第3部 第9話 §15 無賃乗車

 二人は、足を怪我しているヨルグの足のペースに合わせ歩くことになる。金網で仕切られたその区域は、アスファルトで舗装され、バスが数台停車できるようになっている。

 彼はまだ興奮の取れない早口で、ドライが行方を眩ました後で、自分たちがどれだけ心配したかなどを、語る。

 「で、街に戻ってきたってことは、復帰されるんでしょう?隊長達の武勇伝は、今の若いやつにも、十分伝わってますよ」

 さもそれが当然かのように語るヨルグである。

 「いや、この街には、ガキどもの一人が剣技大会に出るから、寄っただけだ」

 ドライは、さらりと彼の熱望を突っぱねる。

 ヨルグの胸には一瞬寂しさがよぎった。そこには、自分たちの期待に答えてくれないドライがいたからである。警備隊長をやっていた頃のドライは、最前線で刀を振るい、誰よりも部下と街を守った者の一人である。

 その彼から発せられた言葉には、街への愛着が全く見られないように思えた。

 もちろんそれは、誤解である。ただ今の彼には、街を守るという考えがないだけだ。

 昔のように、この街で皆と楽しく暮らせれば、それに越したことはない。

 「あ、でもやっぱり、隊長のお子さんですよね!剣の道に行くなんて……」

 ヨルグは、少しすれ違いを感じる気まずい雰囲気をごまかすために、あえてドライのことではなく、とっさに思いついた、その一言を言う。

 「あ~~、まぁな」

 ドライは、単純に笑って適当な返事を返す。彼らは実子ではないし、剣は彼らが選んだ道であり、ドライ達との関係は、それより後に出来上がった事象でしかない。

 「ここですよ」

 ようやく着いた。大げさなそんな雰囲気すらある、ヨルグのそれだった。

 詰め所は、コンクリート造りの白い、簡素な建物で、職員が数時間滞在するためだけに存在している、単純なものだった。外から見ても、中は想像できる。建物の表面に入った小さなクラックが、粗末さを少々ディフォルメしていた。恐らく中身は、業務用の数個のデスクに、宿直用の部屋が一つ、シャワー室。あっても後一部屋だろう。

 「何度いわせるんだ!名前は?年齢は?!身分証明書は?」

 詰め所の前にたどり着くと、かなり苛ついた年配の男の声が聞こえてくる。恐らくそのやりとりは何度も繰り返されているのだろう。

 それでも、ヨルグはお構いなしに、スライド式の扉を開き、ドライを詰め所に通そうとする。

 「どう、したん……ですか?」

 詰め所は普段、だらけた雰囲気こそあるが、そういう殺伐としたやりとりのない場所である。でるのはつまらない愚痴と、適当な茶菓子ぐらいのはずだった。

 「どもうこうもないよ!無賃乗車だよ」

 詰め所に入ると同時に、机が二つほどあり、本来それはこちら側に背中を見せる形に横に並んでいる。

 このときは、椅子だけを向かい合わせて、白髪交じりの角刈りの五十代の男性と、上下白で着こなされたシャツとパンツルックの人間がいた。シャツやズボンの袖口を見ると、金の糸で刺繍がされている。そこにはエキゾチックな雰囲気が漂っている。その人物のスタイルから考えると女性だ。だが、シルクのマフラーのような長い帯で顔を覆っており、ブルーの瞳だけをそこから覗かせている。

 確かに、怪しい風体の人つといえばそうなってしまう。

 「だいたいなんなんだ!顔も見せない。名前は言えない。身内にも連絡をつけられない!。こっちだって、バスの運賃くらいで、警察に届け出たりとかしたくないんだよ。でも、今は、ジパ……何とかっていう国のお偉方がきて、警備協力ということで、アンタみたいな怪しい人を、はいそうですか!で、返せないんだよ」

 男がイライラしながらも、音便に事を納めようとしているが、彼女は沈黙したままである。

 「わかった!顔は宗教上の理由で、見せられないということにしておこう。名前は?!」

 ドライとヨルグは少しそれを傍観していたが。ドライの剣のことを思い出す。

 「すみません」

 「ああ?!」

 取り調べている男は、不機嫌な声で、ヨルグの方を向く。その顔もやっぱり不機嫌である。額に沢山のしわが寄っているのが、さらにそう思わせた。

 「あ、いや、さっきのバスで、忘れ物をしたそうなんですが……ね?隊長……」

 ヨルグは四十を超えているが、堂々とした雰囲気ではなくて、少々こびている印象が見える。音便に平和に、そうしようとしている。正しくいえば気を遣っているのかもしれない。

 「ん?ああ。でっかい剣とロングソード一本だ、二本まとめて、白い帯で来るんで、革のバンドで止めてある」

 「ああ!アンタのか!全く迷惑な荷物だ、運び出すのに四人がかりだったんだぞ?!」

 少し奥のデスクから、別の男の声が飛んでくる。そして、小走りに、ドライの方へと詰め寄ってくるのだった。ただし、二人の間には、机があるので、彼はそれを迂回してやってくることになる。彼もまた同じように50代といった風体の、がっしりした男だ。

 「まった!武具所持許可証の提示!それから、落とし物の細かい特徴だ!」

 女性を拘留していた男が、今度はドライを警戒する。どうやら彼はここの所長らしい。

 「剣の特徴は、両方とも、鞘から、グリップに至るまで、赤だ、柄には金と宝石の装飾があって、でかい方の刀身には、ローズ=ヴェルヴェットとマリーヴェルヴェットの名前が彫られてある。ロングソードの方には、俺の名前、ドライ=サヴァラスティアって掘られてある」

 それから、ドライは武具所持許可証を提示しする。証明証の裏には、赤一面に、白いセイントクロスが描かれている。それは、エピオニア十五傑の証である。

 「変わった型だな、あんたこの国の人じゃないのか。本物か?」

 エピオニア十五傑の印の入った許可証なら一般人の目にはいることなどない、ましてや、彼らは警察権力ではない、それが偽造であろうとも見抜くことなど出来ないであろう。それでも、男は何度もそれを繰り返し眺める。

 ヨルグは頭を痛める。過去にホーリーシティーを守護していた物の名前を耳にしても、何も感じていない彼らにあきれたのである。

 「なに言ってるんだ!この人は十八年前まで、この街の警備隊長だった人だぞ?」

 思わずそういわずにはいられない。確かに懐かしい思い出だが、ドライにとってはネームバリューはこだわりではない。それは賞金稼ぎ時代の終わりとともに棄てたものだ。

 面倒くさい事になってきた。それが、ドライの本音である。ため息が一つ出る。

 問題は他にも出る。彼の年齢と外見の不一致もその一つである。

 だが、それも十数分のうちにカタが付くことになる。シンプソンへの連絡である。

 「貸しが一つですね」

 と、シンプソンは、笑いながら電話を切る。ドライに貸しを作ることは、珍しい。その逆もしかりだ。それだけにシンプソンからの借りをを返すのは、難しそうである。

 「便利なもんだなやっぱ……」

 ドライはこのときほど、文明の利器が役に立ったと思う事はなかった。普段は、リバティーや、ローズとの他愛もないやりとりにしか使わないものだが、このような形で、自分がそれに助けられるとは、思っても見なかったことである。

 ドライの素性を知った彼らは、渋々頭を下げ始める。シンプソン=セガレイの旧友だとしたら、事情が全く一変する。剣は、あっさりとドライの手元に戻ってくるのだが、数人係で、持ち運ばれたそれを、ドライは軽々と片手につり下げるのである。

 「で?」

 ドライは、再び職員達に視線をやり、まだ残されている問題について、解決策を求めるのだった。

 「は?ど、どうぞ、お引き取りいただいて結構です」

 本当に渋々とばつがわるそうに、頭を下げる。

 「じゃ、なくてバス代出せば、文句はねぇんだろ?」

 職員達を軽く冷たい視線で見るドライだった。つまりそういうことである。バス代を肩代わりすると言われたのならば、勾留する理由もない。

 元々彼女は無賃乗車ではなく、金銭の入ったバッグを紛失してしまったらしいということだった。

 ドライと彼女は、再び、帰りのバス停まで歩く。

 「すみません。見ず知らずの方に、ご迷惑をおかけしてしまって……」

 ドライは彼女の声を初めて聞いた。だが、初めて聞いた声ではない、いや、そう思えた。

 「あ、いや……。気にするなって。ホテルかどっかだろ?送ってくぜ」

 少し間が空き、微妙な動揺を隠せないドライだった。なぜそうなのか?ドライはその声を忘れることが出来ない。いや、今でも鮮明に覚えている。何十年も昔のことである。だが、それはあり得ないことなのだ。それが彼の確信を鈍らせた。そして、逃避させた。

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