火傷
「喰われたのかと思った。あんたの瞳に」
ひりつきよりも。
こいつの小さくてかさついた手の温もりを頬に感じ。
痛みを訴えるべき頬よりも。
鮮明に深層まで痛みを訴えたのは、目と唇だった。
あちっ。
熱と痛みを感じた人間が人魚の頬から手を離せば、己の手と人魚の頬に軽い火傷が生じているのに気付いて目を丸くし、次いで、人魚にそこで待っていろと乱暴に言うや駆け走って行った。
「な、んなんだ、あいつは」
人魚は徐々に強くなる痛みを抑えるように頬に手を添えれば、滑らかな部分とかさついている部分に気づき、ああ触れられたからかと合点がいった。
人魚が人間に触れられれば、火傷を負う。
だから気を付けるんだよ。
人間に近い存在にしてくれた長の注意は胸の内に重々留めていて、ここに辿り着くまでの間に多くの人間と接してきたが、一度だって火傷を負う事態になどならなかった。
一度も。だ。
なのに。
(何なんだ、あいつは)
舞い踊る人間に、目を、意識を、魂を。ぜんぶを奪われた。
喰われた、と言ってもいい。
だから、だ。
だから接近を許した。
だから、頬を触られた。
(私が喰われてどうする。喰らうのは、私だろうが)
待っていろ。
人間はそう言ったが、待つ義理はない。
が。
火傷の処置をしなければいけない。
それだけだ。
人魚はその場で座り込んで背に負う風呂敷を解き、数多くある物品から長特性の塗り薬を取って頬に軽く塗った。
「よかった。薬持ってたのか」
薬を塗り終わったからもうこの場を去ってもよかったが、長時間歩いていて疲れていたので。
それだけだったので。
座ったままでいた人魚は、後ろから真正面に回り込んでは座り込んだ人間の手に薬草らしき植物が握られているのを見て、渋面顔になった。
「何だ?」
「何だって。だから、俺の所為で火傷を負ったみたいだったから、薬草を摘んで来たんだが。要らなかったみたいだな」
「おまえの手に使えばいいだろうが」
人魚は人間に触れられた部分に火傷を負う。
同時に人間も人魚に触れた部分に火傷を負う。
勝手に触れた罰だ。
憤るが、気にもなる。
「ああ。そうだな」
言われて初めて己の火傷に目を向けたように、掌を見ては薬草を乱暴に擦りつける人間を見て、傷口を広げるような真似をしてどうすると苛立ちながらも口には出さず、人魚はただ黙ってその小さな手を見ていた。
「何だよ。あ。謝罪か。悪かった。勝手に触っちまって」
頭を下げる人間に、人魚は赦すとは言いたくなくてそっぽを向いた。
無言を貫くはずだった。
けれど、口が勝手に動いた。
勝手に。
「何だ。私の瞳に喰われたって?」
「あ、聞こえてたのか?」
「答えろ」
「そのまま。目が合った瞬間、俺はあんたに喰われたと錯覚したんだよ。だから、身体が残ってた時はびっくりしたな」
「そうか」
「で?」
「何だ?」
「いや、あんた。どうしてこの森に来たんだ?」
「おまえ、この森の守護役か?」
「いや。俺はこの森で一休みしているだけ。単なる興味本位」
「………烏天狗を探しに来た」
「へえ」
瞬間、気安さ、気楽さを一切合切削ぎ落して無表情になった人間を目の当たりにした人魚は、その豹変ぶりにしかし恐怖を感じず、そればかりか居場所を知っていると察して、人間に詰め寄った。
「教えろ。烏天狗の居場所を」
「知ってどうするんだ?」
「喰らう」
「喰らう?よせよせ」
「おまえに関係ない」
人魚は立ち上がって人間に背を向けた。
けれど人間に続く意識は途絶えさせられず。
歩く事さえできず。
まるで、縫い留められているようで。
どれに?
「死ぬぞ」
「私が烏天狗に殺されると言うのか?」
「ああ」
「烏天狗には負けん」
「負けるさ」
「負けない」
「あいつを喰らったら、あいつの毒で死ぬぞ」
ッハ。
人魚は気配を一変させた。
陽光で煌めく海面から陽光が一粒さえ届かない深海まで、一瞬にして潜り込んだように。
圧迫される。
人間の米神から顔の輪郭へと冷や汗を流れた。
目が離せなかった。
人魚は、やおら人間へと顔を向けて、笑った。
愚問だと蔑むように。
「刹那でも仲間を取り戻せたら本望だ」
「そうか」
よっこらせ。
人間は圧迫をなお感じながらも楽々と立ち上がっては、吐息がかかる距離まで人魚に詰め寄り、笑った。
言った。
俺を喰らえ。
と。
(2022.5.13)
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