第3部 第9話 §12 真夜中のケア
時間は流れ、それは、随分夜中のことになる。
イーサーは、体中に疲れを感じながらも、不意に目を覚ます。それは彼自身が思うよりも、すっきりした目覚めである。ただし、夜中である。
情景の変化、時間の不連続。それを確かめるために、人が体勢を整えるために、ゆっくりであっても、起きあがり、周囲を確認することは、自然なことである。だが、彼にはそれが速やかに出来ない事情があった。
胸に感じる重みと温もりが、その原因である。
月明かりもままならない室内では、その存在を視力で確認することは出来なかったが、その温もりと重みは、彼がよく知っているものである。あの日からその温もりを一度でも離そうと思ったことはない。抱きしめれば愛おしさがあふれ出してくる。
「お嬢……」
イーサーが、いつも通りにリバティーを抱きしめようと両腕を動かそうとする。
「痛!」
両腕が酷く痙攣し、震え、血流が激しく流れ込むように、心拍数と呼応して、ズキズキと痛みが走る。だが、握力のない両手を胸の上で眠るリバティーの背を抱く。
「いてててて……、セシルさんの魔法って、強烈だなぁ」
イーサーは、少々ため息が出た。
「へへへ……」
だが、両腕にリバティーの温もりが伝わってくると、すぐに嬉しさが込み上げてくるのだった。
「ん……、あら……眠ってしまっていたのね」
眠たげなかすれたその声は、リバティーのものではないし、聞こえてくる方向が、胸元からではなくて、ベッドの脇からだった。少し暗がりに目が慣れたのだろう。うっすらだが陰影が見える。そしてその声は聞き覚えのあるものだった。
時折サヴァラスティア家に、ふらりとやってきては、本ばかりを読んでいる彼女の声だ。時折ドライに対して辛口のコメントを残してゆくその存在は、彼なりによく認知していた。
「あ……えっ……と」
だが、顔が見えないこともあり、彼女の名前がすぐに出てこない。特に二人の間に会話がなされていなかったこともある。
「目が覚めたようね」
ブラニーの声は、まだ眠たげにかすれていたが、彼女の手は自然にイーサーの額に伸びて、彼の体温をはかる。
「熱はだいぶ下がったわね」
ブラニーは淡々としていた。だが、彼の様態を看るためにそこにいたのだ。それは少々意外なことでもある。ドライやローズならば、彼女の心境の変化に、驚かずにはいられないが、一つヒントを得れば、成る程と納得がゆく。その答えはイーサーの胸に寝入っているリバティーである。
ブラニーは、疲れた様子を見せながらも、心地よさそうに寝ているリバティーの頭を撫でる。
「よほど、貴方のことが好きなのね……」
優しさのあるブラニーの声、だが同時に妙な寂しさがある。それはリバティーの中にある、はっきりとした優先順位に他ならない。
正面きってそういわれてしまうと、イーサーも照れくさくなる。
ブラニーは、リバティーの上に乗せられているイーサーの腕に手のひらを当てる。
「ひんやりして気持ちいいや」
「アイシングよ」
ブラニーは、単純な説明を入れる。彼女の手から生み出された冷気が、魔法に対する防御を繰り返し続け、炎症熱のこもったイーサーの腕を冷やしているのだ。
「あのさ、治る治癒魔法ってないのかな……俺、明日も、セシルさんとこ行きたいんだ」
イーサーは、その心地よさに、さらなる要求をする。急ぐように言葉が踊っている。とにかく早く、新たな能力発掘に急いでいる。彼はセシルがそれに期待しているものだと思っているし、何より彼自身が、セシルにすら解らない未知なる自分に早く会いたいと思っている。
「残念ながら、私は、攻撃魔法専門なの」
「な~~んだ」
イーサーは、浮かれた浮かせていた頭を、再び枕に沈める。ガッカリである。だが、酷い落胆ぶりも見せない。
「痛みは重要よ。この痛みは覚えておいた方がいい……」
それがブラニーの答えだった。
短い一言だった。だが、イーサーの脳にはその言葉がよく響き、残った。覚えておいた方がよい痛み。なぜかその一言が、彼に現状を受け入れさせた。
「元素コントロールは高等技術。特に安定した温度に調整するのは、一朝一夕に出来る技術じゃない」
ブラニーは、再びリバティーの頭を撫でる。
「この子は才能豊かな子だわ。フィーリングで、理解できる素質のある子。でも、すぐにそれが可能に出来るほど、魔法は簡単じゃない。疲れたでしょうに……」
イーサーには、ブラニーが何を言わんとしているのかが解らなかった。だが、やたらにリバティーをほめている。それも実に感慨深げだ。
ブラニーもまた、イーサーにそれを伝えるために、口にした言葉ではなかった。思いのままの言動だった。
「ん……、イーサー……」
寝言混じりのリバティー。その彼女の体温が急に冷たく感じられた。いや、彼女の体温が下がったのではない、体中がひんやりとして心地よい。
衝撃で火照りの取れないイーサーの体温を彼女がアイシングで冷やしてくれているのである。
「あ……そ…………っか」
そのイーサーの言葉は、殆ど声になっていなかった。口の中で状況を理解し、それを納得したのである。
「ふふ、トランス状態ね。いい状態だわ。もっと早く技術を身につけていれば、今頃立派な戦士だったのに……」
才能を埋もれさせることは、やはり残念なことである。戦いのいらない時代に、そのスキルが活きることはない。まして戦うことなどないのだ。自由な今のリバティーが一番よい気がする。だが、やはりもったいない。そう思うブラニーだった。
「おなかすいてるでしょう?」
「ちょっとね。でも、お嬢が寝てるから、いいや」
「そう。サンドイッチが冷蔵庫に入ってあるわ。我慢しないで、ちゃんとリバティーに頼むのよ。私は帰るわ。坊やも無茶はしないように。この子のためにもね……」
ブラニーの言葉は、少しひんやりして感じられる。だが、これほどよく喋る彼女も珍しいものだった。
ブラニーが姿を消すと、そこは二人だけの空間となる。静かで誰の邪魔も入らない静かな空間だ。
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