第3部 第5話 §14 二人のベッド

 夕方の頃合いになる。戻ってきたイーサーの一言が次のものだった。

 「え~~!マジっすか!?」

 それは、セシルがドーヴァを連れて、帰ってしまったことにある。理由は彼の腕の早期治療のためだった。ついでに是舞羅もない。ドーヴァをシードの元へと連れて行くためだ。

 「アンタにはこれを預かってるわ」

 ローズがイーサーに手渡したのは、レイの円錐である。

 「でも……俺って診断終わってないっすよ?」

 「セシルの出した結論よ。自分の意志で決めろ……ですって」

 「はぁ……」

 イーサーは呆然とするしかなかった。そして掌で円錐を転がしている。

 「で、フィア……その肩の小猿……なんだ?」

 イーサーは、脈絡もなしに現れたそれに、関心を持つ。別に彼女がペットを飼いたいといった話など全くなかったことだ。

 「あぁ……ゴン太ね……」

 フィアは自分の右肩に乗る程度の小さな赤毛猿に視線を送り、一寸苦笑いをするのだった。その猿の風体はガッシリとしてゴリラのようだが、表情はどことなく日本猿ににている。

 「ゴン太……」

 そのあまりにも、珍妙なネーミングの名付け親は、ドーヴァだった。

 彼に言わせると、フィアは「のっぽ」らしい。身長が高いことから、フィーリングでそう呼んだ。ちなみにミールは、「おチビ」である、この言い分に関しては、年齢の差を超えて、どっちもどっちだと、帰り際に喧嘩になった。

 「アインリッヒが小さいから、しゃぁないやろ!」

 というのが、彼の帰り際の科白だった。

 アインリッヒの詳細については、ローズがミールに教える。小柄でありながら、グレートソードを振り回す彼女の存在は、ミールに大きな興味を持たせた。

 ゴン太は、剣の化身である。精霊が望んだ姿だそうだ。元がイーフリートののため、そうなったのだろう。

 「なんか、その猿……目つき悪くない?」

 イーサーは、思わず余計な一言を呟いてしまうと、近づいた彼の顔に、ゴン太は小さな火炎放射を口から放つ。

 「あっちぃ!」

 鼻の頭がチリリと灼ける。反射的に体を反らすイーサーだった。どうやら、ゴン太は言葉がわかるらしい。

 エイル達の剣は、急遽用意されたホルダーに立てられることになる。そこには、ブラッドシャウトも、レッドスナイパーも立てかけられている。ただしフィアの剣は現在の赤毛猿である。

 イーサーがみっともなく、鼻の頭を手の甲でこするのを見て、全員でケタケタと笑う。

 ドーヴァが怪我をしたあの日以来、無難な日が続く。イーサーは、銀で出来た円錐を、チェーンに通し、ベッドの上に寝転がりながら、上に持ち上げ、ぼんやりとそれを眺めている。円錐は即席で作られたフォルダーにセットされているため、いつでも取り外すことが出来る。

 「楽しみにしてたのになぁ~」

 と、一寸だけ不平を漏らすイーサーだった。

 リバティーは、ドライの蔵書を持ち出し、机でそれを読んでいる。分厚く、両手で支えても重い物だ。その一冊が机の上をいっぱいに占領している。

 「仕方がないよ。旦那のドーヴァさんの怪我の方が大事だし……」

 リバティーは意識の一部分だけをイーサーのために使う。そのために、言葉には表情が乏しく、何となくの相槌に聞こえる。

 しかしそのとき、ドライとセシルのやりとりを思い出す。セシルは彼に不振を感じていた。それは人格的な物ではない。彼の存在そのものの事だった。

 イーサーの様子を見る限り、隠し事のある人間ではないのは解る。知っている様子もない。

 「あ~っと、来週からテストだった。単位とらねーとなぁ」

 イーサーはボンヤリしていた中に、急に現実的な出来事の一つを思い出す。ムクリと起きあがって、バッグの一つから、テキストなどを取り出し始める。

 「君の辞書にも勉強って言葉はあったんだ?」

 イーサーの軽い悩みよりも、そのことの方に関心を寄せるリバティーであった。背中越しにベッドの上に、テキストをばらまくイーサーに視線を送ると同時に、体がそれに吊られて動き始める。

 「あ、馬鹿にしてんだろ!ったく……」

 イーサーは、そのままベッドの上にごろりと俯せになり、適当にテキストをめくり始める。どうやら、数学のようである。とても勉強に励む姿には見えず、あからさまに仕方がなくするのだという、雰囲気が出ている。

 リバティーも、ベッドの上にごろりと転がる。

 イーサーは、壁の方により、リバティーにスペースを譲るのだった。

 「あたしがセントラルいったら、君が先輩なんだ……」

 「ん~~」

 リバティーの無駄口に、今度はイーサーが、気のない返事を返す。仕方がないとはいえ、彼なりに真剣なようだ。

 「あたし、飛び級試験受けちゃおうかなぁ、その問題も簡単そうだし……」

 リバティーが思わずそんなことを呟く。イーサーが真剣に悩んでいる問題を、いとも簡単にそう言い切ってしまうのである。

 「んじゃ……こっち」

 イーサーは、何気なしに一つ下の問題を指さす。応用問題だ。

 「ああ、これね……」

 そんなやりとりがしばらく続くのだった。


 翌日のこと。ドライとローズは、先日の公約通り、デートに出かけることになる。

 ドライのバイクの後ろにまたがるローズは、心なしかウキウキした様子に見えた。

 残されたのは子供達だった。試験前の大事な時期であるが、彼らは剣の訓練に明け暮れている。いや、約一名稽古をする時間がない人間がいるようだ。イーサーである。

 一人机の前で、試験勉強に余念がない。

 「えっと~~…………」

 「だから、Pi(x)をaxと仮定して……でしょ?」

 教えているのは、矛盾しているようだがリバティーである。

 「う~……で、a=1……で」

 「よくこれで大学生やってるわね……、みんな呆れちゃうよ?」

 呆れる対象はエイルやフィアなどである。

 「こうかな?」

 「よしよし、出来てる出来てる」

 リバティーが偉そうにイーサーの頭を撫でるのだった。

 「っしゃ……今ので一応、最後の問題だ!」

 イーサーは、長らく張り付いていた机に別れを告げるように、大きく背筋を伸ばし、体の中に溜まった二酸化炭素を目一杯吐き出すのだった。

 「休憩してよし!」

 と、リバティーの号令がかかると、イーサーは、今にも椅子に根を下ろしそうなお尻を引き上げ、重たくなった体をいたわるために、ベッドの上に俯せに倒れ込むのだった。

 リバティーのベッドだったのが、いつの間にか「二人の」ベッドになってしまっている。

 机もリバティーの物だ。だが、今しばしの間は、イーサーのために存在していた。

 「いいよなぁ。お嬢は、頭いいから……、てか、俺が頭悪いだけか」

 別に落ち込んだ様子はないが、随分疲れたようだ。

 以前にもリバティーが口にしたことだが、それはやはりシルベスターという血筋の結果だろう。イーサーのように苦労するのが普通なのかもしれない。

 フィア達も、シルベスターやクロノアールの血筋の影響があるからこそ、勉学には不自由しないのかもしれない。その事実はわからないが、リバティーは何となくそう思う。

 そう思ってしまえば、自分の頭脳明晰さには、白けてしまうものがある。

 そう思うと同時に、撃沈している彼が少々羨ましくもあり、少々可愛らしくもある。

 「こっち向きなよ」

 「んー?」

 イーサーがだらしなく反応して、ゴロリと仰向けになると、リバティーは彼の胸にストンと頬を乗せる。

 「夕べから、缶詰だったんだし……、一寸だけならいいよ」

 しっとりとしたリバティーの言葉だった。目を閉じてタイミングはいつでもよいといった雰囲気を出している。

 イーサーがそれに誘惑されないわけがなかった。

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