第3部 第11話 §16 彼の人格 Ⅰ
緊張をほぐしたり、考えが煮詰まったり、気持ちが落ち着かなかったりするときは、まず一呼吸入れることが大事である。
リビングに行くと、まるでタイミングを計ったかのように、ノアーが現れ、そこには籐で編まれた平皿にクッキングペーパーが一枚引敷かれ、そこにクッキーを乗せられ、それはテーブルの上に置かれる。
バターの香ばしい香りが、食欲を刺激する。
「アップルティーを入れますわね」
ローズの天真爛漫で向日葵のような笑顔とはちがい、涼やか落ち着いた笑みを浮かべるノアー。それはクールなブラニーのそれとも違う。
シンプソンは何も言わず、まず一口クッキーを食べる。
「いいでしょ?」
唐突にそんなことを言い出す。なにが良いのか?主語が全く解らない。
「はぁ……」
「ふふ……」
シンプソンはエイルがなにを言われているのかが解らず困っている理由を十分に知っている。もちろん彼はわざと言葉を足らない表現をしているのである。
「愛してる人がこうして、作ってくれるものを食べて、のんびりする……」
「はぁ……」
「ローズも、作ってくれるでしょ?」
「あ、はい……」
エイルは、ドライの前とは違い、完全にシンプソンを目上の者として認めている。
「不安ですか?」
シンプソンが漠然とはしているが、確信の一言を就いてくる。それにはエイルもドキリとした。彼は解っているのである。エイルが口に出来なかったのは、シンプソンに話したところで何も変わらないという意識が、何処かにあったからである。
その結果はドライに求めたところで、恐らく変わらないだろう。
「私も確かに、これからどうするのか、なんて解りません。それでもドライやローズ。オーディン、ルーク。みんながいますからね。貴方がどうなるにしても、きっと大切にしなくてはならないものがある。違いますかね……。ああ、だからといって、私がそれを特別意識している訳ではありませんよ?囚われすぎると、きっと何も見えなくなってしまう。何をするにも気分転換は、必要です。息切れしちゃいますよ」
シンプソンはノアーの焼いてくれたクッキーを食べる。
彼にとって、それが息抜きの一つなのであろうということは解る。
エイルは、直ぐにそれがわかり、席を立つ。
「済みません、貴重な時間を、有り難うございました」
エイルは立ち上がり、深く一礼をする。最後に彼はノアーの焼いたクッキーを一つ取り、かじった。
エイルが、シンプソンの元から家路へ向かおうとしていた頃。
もう一人、思案にふけっている人物がいた。
それは、レイオニー=ブライトンである。
「とんでもないわね……このシステム……」
彼女が悩んでいたのは、解読しつつあるイーサーの家から持ち帰ったデータの数々である。
もちろんその全容を記されたレポートのデータはすでに、翻訳済みである。それが何を示すもので、どんな目的のために作り上げられたのか、そしてイーサーが持つ謎。彼の存在意義。
知れば知るほどに、問題は大きくなりつつあることに気づく。
「セシルさん……」
レイオニーは、研究チームであるセシルに、何かを確認したがるように口を開く。
「なに?」
「うん……イーサー君のことなんだけどね……」
レイオニーが、デスクチェアの背もたれにゆったりと凭れながらコーヒーを飲み、一息吐く。
セシルはイーサーの事を聞くとあまり良い顔をしない。
「彼が銀の円錐を、武器にしたり防具にしたりしたときに、彼に起こった変化なんだけど……どんなものなの?」
「細胞の行動がが変化したのよ……。説明したはずよ?」
「うん。それは聞いたんだけど、もうちょっと具体的に……」
「円錐に対して……自分に合うように、細胞に含まれる魔力体一つ一つが活発に活動し、より明確な信号を発して、働きかけたのよ。ルークの支配下に置かれたとき、今度は魔力体が一つのシステムになり、小さな単位で別の仕組みになった……」
「それがつまり……霊子エネルギーね。でもそんなこと、今の所、書かれてないのよね。何でだろ?」
レイオニーは首を捻る。イーサーの生みの親が彼に施したことは、研究を重ねたウィングシステムではなく、せめて混沌とした後世に、一人でも生きてゆけるように与えられた、魔法の力だけである。
「錬金術なんて、自然の連鎖を破壊するような能力を持つ私がいうのもおかしいかもしれないけれど、自然と融和から離れた存在は、もはや不確定要素よ。どんな暴走を引き起こすか解らない……」
「…………逆に言えば、イーサー君には、他の人以上に沢山の可能性があるってことよね??」
レイオニーは、ひょっこりと椅子から体を起こして、ペンを振りながら、疑問詞を強めながらも、セシルに同意を求めている。
「レイオニー……貴女ホント前向きね……」
セシルは、それがおかしくなった。
「私は……、兄さんにも怒られたりするけど、一点しか見えないみたい」
セシルは、少し自分にがっかりした様子で目を閉じて、先ほどレイオニーがしていたように、背もたれに体を預けて、溜息をつく。
「そうでもないよ。イーサー君がこのことを聞いたら、どう思うのかな……って、怖いな……」
自分の一言が、きっと彼の人生全てを根底から覆してしまいそうな結果になることを、恐れていたのである。だが、いつか真実は伝えなければならないのである。ただ、史実を直ぐに知ることが、必ず正しいこととは、限らない。
「私ね……、彼なら多分、何でも受け入れると思うのよ……、ううん。そう言う性格なんじゃないの。多分そうなのよ……、きっとそうじゃなくては、ダメなのだと思う」
セシルは、そんなことを一言漏らす。
「うん?」
レイオニーは、何の根拠もなさそうに思えるセシルのそれに、少し虚をつかれた感じがした。
「レポートにもあったわよね。彼の生育過程……」
「ああ……」
「彼そのものが全て造られたものなのなら、その感情すらきっと、造られたものなのかも……」
「そんなことないわよ!イーサー君は、リバティーちゃんのこと、すっごく大事にしてるわよ!?ローズからも、メールがあるし!昨日の決勝の後の時だって、一丁前にやってた!ってドライが、電話くれたし!」
あまりに切ないことを口にするセシルに対して、レイオニーは体を乗り出して、隣のセシルに覆い被さる勢いで語る。レイオニーは、イーサーのことをかなり気にかけている。彼に対して罪悪感を感じているのである。
「レイオニー……、全てを伝えるってことは、そう言うことも知っておかなくちゃいけないことなのよ。今の私の言葉が推測だったとして。彼がその宿命に流されて生きて行くのだとしたら、彼は幸せになれるのかしら……」
「う~~ん……」
セシルの言葉は、確かにレイオニーに一つの引っかかりを産んだ。
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