第3部 第6話 §7  善は急げ

 「よ……よし。いいだろう。今日の臨時会議で、取り上げてやる。だが、期待はするなよ」

 そのときにチャイムが鳴る。朝のホームルームの合図だ。僅か5分の短い連絡事項のものだ。だがリチャードの立ち方は、戦場に挑む男のように大げさなものだった。しかしそれは、リバティーの驚異的な理解力に驚嘆したものだった。

 一時間目のリチャードの授業は、自習になる。それどころか、彼の授業はすべて自習になる有様だ。

 その彼は、セントラルカレッジに向かっていた。そこには彼のコネがある。生徒には陰湿なイメージのある彼だが、事学力に関しては、そのイメージを払拭していた。彼は数学において、大学歴代優秀生徒に名を連ねるほどだ。学力における生徒の推薦も彼が行っている。

 「ワッツ先生。見てください!彼女の答案を、二回生の問題ですよ?しかも、私がランダムに選んだ問題です。それを五分で解いた!信じられない!」

 彼が訪れたのは、彼の恩師でもあるセントラルカレッジのワッツという男の元だった。彼は大学の中でも実力者で、

 ワッツは老齢の温厚な教師だ。紳士風の男だが、ロマンスグレーというヘアスタイル以外は、特に特徴のある男ではなかったが、柔軟な姿勢で教育に携わる、リチャードとはある意味正反対の男だが、彼はリチャードの恩師でもある。

 ワッツは現在、査問会の権威ある人物でもある。

 「ハイスクールでの、選考試験はどうなっておるのかな?」

 声は少々嗄れているが、少々高めの声で、しっかりとした口調で正確無比な答案を眺めながら、興奮に取り乱している彼に対して、そう聞く。

 「それが……、ですがそれは、今日の臨時会議で取り上げて……」

 「君らしくもないな。規則や規律ばかり、口にしていた君が、例外を認めるし、段取りはなっていない」

 「ですが……」

 「解っておる。私の後押し……だろう?だがその前に、一度、その子供にあわせてもらわないと……」

 確かに答案を見る限り、高校生の頭脳では、考えられないレベルの回答である。一度も書き直したり、不安定な要素が見られたりしないのだ。時間を惜しんで書き急いだ筆跡も見られない。まるで、最初から知っているかのように、すらすらと筆記されている。

 確かに興味深い。彼は席を立ち、デスクの上のものを引き出しにしまい始め、お気に入りの万年質にキャップをして、スーツの内ポケットにしまい込むのだった。それから、テキストを一冊古ぼけた鞄に押し込む。

 「い……今からですか?」

 「おいおい……無茶を推したのは君だろう?時間もないことだし……、そうそう良い諺もある」

 そして、二人で口をそろえてそういう。

 「善は急げ」と。

 リチャードは少々ため息がちだった。なぜ自分がこれほど熱心な行動をしているのか理解できない。

 リバティーに関心を持ったのは、彼女の性格でも私生活でも個人的感情でもない、ただ一枚の紙切れに書かれた彼女の回答のみだ。しかし、その迷いのない筆跡に驚かされているのだった。

 二人は足早に、彼の執務室を後にするのだった。

 サヴァラスティア家の夜。深夜のことだ。すでに子供達は各の部屋に引き上げている。

 リビングに残っているのは、ドライとローズ、そしてブラニーである。

 ブラニーは、足を組み、テーブルで書物を読んでいる。いつも通りの彼女が得る嗜好の時間である。リビングのテレビは、いつも通り街のニュースが流れている。イーフリートの事件以来、大した事件はない。小さな事件ばかりである。

 ドライは、ソファーに座ったローズの膝枕の上に、頭を載せて、ボンヤリと天井を眺めているのだった。

 ローズの手は、そんなドライの頭を撫でながら、何気なくテレビを見ている。

 ドライが考え事をしているのは明白である。ローズはその時間に付き合ってやるだけだ。

 「どうしたの。あの子の編入試験の話を聞いてから、ボンヤリしちゃって」

 ローズの言葉には不安は含まれていない。一向に纏まらず結論のでないドライの思考に、妙な可笑しさがこみ上げただけだ。のんびりとした言葉遣いで、ドライの顔を覗き込むと、ドライもボンヤリと赤い瞳を、ローズに向ける。

 「ん~~?」

 はっきりとしない返事だ。だが、それを見ると、ローズはクスクスと小さく笑い出す。

 「やっぱ、宿命ってのは、どうしようもねぇってことかな……って思ってよ。解ってんだけどな」

 ドライは目を閉じてため息をつく。

 「そうね。あの子を普通に育てようていうのが、間違いだったのかもね。私たちの子供だもの」

 やることはやってきたつもりだが、所詮小さな箱の中に無理矢理詰め込んできただけの話である。それが彼女にとって、本当に幸せなのかどうかは解らないが、収まりきらないものはどうしようもない。

 普通なら、小さな世界に閉じこめることは、親として間違った行為になるのかもしれない。だが、彼らの子供は、有り余る力を持ちすぎている。抑えられて生きることが幸福とはいえないが、自分たちとは違う生き方をしてほしかったのだ。

 高見を目指し始めた力は、さらに上を目指し続ける。

 「で、アイツはいつまで、いるんだ?」

 ドライは、自分の頬を引っぱたいたブラニーを指さして、少し顔の痛みを思い出しつつ、鬱陶しさを覚える。

 「頼りない男のために、この農園に結界を定着させてる最中なんですって……」

 「悪かったな……頼りなくてよ……」

 ローズはドライの拗ねた態度に、可笑しげにクスクスと笑い出す。

 彼らはそれを笑い話にしているが、それは、ブラニーはこれからの行く先を予感していたからに他ならない。

 「まぁ、アイツ間違いなく、試験てやつ、とおっちまうんだろうな」

 「まぁ、いいじゃない」

 なるようにしかならないのだから、仕方がない。今まで進んで何かをしようと言い出さなかったリバティーが、その気になったのだから、まずそれが良いことだとローズは思ったのだった。

 「寝るか……」

 「そうね……」

 ローズが、テレビのリモコンの電源スイッチを押す。

 「寝るぜ……」

 ドライは立ち上がると同時に、ブラニーに一声かけ、ローズを連れて、先に二階へ上がって行く。ブラニーは、本を閉じてゆっくり席を立ち、最後にリビングの照明を落として、部屋に戻るのだった。

 ブラニーは、翌日には、帰ってしまう。

 そして、その週半ばほどから試験が行われる。リバティーの編入試験は、それからとなる。いつも彼女と連んでいたシャーディー達は、驚き意外のなにものでもなかった。

 悪友だとしても、彼女たちと同じ時間を過ごせなくなることが、リバティーにとって、唯一寂しさを感じることだった。そして、ミールが正式に、養子の手続きにサインをしたことが、大きな出来事の一つだった。

 認可はすぐに下りるだろう。この時点で、彼女のフルネームは、ミール=コルドフェルド=サヴァラスティアとなる。彼女の名字はミドルネームとして、生きることになる。

 イーサーも、どうにか無事試験をパスしたようだ。終業式にまで、追試の連絡がこなかったのだ。

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