第1部 第1話 §16 海を越えて

 鼾を掻いていたドライだが、それから数日して、漸く目覚める。


 「うー……ん、イテテテ、ん?何だこりゃ」


 目を覚まして、ベッドから上半身を起こすと、身体中包帯だらけだ。両手に関しては、指先が使えないほど、ぐるぐる巻きだった。額にも鬱陶しい程に包帯が巻かれてある。それを見て、自分の怪我を誰かが手当してくれたことに気が付く。それから、遅ればせながらも、自分の居る場所を確認する。


 こぢんまりとした一人部屋で、薄い純白のカーテンの向こうから、うっすらと暖かい日の光が部屋の中を差している。それ以外に、テーブルと、椅子も二脚ほどが、ベッドの真近くにある。両方ともアンティークな趣味を感じさせる木の質感が良く出ている家具だった。部屋の扉は、窓と反対の方にある。


 目覚めの良い感じがするので、きっと朝だろう。


 再びベッドに横たわる。動きたいのだが、身体が思うように言うことを聞いてくれそうもない。先ほど、いきなり動いた反動で、身体がズキズキと痛む。堪えられないモノでもないが、環境から察するところ、危険は感じないので、ゆっくりと身体を休めることにした。


 先ほどから気になってはいたのだが、窓の外の方から、しきりに材木を切る音や、かなり固いモノを叩く音がする。それから、活気に満ちた人の声もした。


 「何だ?騒がしいな、寝れやしない……」


 ドライがぼやいていると、誰かが勢い良く扉を開ける。一瞬目線が上に行くが、誰も居ない。が、それより視線を、少し下げると、あの泣きじゃくっていた少女が目に入る。少なからずとも、今はそれほど暗い顔をしていない。ドライと目が合うと、かなり嬉しそうに、目を輝かせ、右を向き大声で叫んだ。


 「ねぇ、目を覚ましたよ!!早く!」


 いきなりなので、吃驚したが、言っていることは理解できたので、すぐに気を落ちつける。向こうの方からバタバタと、複数の足音が聞こえる。それはだんだんと此方に近づき、部屋に入ったところでピタリと立ち止まる。


 ローズだ。


 彼女は、珍しく、女らしい真っ赤なドレスを着ている。彼女の後ろには、見知らぬ小母さんや、あの祭壇で見かけた女性が、数人いる。


 「ドライ……、バカ!!心配したんだから」


 ローズは、堪えきれない感情を、一気にぶちまけるように声をふるわせ、ドライの上に乗り、力一杯にしがみつく。


 「イテテ!!馬鹿!いてぇだろうが!!」


 遠慮のなローズに、ドライの方が戸惑い、あまり強く抱きつくので、少し引き剥がしにかかる。


 「何言ってんのよ!一週間も、反応がなかったから、もうダメだと思ったじゃない!」


 彼女は先日から、泣いてばかりが、ドライの胸をぬらす彼女の涙は、ドライの文句を喉の手前で、押し止めてしまった。そして彼の腕を、自然に自分の肩を抱かせる。彼の感情の赴くままに……。


 ドライの腕は、自然にローズの腰に回り、泣きじゃくるローズの頭を、撫で競る。


 その時に、彼女が男っぽい姿でも、カジュアルな格好でも、厳めしい鎧を纏った姿でもないことに気が付く。この時代に、最もポピュラーな女性らしい姿であった。


 暫く、彼女の肩を自分の胸に引き寄せた状態の続くドライ。せっかくドライの目覚めを、見に来た他の人たちだったが、二人のその状態に、今は諦めて微笑ましくその場を去ろうとする。ただ、少女だけは、好奇心溢れた表情で、その場を去ろうとしない。


 「こら!ミナ、大人の邪魔するんじゃないよ」


 と、祭壇でカラフルな足跡を付けた女性が、彼女の耳を引っ張る。


 「だって、お姉ちゃん……イタタ!」


 再び戸が閉まり、二人っきりになるドライとローズであった。ローズは、まだドライの胸から顔を離そうとはしない。


 「お前、以外と泣き虫だな。もっと豪快な女かと思ってた」


 「バカ!!」


 そんな強気な言葉を吐き出すローズだったが、ドライの胸から離れようとはしなかった。


 「へへ……、それにしても、一週間か、寝た寝た。ほら、泣くなよ。シーツがベトベトになっちまう」


 と、ローズの顔を持ち上げ、指先の自由の利かないその手で、頬を伝う涙を拭いてやる。それから、彼女の女らしい格好に気が付き、ニヤニヤと笑いながら、目線を上下させる。


 ローズは、一瞬彼の頭を叩く素振りを見せるが、その手を彼の頬に宛い、ドライの唇に、自分の唇をそっと押し当て、少しだけその感触を味わう。


 ドライには、何の意味かは理解できなかったが、別に不服はないので、自らも唇を絡める。キスを終えたローズの瞳の輝きは、此処にやってくる前のそれとは、明らかに違うモノだった。それはドライにも理解できた。


 「覚えてる?ベッドの上でのキスの約束……」


 もう一度、彼の包帯だらけの胸元に寄り添う。


 「へっ、何年前の話だ?そりゃ……、捨てちまったよ」


 この時にキスの意味が分かる。尤もドライが言いたかったのは、こういう状況ではなく、もっとロマンチックな状況を想定しての意味だった。


 だた、その時のノリで口走った言葉に対して、こうまで熱い対応をされてしまうと、照れくさくなりそんな風に悪びれてしまう。ローズもまた、自らの感情に真っ直ぐな女なのだと、ドライは思う。


 「いい加減ね」


 ドライはいい加減だ。あきれ果て、何も言えないローズだったが、その、妙に彼らしい返答に、クスリと笑みだけがこぼれる。その時、ドライが、思い出したように言う。


 「いっけね、ローズ、俺のブラッドシャウトは!?」


 言うことの聞かない歯がゆい身体を、懸命に起こそうとするが、先ほどと違って勢い良く起こせない。身体自身が、走る痛みを恐れて、ゆっくりと起きようする。


 そして、ローズの介添えにより、漸く起きることが出来る。


 「ブラッド……、ああ、剣ね。私の部屋に置いてある。レッドスナイパーと、一緒に……」


 ドライから離れ、椅子に腰を掛け直す。それから、多少気持ちの高ぶりが、収まったのか、極めていつもの彼女の表情に戻っている。いつもの彼女とは、激情的でもなくクールすぎる表情でもない、ドライを一友人として見ている彼女のことだ。


 「そっか、なら良いけど……」


 「それにしても、驚きね、あの剣に、あんな力があるなんて……」


 「だろ?アレこそ、俺とマリーで見つけた、究極の武具の一つだ。他にも色々とあるらしいけどな、えっと、確かハート=ザ=ブルー、って剣が、世界のどこかにあるらしいぜ。ま、エンチャントに、興味のない俺には、意味ナシか……、ちなみに俺のブラッドシャウトと、お前のレッドスナイパーは、反魔刀っていって魔法を跳ね返すことが出来る剣だ。でも、この前のは、強烈だったよな。後一撃で……、いや、何でもねぇ」


 そこまで言うと、彼は、投げ出すように、ベッドに身体を沈める。少し吐いた弱音に、思わず照れて、目を瞑ってしまう。


 「ドライ……」


 その時ドライが、可成りの無理をしていた事に気が付く。無論そうでなければ、今頃彼が横たわっている訳もない。ローズが、彼の名を呼ぶその一声は、「バカな男だ」と、心配気で、ドライに無意味な罪悪感を与えた。


 「な、何だよ。だけど、あの破壊力だ。後一撃はねぇ、そう思ったのはマジだぜ。それと!!このドライに逃げはねぇ!!前進在るのみ!!だ」


 彼のポリシーらしいが、そのために死にかけたのだ。何とも融通の利かない男である。賞金稼ぎとは、思えない剛直さでもある。最も、彼が自分の腕に自信があるからこそ、今までやり通せたことである。だが、ローズにとっては、腑に落ちぬ言葉だった。なぜなら彼は、マリーの話をしたとき、一度だけだが、「逃げた」という言葉を使っている。その時点で、「逃げはない」は、偽りになってしまう。


 「嘘よ。だって、姉さんとドライが、崖から落ちるときに、逃げたって言ったじゃない」


 相当前に話したことだというのに、ローズは細かな部分を覚えていた。記憶力の良さが伺える。


 「お前細かいこと、覚えてるな……」


 柄にもなくドライの頬が赤く染まる。


 「いつも、お喋りじゃない」


 「うるせぇ!!寝る」


 あっと言う間に、シーツを頭まで被り、狸寝入りをしてしまう。その様子には、気まずさと言うよりか、ドライの照れというモノが伺える。そこには特に、何か変わった事情がありそうだ。そう考えると、余計に知りたくなってしまう。人間の好奇心というやつで、彼女もそれをムズつかせた。今のドライに、それを吐かせるのは、至って簡単だ。早速実行に移る。


 怪我を直接触るといけないので、シーツの外から、彼に跨り、脇腹を全力で擽ってみる。


 とたんに、ドライはくすぐったがり暴れ出す。だが暴れたところで、今の彼は、それほど激しく動けるわけではないので、ローズに勝てるわけもない。必死でもがきながら、顔をゆがませる。


 「グハハ!イテテ!止めろバカ!」


 「なら教えな!そうじゃないと、これだけじゃ済まないぞ!」


 「解った。言う!言うから止めろ!」


 ドライは、簡単に陥落してしまう。今は、忍耐力を出す気力もない。暫くヒィヒィ言いながら、両手で顔を覆い、呼吸を整えている。それから、両手を、ゆっくりと外し、自分に跨っているローズの、両太股に両手を置く。


 一寸どさくさ紛れに思えたが、それより彼の話が先だ。ローズがその両手の甲の上に手を置くと、ドライが甘えるように、その手を握りしめる。それから、天井の何処を見るとも無しに上を向いて、言った。


 「彼奴のお腹ん中によぉ、俺の……、俺とマリーの子供がいたんだよ」


 それから、クスリと笑い、ローズの顔を眺める。ローズは、どう答えて良いか解らず。ただ、少しの驚きだけを見せ、絡めていた手をゆるめる。ドライは、ホロ苦い思い出を思い出すようにして、目を瞑り、口元だけで、もう一度クスリと笑う。

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