第3部 第10話 §7 眠れぬ夜
寝室に戻ったドライ。そこには、俯せになり、顔を伏せて寝ているローズの姿があった。
「ったくよぉ、ガキのケンカなんざ、ほっときゃいいんだよ」
ドライは、ベッドの縁に腰をかけ、ローズの頭をクシャクシャと撫でる。
「ドライ……あの子感づき始めてる。解るでしょ?」
「ん?ああ、そうだな……」
小さなものではあるが、ローズの強硬手段に対して、エイルは口を開くことはしなかった。イーサーのように単純であれば、エイルはもっと楽になれるのだろう。だが、その原因の一端には自分たちもあるのだと言うことを、ローズは知っている。
ドライ達が、自分たちの事について、知っていることを話さないから、彼もまた、話さないのだ。
エイルが周囲を煽らないのは、彼が軽率でないからだ。
彼はあの状況のなかで、ローズとの会話をしたがっていたのだ。その一方で大会での彼の行動が行き過ぎなのは、間違いのない事実である。それは、もちろんルールに従ってのものだが、彼らの備えている力は、周囲とは比にならないのである。
グラントはすでにそれを体験している。
世界屈指の男と言われたクルーガに対して、何の強さも感じる事ができなかったのだ。それは、身体の強さだけではなく、心の強さも含まれている。
だからこそエイルの、力だけで相手を傷つけるだけの戦い方に疑問を感じずにはいられなかったのである。
「来るべき時、なんて偉そうに思っちゃいるが、俺にゃわかんねぇしな」
ドライは、そのままベッドの上に横たわり、仰向けになり、腕を頭の後ろで組み、天井を見つめる。
そのベッドはダブルよりももう少し広く長い。ドライの身長にあわせて、造られたものだ。
ローズが中央に寝ているため、ドライは自然に右寄りに寝ることになるが、ベッドがらはみ出しているのは、彼の肘の部分だけである。
「はぁあ……」
なんとなしに疲れたため息を出すドライだった。
「何がどうなんだか……、さっぱりだな。全部よぉ……」
困り果ててしまったような、ドライだが、身体を横に傾けて、未だ俯せになっているローズの頭を撫でる。
もう何十年、二人で寝床を分かち合っただろう。悩み思うことは沢山ある。胸の奥を掻きむしりたくなるほど、苦しんだ日々もあった。
だが、今二人が思っていることは、イーサー達を巻き込んでしまったのではないか?ということである。それは運命だったのかもしれないが、彼らが平穏に過ごせれば、それが一番よいことなのだろうと思っている。
それならば、精霊を宿すような力など要るはずもない。
しかし、二人には漠然と解っている。ドライの前にシルベスターが現れたことは、ただ単なる気まぐれではないのだということ。
そのスパンは解らない。五年後か、五秒後か。
力なきものは排除される。それが混沌なのだ。戦って勝てとは言わない。その混沌から、逃げるだけの力は必要なのである。
そして、彼らはシルベスターとクロノアールの血を引いている。その思いが、彼らの種族維持本能に作用しているのかもしれない。
イーサーに関して、それは当てはまらない事実であるが、彼が子孫達と巡り会ったことも、縁があることなのだろう。バハムートがそうであるように。
夜中のことである。
「あぁ~~、腹へったよぉ」
ドライの家の冷蔵庫を開け、その前で座り込むイーサーがいたが、毎日の食事を保管しているわけではない、その冷蔵庫の中には、何もない。
それは、リバティーの一言で決まったことであった。
ローズの場合、二通りのやり方がある。一つは自分だけ、悠々自適に過ごすやりかたと、もう一つは苦しみを分かち合う方法である。冒険者であったローズには、一食を抜くということは、それほど大げさな事ではないのかもしれない。だが、イーサー達は違う、咥えて育ち盛りなのである。
ドライの行動で、ローズもその全員の中に含まれている事に間違いない事を確信したリバティーは、食事を取る気になれない。当然イーサーも、それに含まれてしまうわけだ。
そうなるとフィアもミールも、気まずくなってしまう。
グラントもそうだが、エイルも食べないで夜を過ごす事になる。
全員我慢を強いられることになるわけだが、イーサーだけが我慢できずに、冷蔵庫の前でしゃがみ込んでいるのだった。
結論から言うと、結局ブラニーは呼ばずじまいなのである。
「だぁれだ?勝手に冷蔵庫物色してる奴ぁ」
扉のない出入り口のキッチン、食べ物に執着していたイーサー。ドライの気配を感じることは難しかった。彼のその声に、イーサーの背筋が、一瞬びっくりして、伸びる。
「あ?あはははは!アニキ~そのさ~」
イーサーは、笑って誤魔化す。だが、ドライは彼らがローズのお仕置き真面目に聞いているとは思っていなかった。とっくに食べていると思っていたのだが、それでも冷蔵庫を家捜ししているイーサーは、ただの食いしん坊に見えてしまう。
「晩飯~~ないかなってさ」
「あん?」
ドライは、冷蔵庫の中から、ビールを取りだして、小瓶の蓋をねじ開け、飲み始める。
二人を照らしているのは、開かれた冷蔵庫の明かりだけである。
ドライは、未だ冷蔵庫の前に、未練いっぱいに、しゃがみこんでいるイーサーを上から、何気なく見下ろす。
「食ってねぇのか?晩飯」
「お嬢が~……じゃなくて、姉御がさ、なんか怒ってるみたいだし、でも腹へってさ~」
情けない顔をしながら冷蔵庫の前で、しゃがみ込んでいるイーサーが、お腹を抱える。よほど空いているらしい。
イーサーがリバティーの名を出しかけたのは、彼の本音が見え隠れする。主体性がないようだが、ドライにはそれが何となく解る。それは自分も同じだからだ。
ローズの言動を無視しようと思えば出来ることなのだ。だが、それをしない理由がある。
ローズに何らかの思惑があったわけではない。ただ、罰である。
ローズの真横で、彼だけが食事をするわけには行かないのである。それはドライの気持ちだ。食欲が削がれているのである。
イーサーもそうなのだ。
「リバティーは?彼奴は、どうしてんだ?フィアの奴とミールは?」
ただし、ドライにとって彼女は例外だ。出来ればこっそりと何かを持って行ってやりたい。それにミールもフィアも、気になる。
「お嬢は………………寝てる。フィアとミールは……しらねぇ」
それは、二人の姿を見ていないという単純な事実である。だが、二人の性格を考えると、自分と同じように、食料を求めて、夜中中冷蔵庫とお見合いする訳がないと。彼は思っている。
「あぁ、腹へったぁ~……」
もう一度呟くイーサーである。
「寝たんじゃなくて、オメェがしっかり寝かしつけたんじゃねぇのか?え?人の娘をよぉ」
ドライは、意地悪なニヤけた笑みを浮かべながら、チクチクと痛い言葉をイーサーの耳元でハッキリとした口調で、じっくりと言う。
「え?あははは!あぁ~いやぁ~」
イーサーは、逃れるように開けっぱなしにしている冷蔵庫に凭れかかる。左腕に冷気があたり、そこだけが冷やされるが、ドライの意地悪な笑みの方が気になる。
今更、そんなことを言われるとは思ってもいなかったことである。
「締めろよ……それ」
ドライは、もう二本ほど、ビール瓶を取り出し、顎でイーサーに指示する。
「あ、いっけね!」
イーサーは、慌てて冷蔵庫の扉を閉める。
冷蔵庫の扉が閉められると、ドライは、ビールの一本をイーサーに渡し、キッチンから出ると、そのままそこを出ようとする。
「眠れねぇなら、表出ろよ、つきあえ……」
それは、つきあって欲しいという、彼の願望ではなく、イーサーにつき合ってやるという、少しため息がちなものだった。
「あ……うん」
イーサーは、きょろきょろとしながら、ドライの後ろをついて行く。
ドライは、薄明かりになっている廊下を歩き、薄明るい中で、ホールの片隅に立て掛けてある、ブラッドシャウトを取ると、表に出る。
どういう訳かイーサーは、こっそりとついて行く感じになる。全ての動作が音無になっている。どうやら、一応誰も起こさないように、心がけているらしい。
二人は、しばらくの間外で汗を流すことにした。
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