第3部 第6話 §最終 アインリッヒの提案

 道中――――。

 「アインリッヒ、オーディンがこれに目を通してほしいと……」

 「ん?なんだ?これは……」

 素っ頓狂な声を上げるアインリッヒ。語学力がない訳ではないが、長文を読むことなどあまりない。彼女がそれを目にするときは、ザインが面倒くさがって、ベッドの上に身体を投げ出すときくらいなものだ。


 ニーネから渡されたレポートに、目を通し始めるアインリッヒ。

 「下らぬな……、平等というものは、実力主義と並列的に比べられるものではないし、剣術大会とは、そもそも剣士としての実力を競い合うものだ。女性であろうとも参加できるし、差別などどこにもないと思う。筋力的に男女に差があることは仕方がないことだし、エンチャントも認めている。抑も、市民枠などもばかばかしい」

 意外にクールな見解である。オーディンと同じである。尤もアインリッヒは、同じ壇上で十分男共を蹴散らす実力を持っている。だから恨めしい部分など何一つ持ち合わせていないのだ。

 尤も、昔のアインリッヒからは想像できない発想だ。彼女自身が一番女性としての呪縛に捕らわれ、自分自身の性を否定し続けていたのだから。

 「弱者を守るための法は必要だが、弱者を強者に見せかけることは、単なる偽善だと思うし、どう強くあるべきかは自分で考えるものだ。外に出たい者が外に出ればいい。閉じこもっていたいのなら男でもなんでも、そうしていればいい。尤も外に出ない男など、案外モノの役にたたないかもしれぬがな」

 少々極論も含まれているようだが、ザインを見続けているアインリッヒである。他の男は必然的に軟弱に見えてくる。そんな男達が繰り広げる剣術大会そのものにも少々ウンザリしているのが彼女の本音である。

 彼女が知っている最後の剣士は、間違いなく、ドライ=サヴァラスティア・Jrである。

 「より多くの機会があることは、私は悪いことではないと思うのですが、アインリッヒはそう思いませんか?」

 そう切り出したのはニーネである。

 「というと?」

 「剣術大会で名誉を得ることは、とても大事な事だと思うのです。ですが、剣術大会は剣を目指すものの頂点ではなく……通過点ではないのか?と」

 それは確かに本文であった。アインリッヒは、そこに到達するための窓口は十分に開いているのだから、そこから上ってくるのは、自分次第であると考えていたのだ。ニーネはそれすらも通過点だという。

 「そうかも……しれぬが」

 アインリッヒは、顎を撫でる。動作だけを見ていると男臭さがある。

 アインリッヒが、ジュリオに視線を送る。自分の非力な剣を彼はよく知っている。血の滲む努力を続けた一人である。

 「僕はこだわらないですよ。みんなが楽しければいいのだし」

 ジュリオはオーディンやドライ、サブジェイに憧れを抱いているが、陳腐な大会そのものに、意義を感じていなかった。彼にとってそれは、祭り行事の一つに過ぎない。剣に憧れながらも剣を神格化していないのだ。

 笑ってアインリッヒに返す。だが、これは彼女に対しての回答にはなっていなかった。

 「ニーネの言い回しじゃ、まるで彼女は推薦しているように聞こえるぜ?」

 そう解釈したのはザインである。

 「だって、オーディンが悩むものですから……」

 「当たり前だ、この文面は剣を握ったこともない者達が理屈で書き上げた薄っぺらな抗議文だ。女性の尊厳は私も守りたいが、理屈だけで、そこにかける者達の想いを、殺すような真似が許されるか」

 オーディンは怒ってしまう。これが剣を握る女性達から、わき上がった声なら彼も考えないでもなかったのである。文面は正しいが、何処か理屈に合わない。

 「まぁ確かに、剣も魔法も玩具じゃない。沢山の魔導医についてもらうとはいえ、命の危険も十分にある。薄っぺらな権利主張だけで、その危険を増やすことは、理にかなわないな。それでもいいというのなら、話は別……か」

 「最近では、真剣を使うことや、エンチャントのレベルにさえ制限をかけようとする動きが出てきている。そんな大会をしたいのなら、私は第一線を引かせてもらう。あとは、好きにすればいいさ」

 遊びであり本気である。柵の中だけで行われる茶番を求めているわけではない。オーディンは世間の動向に少々腹を立てているようだ。

 ただの遊びにしたければ、彼は退くつもりでいる。

 「そうだな。それに相乗効果というのかは解らないが、おかげで魔導医の数も増えつつある。シンプソンやシードのように高レベル術者を目指す者達も出てきている。権利をされど安全を、安全を伴うためには、同時に権利の規制も伴わなければならない。っと、話がそれたな。で、どうするんだ?その女性団体の案件は……」

 ザインは、アインリッヒが覗き込んでいる紙を指でつついてみる。

 「その案件。明日にしませんか?私は少し眠くなってしまいました」

 女王は、シートにもたれ、目を閉じる。だが穏やかな顔をしている。そう、彼らはただオーディン達を迎えに来ただけなのである。英気を養おうと彼女は言っているのだ。

 レポートはアインリッヒに渡されたままだ。

 彼らは王城に帰り着く。

 城内にある、彼らの邸宅。

 アインリッヒは、素肌のまま、ベッドに横たわりながら、横でボンヤリしていているザインの横で、先ほどのレポートにじっくり目を通す。

 「オーディンの奴明日とっちめてやる……」

 そう言ったのはザインだ。せっかくの二人の時間に仕事を持ち込んだ責任を取ってもらわなければならない。

 「まぁまて、もう少ししたら、睦み合おう。オーディンがこの文面に歯がゆさを感じるのも、私も解らないではない。そう……無責任な言動……だな。実労を伴わぬ虚言だ。下らないとは思う。だが……価値はあるのではないか?と思ってな、心の殻を破る切っ掛けとでも言えばいいのか?」

 アインは、レポートを、ベッドの横に常備されている、小物入れの一番上の引き出しに、それを押し込め、ザインの上に寝そべり、目を閉じる。

 「今の大会でも、十分にレベルは低いと思うけどな……」

 「それは、私達から見れば……の話だ。料理の世界選手権など、私も到底チャレンジする気力もないしな」

 アインリッヒは、自分の不器用な料理を笑いの種にして、人としての思いを口にする。

 「なるほど……な」

 ザインが妙に納得すると、アインリッヒは少々ムッとした顔をして、ザインの大事なものをギュッと強く握り込む。

 「うお!悪かった!お前料理上手になったって!」

 今にも強力な握力で、握りつぶされそうになり、悶絶するザインだった。だが、その一言でアインリッヒの手は緩む。

 「よし、明日は、飛び切りの朝食を作ってやる」

 アインリッヒが凛々しく微笑む。非常に男性的な笑みだ。アインリッヒの表現はすべてに置いて率直である。求め合うときも決して言葉を濁さない。

 解放されたザインは、思わず汗を垂らして、勝ち気なアインリッヒを少々もてあました。だが、その部分に惚れている。

 「ああ、楽しみにしてるよ……けど、その前に……っと」

 ザインは、アインリッヒを抱きつつ彼女を組み敷いて、キスを求める。

 「仕方のない奴だ……」

 そう言ってはいるが、その時間が待ち遠しいのは、ザインだけではない。愛されるアインリッヒも、目を細め胸を高鳴らせ、体の芯を熱く火照らせ始める。彼を受け入れる準備が整うまでそう時間はかからない。受動的に且つ自発的なお積極的に彼を延々と欲する。

 物理的な幸福感を選るまでには、時により区々だが、この夜は一時間程度のものだった。何より眠りにつくのが遅かったためだ。満足感の後に睡魔に襲われそのまま意識がフェイドアウトしてゆくのが、アインリッヒには解る。

 翌日午前中に小会議が開かれる。例の案件である。

 国政に比べれば小さなものだ。そのために、国家の軸に集まる人間が、女性団体が送りつけてきたレポートに対して集まるのだから、大臣達からすれば頭が痛い。

 「そうか……、アインリッヒがそこまで言うのなら、試す価値はあるのかもしれないな」

 と、オーディンは、少々ため息がちに、その案件を提出することにする。これは大臣としてではなく、一委員としての案件提出である。

 ルールは何も変わらない。ただ、頭に女性限定の頭文字が、つくだけだ。

 だが、すでに決勝大会まで二ヶ月あまりしかない。行うにはエピオニアの大会しかないだろう。

 どれだけの競技人口が集まるか……である。

 これがある者達にとって、思いがけない機会になることは、ザインやアインリッヒには知るよしもない事実である。オーディンもそのときが来るまで、すっかり念頭から抜けていたことだった。

 そしてその者達は、強も訓練に汗を流しているのだった。どうやらオーディンの思惑とは違い、大波乱の様相を呈していた。

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