第3話美味しいは幸せ
目の前で賑やかに振る舞う母親に連れられて、俺は部屋を出て階段を降りていく。瞬間、体験したことが無いはずの紅葉と家族たちの思い出が一瞬でフラッシュバックしていく
「その、壁の凹みは、昔……私が走って頭を打つけた時のやつ」
恐る恐る壁の方を指さして言葉に出すと母親はキョトンとした様子だった
「突然何を言うのかしら、この子は。紅葉ちゃんが昔から凄い石頭なのは今に始まったことじゃないけど、この程度の凹みを自慢されては敵いませんな〜。
ちっちっち、甘いよ、紅葉ちゃん。その程度のレベルにママのストーンヘッドの称号は譲れないわね。
ママの石頭はね、そこらの石頭とはレベルが違うんだよ。なんたって、転んで頭をタンスにぶつけかけたら、タンスの方がビビって私の石頭を咄嗟に避けたんだからね。勝負してアピールなんて所詮は二流、ママくらいの真の一流石頭は勝負をせずにして勝つものなの。どう?」
どう?と言われても、言ってることの大半が意味不明だったので理解に苦しんだが、どうやら頭の硬さに自信があるらしい。だから何だという話なのだが……
紅葉と目の前の母親が普段どんな会話を交わしているか予想もつかないが、なんて言うのが、らしいのかも分からない。仕方ないから俺は無視して別の傷へ指を向ける
「この廊下の傷は、デュラハンさんの予備の兜でボール遊びしてたら付いた。後、母さんに物凄い怒られた」
「うぅ……ママだって怒りたくて怒ったわけじゃないもん。でもでも勘違いしないでね。紅葉ちゃんが廊下を傷つけたことを怒ったわけじゃなくて他人様の物を無碍に扱っていたから怒ったのよ?紅葉ちゃんだって自分の大切な物が雑に扱われたら絶対嫌でしょ?
……分かった?分かってくれたなら、ママを嫌いにならないでね!絶対よ?ほら"いつもみたいに"ママ愛してるって言ってみて。でないとママ泣いちゃう」
「え」
「言わないってことは嫌いになったんだ。酷い!ママもう立ち直れない!今日から3日間、ママの枕は涙の大洪水よ。この家を浸水させてやるんだから。わーん!わーん!」
涙は流れておらず泣き真似をしているというのが丸わかりなのに、見ていてこうも胸が痛くなるのは俺の精神がこの肉体寄りに引っ張られていっているからだろう。肉体と精神は持ちつ持たれつ。故に精神と肉体の差異が大き過ぎると、精神が肉体に合わせて変質するのだ。
例えば魔法により龍の体に人間の精神を組み込んだ場合、人間の精神が龍の考え方に時間をかけて近付いていくという結果が出ている……分かり辛い。例え方がこれは悪いな。簡単に言うなら、器を満たす為に水を注ぐと器の形に合わせて水は形を変える。つまりは俺の精神もそういうことなのだ
「……母さん。愛してるよ」
母親は満面の笑みで微笑みながら、俺の小さな身体を包み込むように抱きしめる
「もちろん ママも愛しているわよ」
数千年生きてきて、愛を言葉にしたのも愛を囁かれ誰かに抱きしめられるなども初めての経験だった。この少女の母親というだけで彼女は俺の器となっている少女に無償の愛を捧げている。ああ、これが家族というものか。もしも世界中にこの幸せが当たり前のように転がっているのなら、あの時、俺がしてきたことも少しは無駄じゃなかったのだろうか
「仲睦まじい親子愛に水を差すとこ悪いんですが、ご飯。できてますよー」
優しそうな男性の声と共に、声と寸分違わずイメージ通りの眼鏡をかけた知的な男性が朗らかに顔をひょっこり覗かせてくる
「今行くよ、父さん」
自然にそんな言葉が口をついて出てきてしまった
♢♢♢
魔王と呼ばれていたあの時代、俺は飯というものを口にしたことが殆どなかった。空腹感や飢餓感と縁がなく、大気に満ちた魔力を呼吸で取り入れるだけで事足りていたからだ。
故に人々が飢えて苦しんでいる様を見ても、イマイチ共感がし辛かった。部下の中には『美味しいメシ食ってるこの時の為に生きてたんだな〜って実感しますね』なんて幸せそうに語る奴もいた。見下すつもりもバカにするつもりもないが、そんな楽観的な人生を歩めることに羨ましさを感じたことさえある
食べ物食べてるだけで幸せになれるなら、神も俺もこんなに苦悩したりはしないのだ。食事は生きる為に必要なだけのエネルギー摂取。美味しさは二の次。大事なのはどちらかと言えば効率だろう。だから、目の前の食卓に並べられた『特製ボアカツ丼』なんかに魅力を感じるわけがないのも仕方のないことであった
『ぐぅ〜〜!』
「も、紅葉さん!?口からすごい涎が!!!」
「じゅるり! もう食べていいのか!?」
食卓を囲んでいる父親が右手を胸に手を当て、左手側に座る母の手を取り、母親は流れるように優しく俺の手を掴み取る
「その前に簡単にお祈りを済ませましょう。
神の御手。運ばれた命とあなたに感謝を。今日という日に祝福を。来る約束の日まで我らの歩みは世界と共に」
一拍を置いて父が告げる
「ではいただきましょう」
「食べていいのか」
「ええ。いっぱい食べてください」
レッドボアのカツ丼は至ってシンプルだ。用意された食器を使い、丼の中に盛られた白穀の上に綺麗に乗せられたレッドボアの肉を卵で閉じている。それだけだ。だが、なんだ!?まるで食べ物が輝いている様にさえ見えてくる! 眩しい、これが命の輝きだとでもいうのか……!?
恐る恐る切り分けられたカツを口に運ぶ。噛み締めたその瞬間に肉汁が口の中で弾けた。重厚な肉のボリュームと卵の甘さを掛け合わされることで、素材のエネルギーが何倍にも感じられるほどの美味。これではもはや食べれる芸術ではないか!!
「はふっ……!はふっ……!うぐっ!!」
「ほら言わんこっちゃない。紅羽さんったら、ほら水飲んで。そんなに慌てて食べないで下さい。紅葉さんが真似して詰まらせでもしたら大変ですよ」
「てへっ。パパの料理が美味しくってつい」
母の言葉に内心思わず納得してしまう。それほどまでに美味な料理だった。少しでも話す暇があったら、もっと味いたいと思うほどに
「あ、因みに今日の卵はカラドリウスの卵を使ってるんですよ。銀貨1枚もしたんですからね、大分奮発しましたね」
カラドリウス。鳥型の小さな魔獣で雌。雄はカラドリオスと呼ばれて……美味しい。昔から人間が食用目的で飼っていたのは知っていたが……美味しすぎる。食べても食べてもお腹が空く不思議な感覚、お代わりはあるのだろうか?
……考えがまとまらない。とりあえず食べ終わってから考えよう
(んまああぁぁぁぁいいぃぃ!)
掬って口に運び味わう。掬って口に運び味わう。
それを無我夢中で繰り返していたら、気付けば丼から中身が消えてなくなっていた。幸せの時間はあっという間だった。幸せというのは無くなってからいつもその有り難さに気付くのだ。時計は12時を指しており、つまり夕食は6時頃と考えたら、6時間もの間は断食を試みなければならない。我慢しよう。しなければならない
「じゅるり! もしかして、これ容器も食べれるのかな???」
「紅葉さん! お代わりはいっぱいありますから」
何度かお代わりをして気付いた。ボアカツ丼は確かに美味しい。否。美味しすぎる。だがそれ以上に作り手である父が紅葉に美味しく食べて欲しいという真心が込められているのだと。だから食べれば食べるだけ心と身体が満たされていくのだ。これは幸福の味と呼んでいいのかもしれない
数千年もただ漫然と生きてきたが故に知らなかったかつての己を恥じる。なるほど、部下の言っていたのもあながち大袈裟ではなかったようだった
もしもボアカツ丼よりも美味しい食べ物があるとしたら、それは一体どんな味なのだろう。
想像しただけで思わず唾を飲み込んでしまった
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