第1部 第1話 §最終 海を越えて 2


 その意味が、ローズの心を劈くようにしびれさせた。ドライには、よほどの覚悟があったのだ。危険な世界に住むドライと居たなら二人にとって愛を育むことは、さらなるリスクを生むことになる。否認の魔法を用いれば、愛の範囲は、二人だけのものに、止めることも可能であった。だが、あえて二人は形となる愛を求めた。そこに決心という言葉以外、語るものがない。


 ローズの心が揺れる。マリーの事をこれほど表情豊かに語るドライに感化され、好意以上に気持ちを絆されてしまうのだった。ボロボロになりながらも、自分を守るドライの背中が、ローズの脳裏から離れない。そして傷だらけになった痛々しい手で、女性としてのローズに語りかける、不器用だがよく解る温もりが、「守る」ということに、生きる道を生み出した、ドライの新しい感情が、伝わって来る。ローズは身体の力が自然と抜け、暫くドライの上で、その距離感に心を許すのだった。


 それが、自分の姉が愛した男だと解っていてもである。いや、寧ろマリーが愛したドライだからこそであろう。


 そして、二人の愛は本物だった。失ったマリーは、譬え一欠片だとしても、ドライの中で生きている事が解る。それだけで、彼を捜し求めた価値は十分にあった。


 それに気が付いたときには、ドライは、目を瞑って、寝てしまっていた。


 それから何時間経ったのだろうか、太陽の位置が変わり、先ほどまで光りが差し込んでいた窓からは、赤い日差しが、うっすらと感じられるだけになっていた。そんな中、ドライは気怠く目覚める。今度は、自分が何処にいるのか理解している。だが、さきほど自分が目覚めた状況と違うのは、ローズが椅子に座り、ベッドの端の方で、ドライの胸の上に、手を伸ばしながら、寝入っていることだった。その様子から少しの疲れが見える。何かをしていたようだ。すると今度は、ミナでなく、彼女の姉が部屋に入ってきた。ノックも何も無しだ。


 「あらあら、寝ちゃってるじゃない、彼女」


 入ってくるなり、いきなりこ言う。ドライと彼女が一瞬目を合わせる。それから彼女が、ローズの向かいにあるもう一脚の椅子に座り、テーブルに肘を立て、手の甲に顎を乗せ、クスリと笑いドライに話しかける。


 「この子ったら、毎日魔法でこうやって、治療してたのよ。でも、終わった後は何時もグッタリ、よほどあんたに惚れ込んでるのね、ドライ」


 「そういや、あんたとは一晩過ごしたっけかな?3ヶ月前ほど……」


 「ふふ、覚えててくれたんだ。でも愛には勝てないわよね。こんないい子、大事にしなよ。恋人なんでしょ?」


 「へっ、そんなんじゃねぇよ。比奴とは……」


 それでも、感謝の気持ちを込めてか、もたれ掛かっているローズの頭を、くしゃくしゃと撫でる。


 「でもねぇ……、この子の格好ったら、まるで男みたいで……。本人最初は抵抗してたんだけどね。満更でもないみたい。アンタ女好きみたいだし」


 要するに、ドライが目覚めたときに、華やかな女性が側に居る事が、一番彼にとっての保養になるという事だったのだろう。


 まさか、そう言う経緯があるとは知らなかったドライは、ただそれをニヤニヤ笑っただけだった。もう少し言葉に出してやれば良かったと、罪悪感を感じてしまう。彼にとっては珍しいことだ。そう言う気持ちで、改めてローズを見ると、ドライが、マリーに寄せた感情が、今一度沸いてこないでもない。少しだけローズのことを、愛おしく思った。誤解とはいえ、彼女は、自分のために此処まで堕ちたのだ。別に知ったことではない。そう思うこともできたのだが、彼女の頭を撫でる自分の手が、その無関心主義を押さえ込んだ。


 「う……ん」


 ローズが、目を覚まそうとしている。


 「それじゃ、お邪魔虫は消えるとするか」


 彼女は、そう言うと、ローズに気付かれないように、足音を消してそっと出て行く。扉の閉まる音まで、忍ばせた。彼女とは、一度しか夜を共にしていないドライだったが、その時は、それなりに良かったようだ。互いの顔を良く覚えていた。いわゆる「行きずりの恋」と、言う奴だろうか。それ以外特別な感情は、持ち合わせてはいない。


 ドライが、扉の方を見ていると、ローズが眠たそうに目を覚ました。ドライは、とたんに慌てて彼女の頭を撫でていた手を、照れくさそうに自分の頭にやり、ぽりぽりと掻く。


 「よ、よぉ、良く寝てたな……」


 「そうね、何時の間に……」


 寝ぼけ半分に、ムクリと上半身を起こし、乱れた髪の毛を掻き上げながら、正面の空気を眺めている。この時に、ドライは気が付いたのだが、腕を無造作に動かしても痛くもなんともない。多少動きづらさがあるだけだ。どうやら、彼女の魔法が、それなりに効いているらしい。


 「ローズ、そのドレス……、よく似合ってるぜ」


 感謝の気持ちと、先ほどのすまなさがそこに現れ、こういう言葉になる。ところが、である。


 「今更、そんなこと言われても、嬉しくもなんともないわよ。鈍いんだから、このトンチキ!」


 「何だと!?このドライ様が、せっかく誉めてやったってのに、その言いぐさはねぇだろ!」


 ドライも、ベッドから、勢いよく、上半身を持ち上げ、ローズの顔に向かって、唾を吐きかけるようにして、まくし立てる。怒ってはいないが、ついカチンときて、ムキになってしまった。しかし、互いを見つめあう瞳の色が、一瞬優しくなる。


 「フンだ!」


 「ヘン!」


 だが、照れくさくなったのか、互いに頬を赤らめて、そっぽを向いてしまう。更に、ドライの方は、もう一度、ベッドに横たわり、ローズに背を向け窓の方を向いてしまう。少しだけ長く、時間が過ぎる。ローズは、まだ部屋にいる。


 「ゴメンね、せっかく気が付いてくれたのに……、ホント言うと、少し恥ずかしかったんだ。こんな格好するの……、ヘンでしょ?私みたいな女が」


 その言葉には、照れと言うよりも、自分を卑下する方が、強かった。彼女は、きっと女を捨てて生きてきた過去を、恥じているのだ。そして忌まわしい過去も。


 「いや、マジで綺麗だぜ」


 ドライは即座に、意地を張るのを止め、身を返し。ローズの腕を引っ張り、自分の方へと抱き寄せた。


 美しい赤いドレスと対照的に薄汚れてしまった自分の身体を気にしながら、それでも少しだけ、本来の自分を取り戻せたような気がして、照れくさそうにしているローズは、本当に綺麗だった。


 そんなローズは、この世の至宝に匹敵するほど、美しい。


 どれだけ暴力的な金銭を所持するドライだとしても、決して手に入れることが出来なかった満足感が、いま其処にある。


 生き抜いて、守り抜いて、今一人の女性の体温を感じる。それだけの価値がある女だとドライは思った。


 普段いい加減な事ばかり、並べ立てるドライだが、ホントに感情にしたい言葉を、上手く連ねることが出来ない。


 ドライにとって、言葉とはそんな薄っぺらなものでしかなかった。だからドライにはローズを抱きしめることしか出来なかったのだ。自分が守りたいと思ったものを、体温で感じたかった。その時ローズという存在が強くもあり、非常の脆くもあるように思えた。手を離せばマリーのように、失い壊れてしまう。


 「ドライ……」


 深く唇を寄せあう二人、ローズはこの直後、全てを彼に許した。ローズもまた、彼が自分を知りたいというのなら、其れを良しとしたのだ。


 抱きあった後、互いの身体に残る開放感と安堵感を感じながら、ドライは、自分の胸の中で寝ているローズの髪を、何度と無く撫でる。素肌の温もりが何とも心地よい。


 「俺よぉ、お前の強がってる所って、好きだぜ。なんつうか、ホラ、何かに必死って所……、懸命なところ、一途なところ、そう言う眼してるお前……真っ直ぐなお前……」


 ドライは、自分の感じ取った彼女のイメージをそのまま口にしてみせる。決して上手とはいえないが……。『愛しい』そう思い始めれば、ドライはその感情を止めることは出来なかった。たとえ彼女が、マリーの妹であると解っていてもである。


 「ホント?」


 あまりにも静かで、落ち着いた重みのあるドライの言葉に、逆に真実味を損ねてしまったローズだが、今彼の胸の中で寝ている事実は変わりない。


 その言葉の真実味を再度確かめるために、ドライにキスを求めると、彼もまた熱い思いを彼女に伝えた。するとドライは、再び彼女を自分の下にして、腰を抱き自分を重ねゆっくりとそれを態度で示し始めた。


 怪我も完全に癒えていないというのに、ドライは「本当だと」全身全霊でローズに伝える。ドライもまた、ローズとなら、失ってしまったマリーとの時間を取り戻せるかもしれないと思ったのだ。


 マリーと二人で求めたのは、まさにこんな安息の時間だったのである。

 

 その日から三日後、ドライの体調は、ほぼ万全となる。二人は街を後にして、港のある別な街へと向かう。それから十数日後、二人は、港のある街にまで来る。


 「え?馬は連れていかないの?」


 「ああ、多分これからは、かえって邪魔になる。野にでも返すさ」


 「そう、残念ね……」


 今までつき合ってきた旅の友だが、ドライの一言で、別れになってしまう。馬を野に放つと、二頭の馬は、じゃれ合いながら、掛けて行く。二人は必要な荷物を持ち、旅客船に乗る。これから更に、十数日にも及ぶ船の旅が待っている。

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