第3部 第7話 §12 幸福の器
予選を通過したグラントは、本戦への登録を済ませる。単純な筆記である。
「ホラ!姉御にメールしなよ!勝ちました!って」
フィアの勧めで、グラントは気後れしながらも、決勝への進出をメールで報告する。もちろん帰り着いてから、正しく報告するつもりでもある。
昼食前のローズは、一人でテレビなどを見つつ、午前中の空いた時間を過ごしていた。洗濯物や洗い物などで、彼女の自由時間は相当に削られてしまったが、それでもそんな時間が少しだけある。
グラントの吉報が届いたのは、そんな一時を過ごしていた時だった。
ローズは、テーブルの上に投げ出されていた携帯電話がバイブレーションで震えだし、尚かつ着信音で、それが届いたことをしきりに知らせ始める。
無造作にそれをひっつかみ、折りたたまれた携帯を開き、着信メールを選択すると、予選突破と書かれたタイトルが、付いているメールが飛び込んでくる。
「ふふ……、よしよし。まぁあの子等の実力じゃ、世間は狭いでしょうけど……」
それでもステップアップには変わりない。ローズはそう思いながら、テレビをつけたままにして、テーブルを離れることにする。
そして、メールには、早々の帰宅を催促するメールを送るのだった。
一方ドライの方は、休耕地の手入れに一息入れている時だった。周囲では種付けの終わった作物の畑もある。そこには沢山の文明が、人件費の削減に貢献していくれているが、ドライの目的はそこにはない。
そんなドライにも、ローズからのメールが入る。
「ん?」
いつもなら、この時間にローズからメールが入ることはない。
「Only You...」そうタイトルされたオールディーズの曲。メール電話両名双方の着信はそれで統一されている。メールなのか電話なのか?それは携帯電話の液晶を見るまで判明しないが、もう一つの手段として得られるのは、ワンコールだけで終わる場合の殆どがメールだ。
このときは、ちょうどワンコールで電話が鳴り終える。
「至急帰宅されたし♪(祝)……???」
急ぎのようだが、そう記載されていることから、別段悲報ではないらしい。
「ああ……そっか」
ドライは少し経ってからから、ピンと来る。平坦な毎日の中、変化があるのは子供達のことぐらいだ。そのほかの動向と来れば、余りよいことはない。シルベスターにしても、街の騒ぎにしても、煩わしいことか、陰気なものが殆どだ。
大会中、シード達が現れることはないだろうと、ドライも思っている。そうなると、やはりそれしか選択肢はない。
ドライは、括った農具一式を左肩に担いで、バイクにまたがり、のんびりと帰宅することにした。
帰り着いたドライがすべき事は、さっぱりと汗を流し、ローズの手伝いをすることである。
「そうそう!昨日注文してた、大きいケーキよ。早く持ってきてくれないと、承知しないからね!!」
などと、ケーキ屋を急がせているローズである。
「んだよ……ケーキ、作れんだろ?」
「馬っ鹿ね~、うちのオーブンが大きくても、でっかいケーキはさすがに無理よ!」
ローズは両腕を広げてその大きさをアピールするが、それは大げさだろうと、ドライは思う。身長が一七〇センチを超えるローズが、両腕を広げるのである。当然同じくらいの長さになるのは当然である。
だが、それをやらせかねないのが、またローズなのである。
ローズはご機嫌である。ケタケタと嗤いながらはしゃぎ回って、きびきびと段取りしてゆく。
「ほらほら!卵わって!ドライは、焼き担当だからね!」
ドライはこういうローズが大好きだ。何時も自分の心の中に欠けている何かを満たしくれている。
互いに純粋でも純情でもない。凄惨な過去もある。剣を握ることしか知らなかったドライだというのに、今はその両腕に、沢山の幸せが飛び込んでいる。
ドライは、押しつけられた沢山の卵の入ったボールを、キッチンテーブルに置き、背中を向けたローズを引き寄せて抱きしめた。
ローズには、語らずともドライの気持ちが解る。
「五分だけ……頼む」
ドライはそれだけいう。今、彼の抱きしめた両腕の中には、守り続けたいものの全てが集約されていると言っても過言ではなかった。
愛し合いたいのでもなく、求め合いたいのでもなく、ただ抱きしめていたかった。そんな気持ちが溢れている。互いにすり寄せる頬が愛おしい。
互いの絆も想いも十分に強いものだということを理解しているはずなのに、時折タイトロープを渡るように、心が不安定になる。
「さて……ガキ共のために、いっちょ張り切るか……」
十分な満足感が得られたわけではない。だがドライはもう一つ大事な仕事を片づけるために、二人の時間を一度ほどくのだった。
「腕を振るうわよ」
離れたローズが、ウィンクをする。彼女は準備万端なようだ。
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