第3部 第8話 §5 二人の朝食
だが、再び緊張を迎える朝がやってくる。
グラントの試合、つまり決勝は昼からである。だが、すでに彼は、会場に向かっている。
午前中は市民枠の決勝である。そう、マルコスの晴れ舞台である。もっともイーサー達にはあまり関心のある試合ではない。
市民枠での優勝を評価するのは、一部の人間だけである。
それでも、自分たちの国、あるいは街から、世界に挑む選手が決まるその決勝は、大いに盛り上がり、すでにスタジアムのスタンドは、観客で一杯に埋め尽くされている。
だが、そこにはドライとローズの姿はない。彼等は自宅でゆっくりとした朝食を迎えていた。
リビングの壁にかけられている大きなテレビには、市民枠の決勝が映し出されている。
テレビをつけたのは、ローズである。
食卓には、コーンポタージュスープ、ハム、サラダが適当に並べられており、準備の終えたローズは、ドライと肩を並べるようにして、席に着く。
「マルコスってやつも、まんざらでもねぇんだな」
ドライは食パンに、バターを塗りながら、ボンヤリ眺めたスクリーンに対してそんなことを言う。
バターの塗られたパンの香ばしい香りに、ドライの手が自然と口元にそれを運ぶ。
「本気で言ってるわけ?」
彼らしくない発言だとローズは思う。スクリーンの中ではあるが、その動きはイーサー達に比べて劣るモノがあるのは、確かなことである。
「ん~、まぁな」
そういったドライの返事は、少々気のない返事である。
彼の言いたかった事は、決して鍛錬の怠った者の動きではないということである。ただあくまで一般レベルでの話でということだ。
「たまらねぇよな、実際イーサー達みたいなのが、近くにいるってことはよぉ」
ドライは落ち着いた様子で、コーンポタージュを飲む。
シルベスターや、クロノアールの力を有しているものが、その力を発動させると言うことは、才能というレベルを遙かに超えており、そんな者達がそうと知らずに毎日を過ごしている。
姑息な手であるのかもしれないが、マルコスが自分の出場する市民枠から、彼等を排除した気持ちがなんとなく、理解できる。
それがドライに共感を与えるのか?といえば、そういうわけではないが、マルコスも彼等との壁を実感していたとしたら、確かに頼る手段は、実力以外のものとならざるを得ないのだろう。
ローズは、ドライが別の視点から物事を考えていることを、直ぐに気が付く。
「だけど、それから逃げたら、何においてもそうなっちゃうわよ?」
「そう……だな……」
人それぞれ、弱さがある。そこから逃げてしまいたくなることもある。マルコスとう青年は剣の力以外で、イーサー達を、同じ舞台の上から排除した。
形は違うが、ドライもまた逃れたい一心でオーディン達の前から姿を消した。だが、道は再び一つに繋がろうとしている。そしてドライはそれを再び受け入れつつある。マルコスの生き方に興味があるわけではないが、どうしようもない壁が目の前に立ちはだかった時、自分はどうするだろうか?と、ドライはふと考える。
現にシルベスターという壁がある。宿命は受け入れられつつある。だが、これから先の道はまだ、示されたわけでも、見えるわけでもない。
生命には必ず終わりがある。だが、彼等にはその終着点すら、見えないでいる。それが大きな壁だ。
忘却の彼方に置き去りにすることすら叶わない壁もある。
「なぁローズ」
「ん?」
「もう一暴れ…………してみるか?」
ドライは不意にそう言葉を漏らす。
二人はそれぞれ、夥しいほどの返り血の海の中で生きてきた過去がある。今ではそんな時代があったことすら忘れてしまいそうなほど、穏やかな日々を過ごしている。
そして、シルベスターの子孫としての宿命の戦い、閉ざされていたセインドール島の戦いもあった。
二度と握ることはないだろうと思っていた、二人の剣は、何時でも握ることの出来るように、壁際のホルダーにかけられている。そして普段そこには、イーサー達の剣も立てかけられている。今はない。出かけているためだ。
「もう一花……咲かせたい?」
腕にもたれかかったローズの笑みは少し悲しそうである。その思いはドライも同じである。こうして穏やかにしていれば、互いに傷つくこともなく、安らかに暮らして行けるのだから。
金銭にも名誉に執着のない二人だ。欲しいのは安らかな生活と少しの刺激である。
だが、通常の刺激は二人には、それに当たらない。生きている実感を感じる代償はあまりにも大きいのだ。
「多分……な」
ドライはローズの言葉を否定しなかった。そしてその言葉に含まれている意味はそれだけではないことを、ローズも知っていた。
恐らくその時がやってくるのだろうと、認識する。
シルベスターは、ドライに何かを求めているからこそ、姿を見せたのである。
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