第3部 第6話 §8  星空の下で

 終業式の日。ミールの養子縁組認可の通知が届く、その夜はパーティーだ。

 少々酔って体が熱くなったエイルが、よい空気を吸い込むために、外に出る。ただし、五月上旬のように、火照りを冷やしてくれる涼しさはない。まだまだ、寝苦しい夜ではないが、ひんやりとした空気はない。ほどよく心地よい風が吹いている。

 ドライが横に並ぶ。

 「もうじきだな。準備いいのか?」

 エイルの大会の期日まで、あと一月程度となっているのだ。ホーリーシティーの大会は大きいため、その都度日程は変わるが、予選と、本戦を合わせて、三日ほどとなる。

 移動費滞在費が、学生である彼らには相当なものになる。

 「やれるだけのことはやってますよ。それより、ミールのやつ、頼みます。アイツ甘えん坊ですから」

 ドライに頭を下げることは、一生無いだろうと思われたエイルが、すんなり頭を下げた。それだけ彼女のことが大事なのである。当たり前なのかもしれないが、両親が待っている家があるということは、良いことである。満たされないはずの現実が、目の前の光景としてある。

 ローズには、彼らはすでに、愛情を分け隔てることなど、不可能な存在になっている。

 あの日以来もうここが彼らの家なのである。

 「賑やかなのは、いい。空気が暖かくなるし、明るくなる。家族ってのは、いいもんだ」

 ドライは満足そうな顔をしている。それはミールだけのことに関してだけではない。中で馬鹿騒ぎしているイーサー。それに巻き込まれているグラント。はやし立てるミールと、フィア。それを見て笑っているリバティー。見守っているローズ。ドライにとってそれは、間違いなく守る価値のあるものだった。

 「さて……俺は一寸、頭を冷やしてくる。飲み過ぎだ……」

 実は、少々胸の中でムズムズする気持ちがある。再び訪れた暖かい幸せな気持ちが、どうも上手に処理できないようだった。

 「付き合うよ」

 ドライが、デッキから降りて、バイクに向かう。足下はふらついていない。エイルもドライに付き合うことにする。ドライは特に彼を拒絶することはない。特に話したい事柄もないが、それもいいだろうと、何気なく思う。今日のエイルは、妙に棘がない。

 何をどうしたいのかが解らないドライに対して、最初はイライラしていた。だが、実際は何を考えているのかを見せていないのではなくて、彼自身が今も、それを探している最中なのだということが、何となく見え始めたのだ。エイルの中にある価値観に変化が起きたのは、間違いなくジュリオとの戦いの時だった。

 ドライが、バイクを走らせると、エイルもその後ろを追走する。

 ドライが暫くバイクを走らせてやってきたのは、例の星屑を鏤めた、満天の星空が見える、あの小高い丘だった。街の方角だけ少しくくすんでしまうが、三百六十度見渡す限りの星屑だ。

 「すげ……」

 ドライより先にエイルがバイクを留めてしまう。

 ドライは、バイクを留めると、早速ゴロリと横になり、空を眺める。

 「今日もいい天気だ……」

 それは贅沢の限りなのかもしれない。満天の星空を独り占めしているのである。

 「アンタ、意外とセンチなんだな」

 エイルはドライの情緒的な一面を見て、それを意外に思う。

 「こういうのは、柄じゃねぇがな。けど、何万光年も先にある光の集まりが、この空に浮いてる。それを見てると、どれだけふんぞり返って威張って見せたって、俺たちはそんな中のちっぽけな星の上をてくてく歩いてる、あの星屑より、もっと小さな存在だって、思えてくる。喚いても叫んでも、所詮何十億年光り続ける星の瞬きにくらべりゃ、瞬きにもおよばねぇ、ちっぽけな声さ。だったら、俺もアイツも、大差ねぇんじゃねぇかなぁ……なんてよ」

 「……アイツ?」

 「ああ、俺の人生全部をそっくり、ひっくり返しちまった奴さ……」

 「アンタの人生に影響を及ばした奴か?」

 「まぁ、そんなところだな……」

 人は絶えず誰かの引力を受けて、回り動き続ける、一つの星なのかもしれない。まっすぐに動いているつもりでも、気がつけば、曲がりくねって、遠回りをしているのかもしれない。

 だが、最初からすでに、まっすぐな道を歩むものなど。この世の中で存在するだろうか?生まれたその瞬間からすでに、他人の影響を受けずにおけない存在だ。

 だが、ねじ曲げられた苦痛は違う次元である。その存在はまさしくシルベスターに他ならない。ドライは、シルベスターという引力に捕らわれすぎ、強引に逆らい藻掻いて苦しんだ自分をふと思う。

 だが、その柵はこの先離れることはない。それは自分だけではなく、オーディンや、ローズもそうであり、ブラニーやルークも、クロノアールという柵に捕らわれて生きている。

 それは、仕方のないことだ。

 ドライは、星空を見ると、自分の背負っている宿命など、本当はそれほど大きなものではないのではないか?と、思えてしまうのだ。いや、そう思いたいのかもしれない。そして、ほっとする。気の遠くなるような時間の旅に比べれば、自分たちの今までの時間は大したものでもないとも思える。

 元気が、ふっとわいてくる。

 少し寒いだろうが、このまま眠りこけてしまっても、別に構わない気候になってきた。ドライがふと、そんな風に思った時、彼は再び、空を静かに見つめた。

 「先、帰ってろ……、鬱陶しい奴が来たからな」

 ドライは、緊張感もなく、一度座り直して、ゆっくりと立ち上がる。

 「え?」

 エイルには何も見えない。だが、ドライは、一定の方向を見ている。その方向に何があるのか?エイルが凝視しようとした瞬間、景色の中からフェイドインして実体化する一人の男がいた。

 その男の背丈は、ドライより尚高い。そして、銀色の髪銀色の瞳を持ち、古代ギリシャ人の羽織るような衣を身に纏っている。口元はいつも裕りのある微笑みを浮かべている。

 シルベスターである。

 「幾分……、持ち直したようだな」

 彼の言葉は、微妙な嘲笑が含まれているが、軽蔑の色合いは全体の一割にも満たない。ただ、そう聞こえやすいのだ。語尾は絶えず含み笑い気味だ。ドライは、すべてを見透かしているような、その態度が何より一番に気にくわない。

 だが、先ほども彼が言ったように、自分を掌で転がしているように思えるシルベスターでさえ、数十億年、幾億と輝く星達に比べれば、小さな存在なのだ。彼もまた誰かの掌の上で、もてあそばれ生きているのかもしれない。絶対的な支配者ではない。

 「テメェも哀れな奴だよ……」

 逆にドライが、シルベスターを嘲り笑うように、そう言うのだった。

 自分のようなちっぽけな存在に捕らわれているシルベスターがそう見えたのだ。

 「そう言うな」

 シルベスターは、笑みを絶やさない。だが、何処か何かに冷めている様子がある。

 ドライにも笑みはあるが、少しだけぴりぴりした雰囲気が漂っている。抑制しきれない感情が、そこにある。

 「私も、少し運動不足でな。肩慣らしの相手を探していたのだが、何分相手に不自由している」

 「オーディンに頼めよ。んなこたぁ……」

 ドライは、背中を向け、シルベスターを追い払うように手を振る。

 シルベスターが、脈絡もなく自分の前に現れるような男ではないということは、ドライも十分に解っている。それはきっと何かの前触れなのだろう。

 だから、どうしろと言われて、動くドライではない。それは、シルベスターもよく理解している。だから姿を現したのである。彼の前に立つことで、ドライにそれを暗示づけているのである。

 「残念ながら断られたよ」

 冗談のように、よく喋るシルベスターがいる。エイルは、それがシルベスターとして認識できているわけではないが、ドライの態度で、その一触即発の状況を感じた。

 一見互いに牽制しあっているように見える光景だからこそ、それを感じずにはいられなかった。

 ドライはエイルの方を、チラリと見る。

 エイルは硬直と興味の両方が混ざり合い、その場から動けずに立ちすくんでいる。

 「あと、十メートル下がってろ」

 「あ、ああ……」

 そう言われて、初めて足が動くエイルだった。彼の好奇心が満たされる範囲で、ドライはエイルの足を動かしたのである。

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