第2話望まぬ奇跡

見覚えのある大きな街の大きな劇場の前で俺は呆然と立ち尽くしていた。隣には幼少期のアリスが「もう始まっているよ!急いで!」と必死に俺の手を引きながら、劇場の中へ慌ただしく入って行こうとするもなぜか勝手に口が動きだして注意を促した



『気持ちは分かるけど、走ったら駄目だよ。ルールは守らないとね。アリスは賢い子だから他の人のこと考えてあげられるだろう?』



そう嗜めながら頭を撫でるとアリスは「う〜!」と子供らしく言葉にならない抗議を押し殺したうめき声を上げながら渋々納得した様子で走るのをやめて静かに入場する



……このやり取りには覚えがある。だがこれが夢だということが直ぐに分かった。家族を失ったばかりの幼少期のアリスは心を閉ざしてしまっていたからだ。少なくとも話をしてくれるようになったのは、もう少し大きくなってからだし、映画を見たのは更にもっと後だ



ただ劇場に足を運び"映画"を鑑賞したことがあるのも確かなのだ。夢に矛盾があるのは当たり前なのだから記憶と乖離してようと一々気にかける必要もないのだろうが……

ふと、俺の手を引くアリスを眺める。映画を楽しみにしているのか、彼女は年相応の子供のように瞳を爛々と輝かせながら、柔らかい笑みを浮かべている



(この年代のアリスはこんな風に笑ったのか……)



そんな風に思ってしまい、思わず苦笑してしまった。

なにを、馬鹿な。これは夢なのだ。そんな事はわかっている。偽物だと。だというのに、どうしてアリスの一挙手一投足にこんなにも目が奪われてしまうのだろう。愛おしく感じてしまうのだろう



いつまで見つめても飽きることなぞなかったが、夢の俺は意思とは関係なく、勝手に指定された席に座った後はスクリーンに視線を向けた。

題名は『成れの果ての勇者』とあったがまるで思い出せない。こんなことがあるのだろうか。そもそも勇者という言葉が生まれたのもアリスが大きくなった時の頃と記憶していたが、もはや時系列の整合性が取れてない所か見たこともない映画を観る羽目になるとは、なんとも杜撰な夢である



見たことも聞いたこともないこの映画は何故か途中から始まる。主人公らしい少女はアリスに酷く似ていた。神々の鍛えし防具に良く似た装いに身を包み、星の祝福を受けた聖剣と良く似た武器を手にして敵と戦っている。そして激戦を経て遂には敵のリーダーらしき相手を殺した



だが少女は戦いに勝利したというのに、その顔には笑顔も喜びも無く、只々大声をあげて悲しそうに泣くばかりであった



不思議なことにそこで映画は終わらなかった。画面が突然暗転して、フィルムがカラカラと回る音だけが場内に響き渡っている。

次の瞬間、真っ暗な画面のまま何かと繋がる音がする。次に映ったのは空を焦がすほどの大炎であった。国が焼き尽くされ、大人や子供や老人の数え切れないほどの骸が積み重なっている



『お前のせいだ お前がをこうさせた』



憎悪に染まった瞳で睨みつけながら、怨嗟に満ちた声を漏らすのは、1人の蠱惑的な女性であった。元は豪華絢爛であった美しい羽衣を夥しいほどの血と臓物で汚していながら、毛ほども気にかける様子はなく、その手には血を吸って真っ赤になった魔剣が握られていた。



『なん、で……? こんな……』



その地獄のような様は、少女を愕然とさせるには十分であった。その惨劇を実行した彼女は、否。彼女たちは殺されたリーダーの部下であり、かの者を殺された復讐の為に少女と少しでも所縁のある国と種族を執拗に殺し回っていたのだった



女性は誰に言うでもなくボソリと呟く



『我らが主は世界に居場所の無かった私たちに居場所をくれた。手を差し伸べてくれた。必要としてくれた。こんなどうしようもない私たちに役目を与えてくれた!優しくて寛大で偉大な我らが主!』



『だがそんな我らの主を殺した時に、お前はこう世界に宣言したな? "これで 世界が 平和になると。皆が 幸せになると"

よくもぬけぬけとその様な事をほざけたものだな!?』



女性は震える言葉の語気を強めながら魔剣の柄を握る力を更に込める



『私たちは敗者だ。それは甘んじて受け入れよう

お前らが我らを蔑みながら踏み躙るのも我慢しよう。唾を吐きながら嘲るのも耐え忍ぼう』



『しかし我らが主の。存在を。生を。全てを否定した。それを我らは看過できぬ』



『今一度言おう。お前が私たちをこうさせた』



そう言うや否や女性は剣を向ける。すると女性の後ろに控えていた数千の軍隊が少女の元へ殺到した



『あれは、だって……』



狼狽える少女の小さな返事など怒号と熱気に掻き消され、最早誰にも聞こえるはずも無かった。数千の軍が一つの生き物みたいにただ1人の少女を飲み込もうと喰らいつく。

1対数千。本来なら剣を交えるまでもなくどちらが勝つかなど明白である。しかしこれは映画だ。主人公の少女が手にしている剣を振るうだけで突っ込んできた屈強な数千の兵士たちはまるで有象無象の虫けらの如く一方的に蹴散らされていき、少女の後ろに瞬く間に骸ばかりが積み上がっていく



『やめて。お願いだから……』



骸の数が数十、数百、数千を越えた。しかし悲しいかな。少女がどれだけ悲痛に満ちた声をあげようとも止まる者はただの1人もいなかった。血に染まった少女が剣を振るい終わったのと同時に、少女以外の全ての声は止んでいた



『じゃあ 一体 私は どうすればよかったんだよ』



『教えてよ────。』



今にも壊れてしまいそうな悲痛な声を上げる少女が突然画面の方へと顔を向け画面の外へ手を伸ばしてきた




どこか既視感のある家の中で俺はハッと目が覚めた。

暖かな陽射しと小鳥の囀り。仄かに立ち昇る食材の匂いは鼻腔を擽り食欲を刺激され、空腹感を感じたお腹が自己主張をしているのが分かった

ハッキリと意識が覚醒した俺はゆっくりと上体を起こして、辺りを見渡して、それから数秒かけて立ち上がった



何かの夢を見ていた様だが思い出せない。いやそれよりも



(これは……!)



目線が以前より遥かに低い。明らかに子供の体躯。咄嗟に頭を過ぎるのは、幾つかの死を超越した魔法。

復活魔法や転生魔法や起源覚醒魔法等がそれだ。だが俺はそもそもそれらの魔法を使っていないし、使ったとしても現状とはそぐわない



姿見鏡が立てかけられており、それで自分の姿を確認する。写っているのはやはりまだ10年かそこらしか生きてない小さな少女であった



「誰だ。お前は」



夕陽のような赤く癖っ毛の強い髪の毛。対照的に瞳の色は綺麗なブルーアワーであり、勝気で活発そうな少女であり、なによりもアリスと同じ人間であった。

戸惑っている俺をよそに部屋の扉がガチャリと開き、綺麗な女性が入ってくる



「お、おきたのね〜!紅葉!!

丸一日はいくらなんでも寝過ぎよ!」



女性は一瞬だけ驚いたように息を呑み一瞬だけ硬直したが、直ぐに軽口と共に無邪気に俺にしがみついてきた。少女に良く似た出立ちをしていることから家族なのだろう



「ママ心配したんだから!どれくらい心配したかっていうと夜しか眠れないくらい心配したわ。不眠は美容に良くないのよ。ママが綺麗じゃなくても紅葉は良いの?嫌よね?もう心配させないで。所でどこか痛いところない?chu chu! 今日は紅葉の回復祝いに腕によりをかけて料理を作るわ。え、ママは料理出来るのですかって?大丈夫。料理を作るのは勿論パパだから。ほらママ料理は全然ダメじゃない?というか家事炊事全般ダメダメじゃない?ママに出来るのはせいぜいドラゴン退治くらい────」



「……ちょっと思考が追いつかないから、離してください!えと、m...…母さん!」



呼び方としては間違ってなかった筈だが、女性は目元を濡らしながら、態とらしく泣き真似をする



「母さ……!うぅ、初めてママのこと、お母さんって呼んでくれたわね。ママ嬉しい。天にも昇る気持ちってきっとこういうことを言うのね。人生で言われて嬉しい言葉ランキング2位に見事ランクインよ。1位はパパの告白の……ってきゃーー!何言わせようとしてるの!紅葉のばかっ!でも聞きたい?ねえ、聞きたい?パパがなんていってママに告白したか、ふふ、それはね」



「聞いてないです。母さん」



生まれて初めて口に出した言葉。母さん。自分には一生縁が無い筈の言葉。でもなんだろう、口に出すと背中の辺りがむず痒くなってしまう。そして目の前の女性はいくらなんでも矢継ぎ早に喋りすぎてはないだろうか


彼女は無邪気に少女の身を案じて抱きしめているが、当の俺は余計に戸惑うばかりだ

紅葉。それがこの少女の名前なのは間違いないだろう。名前は判明したが、この子本来の人格はどこへ行った?

人格の上書きが起きたのなら、されてしまった方はどこか心の奥底にでも眠っているのだろうか。それとも消滅────?一瞬だけ浮かんだ嫌な言葉を頭を振って掻き消す。もう誰かを不幸にするわけにはいかない。俺の生はあそこで終わったのだから、何がどうあれこの子の前途有望な人生を奪うなどあってはならない。してはならないのだから



(魂の領域干渉は苦手なんだが、やるしかない)



胸元に手を当てて、体内の魔力を使い、前の主人格を覚醒させようとしたが、上手く魔力が練れずに干渉以前の問題であった



(俺の魂に付随してる筈の力も殆ど無い。一体どういうことだ?)



「あはは。もう紅葉ったら面白い〜!お腹空いてるならお腹摩るのになんで胸触ってるの!あ、さてはママみたいに胸が大きくなりたいって思ってるんでしょ!もうオ・マ・セさん!なんだから。心配しなくてもパパの美味しいご飯を食べたらママみたいに美人なボンッキュッボンになれるわよ。さあそうとわかれば早速ご飯を食べましょう食べましょう!因みに何だと思う?ヒントはレッドボアよ」



この人は随分と愉快な勘違いをしてくれているようだ。

そしてレッドボアとはあの赤い猪の魔物を指してるよな。だったら答えは決まっている



「レッドボアの丸焼き」



「んまあ!ワイルドな答え!紅葉ちゃんったらいつからそんな食べ方を覚えたの!正解はレッドボアのボアカツ丼よ!ボアトンカツも捨てがたったんだけどね、って、ももももしかしてトンカツの方が良かった!!?マ、ママもカツ丼より勿論トンカツ派よ?でも、ほら、パパじゃんけん強いじゃない?ママがパパに勝ってる所なんて家族愛くらいなものよ。こんなダメなママでごめんなさい。でも明日はじゃんけん勝つから!カツ、だけに、なんてね」



トンカツ?カツ丼?なんだそれ、聞いた事もない食べ物だが、俺の今いる此処はあれからどれだけの時が流れたのだろう。そんな事を思いながら部屋を出た

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