第3部 第6話 §4  チケット

 ドライの力が、不意に抜けた瞬間の出来事だった。

 向かい合っていたドライとサブジェイの間に、急に物陰が現れたかと思うと同時に、ドライの左頬に衝撃が走る。

 全員があんぐりする。何故なら、ドライ以外にはそれがよく見えていたからである。

 ドライが視覚で理解できたのは、すでに右手を振り切っているブラニーがそこにいることだった。

 彼女が現れると同時に、ドライの頬をひっぱたいたのであった。

 「な……、なんだテメェわ!唐突に!!」

 「お黙り!見損なったわ!!」

 「はぁ?!わっけわかんねぇよ!このぷっつん女!!」

 二人は、殆ど至近距離で、唾が掛かりそうな距離でいきなり口論を始める。

 「家族も満足に守れない男は、引っぱたかれて当然だわ!!」

 遠慮のない感情むき出しの口論である。すぐに喉がカラカラに乾いてしまいそうなほどの、大声だった。

 だが、ドライはその一言で、ドキリとする。彼女がその事実を知っている経緯などの脈絡は、彼の中でとばされ、事実だけを受け止めざるを得ない状態になる。

 「そんなだらしない男だとは、思わなかった!」

 誰もがあっけにとられ、ブラニーの責めにドライを庇う余裕もない。

 「ドライ=サヴァラスティアともあろう男が、平和呆け?あの子じゃなかったら……この子達を失ったら、一番苦しむのは誰?」

 「わ……悪かったな……」

 完全に頭の上からプライドを叩き潰されたドライだが、ブラニーの言い分には少しの間違いもない。

 これは確率論の問題だが、それはとても低いものだ。だが、現実に起こった事象はその低い確率から選び出された、ほんの一つの答えなのである。ただ招いた結果が良いものだったのだ。

 「違うの!そんなつもりで、メール入れた訳じゃないの!」

 走り込んで、ブラニーの前に、ドライを庇って立ったのはリバティーだった。

 どの辺りの会話までが、リバティーに届いたのかは解らないが、彼女は、状況をよく判断していた。ブラニーに視線、ドライの雰囲気。謝ったドライの言葉。

 リバティーの瞳の色は必死だ。緊張で大きく見開き、願うようにしてブラニーを見つめている。両腕をいっぱいに広げて、二人の間で、壁となっている。

 リバティーにこうされてしまうと、ブラニーはなにも言えなくなってしまう。

 今度はブラニーが、狼狽える番である。弁解の言葉が見つからない。

 きついようだが、それは彼女なりの表現であり、十分な情が込められているのだ。ただそれはリバティーには説明しがたい。

 「すみません……全部僕が撒いた種なんです」

 それは、ジュリオの声だ。彼はゆっくりとした足取りで、ドライの右側に立つようにして、全員に向かって頭を下げる。

 ジュリオは何らかの形で、混乱は起きると思ってはいたが、ブラニーが出てくることまでは、予想だにしなかった。イーサーやリバティー達には、落ち着いた時間になってから、正しく謝罪をしようと思っていたのだが、その時間は早まったようだ。

 「馬鹿な子だわ……本当に……」

 ブラニーもジュリオが、自分の性と道を違えながら歩き続けようとする、その姿に胸を痛めていた。

 「謝るとか、許すとかじゃない。俺たちがアンタより弱かった。それだけだ」

 エイルは、シビアに現実だけを受け止める。ジュリオにはもともと、彼らを殺す気など毛頭無かったのだ。卑劣な手段を使ったわけでもない。

 ただドライは、ブラニーが言いたいことはよく理解できた。それだけ時間が動き始めていると言うことで、これから何時そういう事態が訪れるか解らないのだという、戒めなのである。

 「そうだ。ドライ。チケットの話、彼らには?」

 ジュリオは、最も重要な話を思い出す。

 「いや……」

 「じゃぁ、みんな起きてることだし、オーディンから仰せつかった大切な用事なんだ。ちゃんと済ませないと」

 「そうか、そうだな」

 私用を優先させたためだろうか?ジュリオが、中にはいることを急ぐ。

 サヴァラスティア家のテーブルが埋まる。サブジェイと、目を覚ましたレイオニー、ブラニーは、そしてリバティーは、メインテーブルではなく、用意されたサブテーブルに腰をかける。それは、ソファーの横だ。

 ドライはいつも通りテレビ正面の咳である。その横には、ローズもいるが、こちらも眠たげな表情をしている。ジュリオの座っている、ドライの右側の咳には誰も座りたがらない、気分的な問題である。

 窮屈だが、五人がもう片方に座っている。

 そして彼らの前に一枚の封筒が置かれる。そこには、オーディンのサイン場はいっており、サヴァラスティア家の子供達へ―――。と宛てられている。

 「封を切って」

 ジュリオが、自分を警戒している子供達に対して、にこやかな笑顔を作りながら、手を差し伸べた。

 真ん中に座っているイーサーが、封筒を取って開けようとするが、見ていると中身まで破ってしまいそうな、不器用さだ。

 間怠っこしくなった、エイルは封筒を摘みとり、指先に気を込めて、すっと封を切る。風の魔力でナイフを作ったのである。実に便利だ。

 封を開けるとそれをイーサーに渡してやる。

 「うおお!!!これ!エピオニア大会本戦のチケットじゃん!!大使の推薦印が押されてる!!」

 幻のゴールドチケットを手に入れたイーサーは感極まって、それを天高々と上げている。

 「え!?なになに!!」

 ミールの浮かれた声だった。エイル以外は全員チケットの確認をしたがる。

 「一枚だけなのか?」

 と、エイルの冷静な対応にジュリオはこくりと頷く。

 「オーディンが推薦人になるんだ。厳選された一名ってことさ」

 ジュリオは全員を一度じっくりと見渡す。お祭り騒ぎになりかけていた彼らの雰囲気が、一瞬にして静まりかえり、静粛な場になる。

 「アレは、俺たちのテストも含めてた……ってことか」

 ジュリオはエイルの反応に満足して再び頷く。彼ら全員の中で、一番危機回避能力に優れているだろうと思われるエイルの目は絶えず鋭い。

 「ケチくせぇなぁ。五人分用意しろよ……」

 ドライはその場にいないオーディンに対して愚痴をこぼすのだった。

 「クス……。さっきも言ったでしょ。厳選された一名だって。彼の名誉がかかった大事なチケットですよ?」

 そう、そのチケットにはオーディンの名誉がかかっているのである。大会で無様な姿は見せられない。つまりそれにふさわしい人物でなければならないのだ。オーディンは自分の眼鏡にかなった人間の中から、一人選び出さなければならない。

 「でも、これ、俺たちの誰の名前も入ってないぜ?」

 イーサーは、チケットに宛てられているはずの、自分たちの誰かの名前がどこにもないことに、気がつくのだった。

 「僕が代理人だよ。君たちの中で一番それに相応しいと思った人間の名前を入れる」

 ジュリオの表情は変わらない、にこにことした表情を作ったままだった。

 「っしゃ!じゃぁ早速!!」

 「あぁ~もう!あんた、落ち着きなさいよ!」

 すぐに盛り上がろうとしたイーサーの頭を押さえ込んでいたのは、隣に座っていたフィアだった。

 「アレはテストじゃなかったのか?」

 再びエイルが、昨日の戦闘とそれを結びつける。

 エイルの判断では、尤もダメージが少なく長時間耐え抜いたフィアが、それに相応しいように思えた。

 「僕の見たところ……、君たちにはそんなに、自力の差があるようには、思えなかったんだ」

 ジュリオは、彼らが武器の力によって、状態が左右されていることに、気がついていた。そして、それがセシルが制作した者だと言うことも、正しく認知している。

 「悪いが俺は辞退する」

 エイルはきっぱりとそのチャンスを捨てるのだった。意外な事実だが、眠たげだったローズだけが、その理由を明確に理解する。どうやら彼は、ホーリーシティーの大会に出ることを決めたようだ。そうでなければ、このチャンスは、喉から手が出そうなほどほしいものである。

 「姉御、俺、ホーリーシティーの大会に出るよ。決めたんだ……昨日」

 「え~~!そんな旅費あるわけないじゃん!!ど、どど!どうすんのよ!」

 フィアが珍しく動揺を見せる。

 「私が出してあげるって約束したのよ」

 これは抜け駆けだ。だが、人の手を借りることを嫌うエイルがそうまでして、思いこんでいた事を、初めて全員が知る。

 フィアもフィアも、一瞬、確かに彼らしからぬ狡さを感じた。だが、同じようにそれなら自分たちもと、便乗することは出来なかった。特にミールは、サヴァラスティア家の養子となることを決めている。だが、金銭的に甘える気にはなれなかったのだ。

 彼らは無邪気な面があるが、生活という面では、シビアさを知っている。

 「今ならみんなも、間に合うのよ?」

 これはローズの提案である。エイルに触発されるかされないか、それは彼らの自由だが、それは彼ら派が納得しなかった。結局は首を横に振る事になるのである。

 その答えにローズは、クスリと笑う。恐らくそれは、思いの丈の差なのだろう。

 「誰がこのチケットを握るか、自分たちで決めてほしい」

 ジュリオは完全にチケットから手を引いた。

 リビングはイーサー達だけになってしまう。ドライもローズも引き上げてしまった。

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