魔王様 貴方に忠実な我らがどうして、下された"最後の命令"を破ったか分からないでしょう!
貴方はどうして どうして どうして……うぅぅ
こんな こんな 世界なぞ いっそ滅びて終えばいいのです」
堰を切ったように独り咽び泣くマナフは悲嘆に暮れながら、そんな恨み言を思わず口にせずにはいられなかった
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます