題意3部 第11話 ホーリーシティ大会 Ⅲ
第3部 第11話 §1 震える手
ホーリーシティー剣技大会自由枠準決勝第一試合終了後、エイル=フォールマンとニコラス=グリードのあまりにショッキングな試合の結末に、各紙面は大きく騒いだ。
天使の涙というアイテムを導入して以来、初めての出来事でもある。
ニコラス=グリードの生命の危機が大きく取り上げられた。瀕死の重傷であるグリード。エイルの力の加減のなさを大きく批難する文面。エイルの評判は天から地へと、落ちる事になる。
大会開始直後、他を追随せぬ彼の強さに沸いた観客も、今は冷ややかな面持ちで、紙面に載る彼を見ている。
精神的な混乱を来したエイルは、いつの間にか深い眠りに就いていた。いや、眠りに就かされたといった方が、正確だろう。
強制的な眠りから解放されたエイルは、徐々に自我に任せた睡眠を迎え始める。
だが、それは同時に、彼が焼き付けたあの瞬間の光景を脳内に呼び戻すことでもある。
エイルの中に、ニコラスが吹き飛び壁に激突し、血まみれになり前のめりに倒れ込む光景が蘇る。それと同時に砕ける骨の音、壁に叩きつけられた肉の音が、彼の中に響き渡る。
「うわぁぁぁあああ!」
エイルは、飛び起きる。自身が睡眠を取っていたことにすら気が付いてはいなかったが、体は反射的に跳ね上がり、耳を塞ぐ。
「そんなつもりじゃ無かったんだ!!そんなつもりじゃ……」
エイルは、耳を塞いでもなお響き渡るその音に苛まれる。
瞬間のことで手加減の出来なかった、ほんの僅かな動揺が招いた結果である。
「エイル!」
誰かの声がそこにある、だが、耳を塞ぎ音を閉ざそうとしている彼には届かない。
次に誰かの両手が、彼の手首を掴む。強く出はない、それは、とても柔らかく包み込むような感触であった。だが、神経が尖り、すべての感覚に拒絶反応を見せているエイルは、それに怯え、力一杯それを振りほどこうとするのであった。
「落ち着いて!」
エイルは、強引に両手の自由を奪われ、そのままベッドに押し倒される。だが、それと同時に暖かなぬくもりが彼の上から覆い被さるのであった。
「落ち着いて……良い子だから……ね」
耳元で吐息と同時に囁かれる抱擁感のある掠れた声。
彼の聴覚を占領していた、残酷な音が一瞬にして、凪いだ。
彼に覆い被さるその温もりと柔らかみは、彼と対照的な存在であることに気が付く。
「良い子……落ち着いて……」
もう一度、その声がすると、力んでいたエイルの両腕の力がほどける。
「そう……良い子……」
エイルの力みが消えると同時に、声の主はエイルの両手を解放し、より温もりを彼の体に与え始めた。
荒くなっていたエイルの呼吸が少しずつ正常の戻ると同時に、彼は体中に沸き立った夥しい汗の間隔を知る。
エイルは、その声の主を知る。
それは、サヴァラスティア家の家長の頭部を簡単にはり倒し、自分達の生活の基盤を支えてくれている人の声である。
耳元や首筋、頬に彼女の唇が触れる。
素肌の温もりが極限まで高間立ているの緊張を静かにほぐした。
「手が、震えて止まらない……」
だが、両手の震えが止まらない。エイルは自分の意志と反する動きをし続ける両手のやり場に困る。
「そういうときは、背中に手を回して、強く抱きしめるの……」
ローズの声が耳元で優しく呟く。彼女はただ意味無く互いの素肌を重ね合わせているわけではないのだ。
彼女は、エイルの心のダメージを十分に理解している。
彼は、それを経験する前に強くなりすぎた。そして、彼は力を持て余したまま、それを容易に振るってしまったのである。体がパニックから逃れられないでいる。
抱きしめると解るローズの腰の細さ。決して華奢ではないが、抱き寄せて心地よい。
腕が背中の上に収まり、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
決して両手の震えが収まったわけではないが、その位置はエイルを落ち着かせた。
「ミールは?」
エイルは、その場に大切な人がいないことを不安に思う。
彼女を裏切った気持ちでいっぱいになる。
「ドライと一緒。あの子の力じゃ、あなたが発作的に暴れても、止められないでしょ?」
ローズの言うとおりである。
エイルは、ローズの背中をもう一度強く抱きしめた。
「畜生……」
エイルはポツリと呟いた。たくさんの問題に打ち勝てない自分に苛立ちから出た一言であった。
「俺達、どうなるんだ……これから」
エイルが彼等の中で尤も勘の鋭い子だということは、ローズも知っている。そして、彼が何に体して疑問を持っているのかということも、知っている。
ローズはエイルをぎゅっと抱きしめた。だが、彼等がたどる結末までローズが導けるわけではない。ただいえることは、同じ血筋の人間であり、彼等にはその能力が顕著に表れていると言うことだけである。
自分達と同じように永遠の時をさまよう者であるかどうかは、まだまだこれから先の話である。
どうあるべきかは、彼等自身が考えてゆかなければならないのである。
シルベスターやクロノアールの子孫であるからといって、人間として暮らしてゆけない訳ではない。
「俺達は、人間なのか?それとも……」
「人間よ。私達も貴方達も……」
ローズの言葉には、淀んだものがなかった。信念や意志といった、意識的なものではない。ただ日々、自分達がそうして過ごしていることの、実情がある。飲み食い、笑い遊び、慈しみあうこと。日々その連続である。
それを意識的に行っているわけではない。
ローズは、ドライを愛しているし、ドライもまたそうであり、二人は子供達を愛している。無論エイル達もその手のひらの中に入っている。
「殺すつもりじゃなかった……」
エイルは、震えている手をぎゅっと握りしめ、後悔の念を噛みしめる。
そのことばかりに、捕らわれ、力を操りきれなかった自分を悔いる。
「大丈夫。彼……一命を取り留めたそうよ……。シンプソンから連絡があったわ」
死んでいない。その一言が、締め付けていた痛みを和らげてくれる。自分が過ちから解放されることを知る。だが、それは決して奇跡などではない。
シンプソンという存在がいたからこそ、取り戻せた命である。決して彼自ら取り戻したものではないのである。
ローズは、エイルが過ちの一端から解放された安堵を分かち合うように、彼の頬にキスをする。
肌の温もりを与え、耳元で囁くローズの存在は、日中の快活さや、奔放さとは一変して、麗しい。
薄明かりの中ですら、その存在が認識できる。
半分の重荷から解放されたエイルの緊張がほどけ、少し瞼が重くなり始めた。
残りの過ちは、ニコラスを傷つけてしまったということである。
翌朝ミールに謝っておこう。エイルはそう思った。譬えすべての事情を把握し、理解を得られていたとしても、彼はローズと肌を合わせていることを、心地よく思っている。その罪深さはなんら変わりない。
もし、ミールが側にいれば、彼は彼女を傷つけていたかもしれない。もしそうでなくとも、纏まりきらない心を処理するために、彼女に痛みの半分を押しつけていたかもしれない。譬えミールがそれを受け入れてくれたとしても、それは彼女の温もりに頼り、逃げているにすぎない。一人ならば孤独に苛まれ、痛みに耐えきれなかったに違いない。どの選択肢が間違っているのか、そうでないのかは解らない。
ただ今いえるのは、ローズの懐の広さ、愛情の深さが、温もりが、自分を安定させてくれていることである。
「いいわよ。ミールには黙っててあげるから……」
ローズは、エイルの心の隙をつくようにして、さらに魅惑的な密着をする。
「バ……バカ。アンタなんでいっつもそうなんだよ……」
エイルが、際どく揺れる感情を誤魔化すように、彼女の体温から逃れようとするが、それがローズの心を擽る。
逃れようとした瞬間、ローズは素早くエイルの肩を押さえ、彼の上に馬乗りになり、ゆっくりと唇を彼の唇に近づけた。
ローズの唇が、エイルの唇に近づきやがてその感覚は重なり合う。
その瞬間から、エイルの思考は白濁とし始め、体温が上昇し始めるのだった。
エイルが意識と理性が空気中に離散してしまうことを恐れた瞬間。
「うわ!!」
彼は大声を出し、自分の上に覆い被さっているはずのローズをはねのけるようにして、飛び起きる。
だがしかし、そこにはすでに誰もおらず、それどころか、暗がりだった室内にも、いつの間にか明るい日差しが飛び込んできているのであった。
「な、なんだ……ってんだ」
記憶だけが繋がり時間つながらない妙な感覚にエイルは、室内を見渡す。だが、そこはここに来て自分が寝泊まりしている寝室に違いないのである。
体中に冷や汗をかいている。
あれから何がどうなったのか理解できない。記憶がないのだ。解らない。彼は両手で顔を覆って混乱している記憶を静めるが、ローズの艶めかしい体温が自分と共に存在していたことは、確かである。
「俺……マジかよ」
エイルがこんこんと考えていると、彼の愛刀であり、主語精霊であるイクシオンがトコトコと床に蹄の音を立てながら、部屋の隅から現れ、彼のベッドの上に姿を現す。
「お前……か」
エイルの思考からは、一瞬だが自分の力に体する怯えが消えていた。
精霊であるイクシオンの時。その姿は愛くるしさがある。イクシオンは言葉を何か発することはないが、エイルをじっと見つめている。どうやら彼の精神状態を心配しているようだ。
それがそうだと解るのは、彼と精霊が心で繋がっているからである。
同時にエイルは、落ち着きながらも、昨日の記憶をその手に蘇らせる。再び手が震え始める。
「くそ……」
エイルは、手の震えを堪えながらベッド横に畳まれた衣服を取り、着はじめる。
黒いアンダーシャツに白いカッターシャツに青いジーンズ。適当な衣服だ。彼が着替え終わり、立ち上がると、イクシオンは彼の肩に乗る。
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