第3部 第7話 §9 ブランド
ドライは、ローズと後かたづけを終えたばかりで、漸くソファーに腰を下ろし、コーヒーを一口飲んだところだった。
「アニキ……あのさ。市長の使いの人ってのがきてて……」
グラントの気の使いようは相も変わらずだ。ドライにも外の客人に対しても、気を遣っている。
「あん?しらねぇよ。忙しいから、聞いてくれよ……で帰ってもらってくれ」
そういわれるのは何となく分かっていたグラントだが、微動だにしようとしない。そう来られると、さすがに面食らう。
特に彼が気にくわなかったのは街の要人であるということである。しかも市長だ。一人の農園主に何のようだと思うドライだが、もちろん市長直々に来るのだから、それなりの理由がある。だが、それはドライの知ったことではない。
グラントは、すごすご戻ってくる。
そうなることはエイルにも分かっていたことだ。
「で?なに?アニキに伝えとくけど?」
イーサーが反応を示す。ドライが出てこなかったのだから、そうしたのだ。
エイルよりは随分穏和な態度である。イーサーの発音からは棘がない。エイルよりは物事を正直に伝えてくれそうに、思える。
その横でリバティーがメールを送る。
すると、少ししてドライがすごすごと出てくるのである。
「お嬢なにしたの?」
ミールが、それに気づいていた。
「出てこないとブラニーさん呼ぶって……打った……」
無表情無感情のようなリバティーだが、しっかりとつぼを押さえている。
面倒くさそうなドライが、頭を掻きむしりながら、ダラダラと出てくる。
「んだよ、面倒くせぇなぁ。で?」
「主ですか。私市長の秘書の……」
「用があるなら、本人こいっていっといてくれよ……じゃぁな」
ドライは、それだけいうと、再びダラダラと、戻り始める。全く取り合おうとする様子はない。
「いや、市長は車内に居られまして……」
それと同時に、車のドアが運転手の手で開かれ、車内から市長が姿を現すのであった。
「ん?」
ドライは、その音に気が付き、車の方角を見ると、確かにテレビなどで時折見る顔が出てくる。確かにヨークスの市長のようだ。
ドライは、けだるそうにため息をついて、目を閉じて、後頭部を軽く掻く。
別に立ち話でも良い。ドライはそう思っていたが、話の用件が解らない。それに、ごねられると話の方向までもこじれそうに思えた。ドライにそう決断させたのは、やはり市長が何らかの敵意や反意をもって現れたのではないということを、感じたからである。
簡単にいうと、先ほどの魔物事件でのことや、オーディン達のことを何らかの形で悟ったという事ではないとことである。どうやら、農園主ドライ=サヴァラスティアに会いに来たらしい。
室内に戻ると、エイル達は、久しぶりにサブテーブルに着く。イーサーとリバティーは、ソファーに座る。
テーブルの主賓席には誰も座らず、ドライと市長が、長テーブルの長辺を夾んで向かい合い、ローズがコーヒーを入れてくれる。秘書の方は立ったままである。
「で?俺になんの用だ?」
その口ぶりは、ただ学がないために付かれた不作法な悪態ではないことは、市長にも理解できる。
「まずアポイントもなしに、訪れた事をお詫びいたします」
市長が頭を下げても、ドライには関係のないことだ。話の本題ではない。
「それで?」
ドライは席に着いているが、歩調を合わせるとか、聞き入るなどの姿勢は取らない。コーヒーの香りに、もどかしい気分を紛らわせている。
「私の妻はここのチーズがとても気に入っておりましてな、無論私もなのです」
昔のドライならここで、話の腰を折るだろうが、少しだけ待つことにした。彼は話の本題にはいるための、切っ掛けを話しているのだ。家に入れてしまったのだから、速やかに静かに帰ってもらうことが、一番スマートな方法であるとも思ったのだ。
「ここのチーズは、別にブランドにしてる訳じゃねぇぜ。よく判ったな」
「私は市長です。舌の肥えた食通の方々や、確かな目をした職人気質の、小売業の方々とのつきあいも、少なくありません」
そう市長がいうと、ドライは少しだけ微笑んだ。別に彼が直接それに携わっているわけではない。
用件は判った。食べさせたい人物がいて、それを確実なものにしたいと思っているのだ。
「なぁローズ」
ドライが、横に座った愛妻にふと、意見を求めた。
「ん?」
「ホーマーが、業者によく勧められてたっていってたよな……、名前を出したらどうだ?って」
「そうねぇ。ホーマーは、サヴァラスティアの名前に、恩を返したいって、律儀なこともいってたわね」
「俺たちの、いや俺のわがまま……だっただよな……」
「そうね……」
ローズには、ドライが何を言いたいのかが直ぐに判る。こういう思案をしているドライをローズは、まんざら嫌いでない。前に進むために足を動かそうとしているのである。それは市長とは、全く脈絡のない話だが、こうして訪ねてくる人間がいうということは、それだけの技術があるということである。
「リバティー。イーサー。ホーマーのところに、市長さんあんないしてやってくれ」
市長は腰を上げかけたが、彼の話は、まだ終わっていなかった。
「済まないが、もう少しだけお聞きしたいことがあるのですが、よろしいかな?」
市長は、ドライのくれないに輝く赤い瞳が気になって仕方がない、それに、サヴァラスティアという名前である。
「チーズを食わせてやるってんだから、欲張りすぎだろう?」
ドライが話を切る。別に席を立つ事もなかったが、そのタブーを市長に求めた。だが、それは逆に答えでもある。そういっているようなものである。
市長が立ち上がると、リバティーとイーサーも立ち上がる。
市長はサヴァラスティアの名前と、紅の瞳もつかれが、どんな存在なのかを知った。そう、天剣の血縁者である。
「アンタがいくの!」
ローズは、ドライの尻を叩くように、彼の頭を撫でた。
そう、サヴァラスティア農園は、ドライが全ての技術を注いだわけではない。農業技術は、そこで働くメインスタッフのほうが遙かに博識で老練である。それを守って行くのがドライの仕事なのである。
珍しく、ドライが車に乗ることになる。大きなドライには、車内は窮屈だ。
「元々、ここあたりの連中ってのは、ばらばらで、腕はいいが商売っ気がなくて下手くそで、もうけられねぇ連中だった。手間ばかりかけやがってよ……、ギリギリでやってる連中がおおかった。俺は一七年前ここに移民して、何をしようと迷ったあげく、決めたんだよ。創るって仕事さ……。でも俺にゃそんな腕はない。でも金はあった。でそのときに偶然知り合ったホーマーや、マルコじいさんと決めたんだ。点在してるここいらを、一つに纏めることさ、俺らの利害関係は一致したし、近隣の農場に負けないものになるって……ま、経緯はそんなところだな。名前を出さなかったのは、俺のわがままだよ……ホントに……」
ドライは、珍しく赤の他人に経緯を話す。彼が言いたい一言の中に、含まれていたことがある。それは自分がすばらしいといわれるチーズやワインを作っている本人ではないということである。沢山の仲間が血と汗の滲むような努力で築き上げてきた結果だということだ。
「私が、チーズを食べさせてあげたい人は、北限の名医と呼ばれる、シード=セガレイさんです。ご存じですかな?」
「あ……いや……」
ドライのそれは嘘だ。自分でもそれは、判っている。何に気を配ったつもりなのか……。当たり前の生活、当たり前の暮らしがあればいい。何にしても、振り回されずのんびりと過ごしていきたい。それだけだ。
「いや……すまねぇ……よく知ってるよ……赤ん坊の頃から……な」
あまり他人と関わって欲しくはないことだった。だが、ドライはそういわずにいられなかった。市長は驚かない。オーディンやシンプソンのような男がいるのだ。それに、天剣と酷似しすぎている彼が、普通の男であるはずがない。
「他言したら……、殺す……。俺は今が一番いいんだ」
ドライは睨みもしないし、恫喝もしない。普通の会話のように、さらりとそう言った。
ドライは、牧場を経営するホーマーと市長を互いに紹介させる。ドライの紹介となるなら、彼の家には確実にチーズが届くだろう。
それからドライは、自分たちの農場の産物に、銘柄を表示することを何気なく相談する。その件に関しては、後日の上の連中と顔をつきあわせて、話をすることになるだろう。
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