第3部 第5話 §7  家族として親として

 「そういえば、来年じゃだめだって……って言ってたわね。あれ、どういう意味?」

 エイルの方がぴくりと動く。

 「来年じゃ……彼奴に……イーサーには勝てない」

 それは認めなければならない事実だった。だが、認めたくないものでもあった。それは徐々に開きつつある二者間の自力の差を、彼が感じていたからに他ならない。無論それは、グラントもフィアも、ミールも感じている事だった。

 「その前に、最高の場所で、マジで彼奴とやっておきたいんだ!」

 掛け値なしの彼の心の声である。ローズには、ほかにもっと手っ取り早い方法が思い浮かぶ。オーディンに頼むことである。おそらくエイルやイーサー達の実力ならば、オーディンも納得するだろう。だがそれは彼が望まないだろう。正しく底辺から上り詰め、その中でイーサーと戦うことを望んでいる。そこは、曲げてはならない信念だ。

 その場所が、この街での大会だったのである。

 「そか……それでずっと悩んでたわけか……。だからって別にドライに突っかかってた訳でもないだろうけど」

 ローズは、その部分に対して、クスクスと笑いながら、溜まりに溜まった、苛立ちをはき出し、うつむいているエイルをじっと見る。

 だが、すぐに立ち上がり、エイルの横に腰を下ろすと、唐突に彼の頭を抱きかかえ、胸元に抱き寄せる。

 「よしよし……いい子いい子」

 「ちょっと!待ってくれ!」

 エイルはジタバタするが、ビクともしない。サービスのよすぎるローズの行為に血が頭に逆上せ上がる。

 「ぶは!」

 やっとの想いで解放されたエイルは真っ赤だ。何を考えているのか?とローズを伺うと、そこには優しさと妖しさが融和した美しいローズの表情がある。普段の野性味のある視線ではなかった。一九歳の青年には、あまりに刺激的な表情だ。そのローズが両腕を自分の頭部に廻し、引きつけ上から見下ろしている。

 「思う存分甘えてみる?ん?」

 誘惑的な唇の動きだ。それだけで自分の唇が「Yes」と動いてしまいそうになるエイルだった。

 頭部に回されたローズの手は、物理的ではない力で、彼をそこに縛り付けているようだった。ある意味それは魔力に匹敵する。

 自分にはミールがいるのだと言うことが解っていても、なかなか逆らいきれずにいる。

 そのときだった。表で、ガタ!!という物音がする。

 ローズはその物音が気になり、さらりとエイルを解放して、玄関へと足を運ぶのだった。

 「あ……危なかった……」

 解放されたエイルは、窒息しそうだった呼吸を整えて、高鳴る胸を押さえているのだった。

 「ドーヴァ!!」

 驚嘆したローズの声、玄関を開くと同時に右腕を抱えながら、家に転がり込むドーヴァ。

 ドーヴァは、入ると同時に、足で玄関の扉を慌ただしく閉め、そこに倒れ込む。

 ローズの声で現実に引き戻されたエイルは、急に生じた緊張感に体を硬直させる。

 「あんた、どうしたの!エイル!ドライを呼んできて!」

 「あ、ああ……」

 ドーヴァは、下着一枚に、カッターシャツのみのローズの膝元に頭を落とす。

 「すまん……ここしかなかったんや……、大丈夫……跡はつけられてないよってに」

 ドーヴァは日が落ち、人間の視界が利かなくなるのを待っていたのである。応急処置はされているが、腕からの出血は止まっていない。自分の行動一つで、ドライたちを再び忙しい世界に引きずり込むことに気を病んでの事だった。

 ローズは、すぐにドーヴァの右手に掌を当て、口元で治癒の呪文を唱え始める。基本的な治癒魔法である。命に別状がなければ、少々の肉体の破損まで治せる、比較的幅広く使える魔法だが、時間はかかる。

 やがて、エイルに起こされたドライと、騒ぎに気がついた一同が、バタバタとリビングまで姿を現す。ただしセシルが居ない、極度の疲労か、トランス状態にあるか、そのどちらかだろう。

 「そういえば、アンタ……オーディン大使との戦闘で見たぞ」

 エイルは、ドーヴァのことを思い出す。だが、ドーヴァはすでに答えることはない。気力を失っている。極度の緊張から抜け出したせいだろう。

 ローズは、自分の衣服や肌に彼の血が付くことなどいっこうに構わずに、ドーヴァを治療し続ける。

 「オヤジ……ドーヴァさんがここまでやられるって……」

 「……さぁな。ローズ……どうだ?」

 もし彼を超える達人がいたとして、彼がこのような有様になるのなら、恐らく生きていないだろう。そこには予想外の出来事が絡んでいたのだろうと、ドライは思う。

 「大丈夫。ひどいのは腕だけ。出血は酷いみたいだけど、死なないわ……この子しぶといから……」

 「そうか……、ほら……ガキ共は寝た寝た!」

 ドライは、サブジェイたちを先頭に、彼らをそれぞれの寝室に追い返した。無論生々しいドーヴァの怪我を見た後に、すぐに眠れというのは、無理な話だが。全員が起きていても事が進むわけでもない。

 「姉御!」

 だが、追い払われる間際に、エイルがローズを呼ぶ。

 「ん?」

 「さっきの話……考えておくよ」

 「そう」

 ローズは、ドーヴァの治療を続けながら、にこりとするのだった。

 少しだけ不満のとれたエイルの表情。ローズが彼の気持ちを解したのだということを、ドライは知る。

 ドーヴァはすでに、眠りの闇に陥っている。

 「どうだ?」

 ドライはローズの横にしゃがみ込み、漸くにしてたどり着いたとは、思えないほど落ち着いた寝顔をしているドーヴァの表情を見る。

 「ん……、反応から見て、右側の損傷が酷いわね。頭と心臓だけは、ちゃんと保護してる。流石ね。問題は出血だけど、クロノアールの生命力が、この子を助けてるわね。そういう意味じゃ、アンタよりしぶといかも」

 ローズは冗談を交えながら、ドーヴァの治療を続行する。

 「ポタージュ入れてやるよ」

 しばらくその場を動けそうにないローズを気遣うドライだ。膝を押さえながら、ゆっくりと腰を上げ、ドーヴァの様子を一度見て、キッチンへと向かう。

 その方向で、鍋がコンロに音がして、火をともす音が聞こえる。

 「アリガト」

 平坦で感動のないようなローズの返事だった。だが、そうではなく、彼の一挙一動に逐一感動を覚えなくなっただけだ。そえは、愛情が冷めたという意味ではなく、自然なやりとりであったためだ。例えば、ローズがテレビを見ている時や、書物に夢中になっている時、などである。

 違うと言えば、怪我をしたドーヴァがいることだけだ。

 ローズは、時折ドライの入れたポタージュスープを飲みながら、ドーヴァの治療を続ける。ドライは殆ど何も着ていないと同じのローズのために、ジャケットを彼女の肩に掛けると、ついでにテレビ横に置かれているマガジンラックから、雑誌を一冊取り、椅子に座り、足を組み、それを読み始める。

 内容は普段彼があまり興味を示さない、流行を追い掛けるものだ。殆どがリバティーが購入し、ローズが退屈しのぎに読むモノだ。

 「そういえば最近……映画……いってねぇなぁ」

 「そうねぇ。ハートが熱くなるのがないからね。最近は……」

 「デートもしてねぇな」

 「ふふ、どうしたのよ」

 「ああ、何となくな……。どうだ。アイツ(リバティー)も落ち着いたし、土曜あたり、家はガキ共に任せてさ……出かけようぜ」

 ドライの言葉は半分感情が入っていない。雑誌に目を通しているためである。街のスポットなどを探しているのだ。料理は、ローズが作るモノが一番美味いと思っているドライだが、たまには他人の味も雰囲気としてはいいと思う。

 「ドライ?!」

 それは忠告が含まれている。

 「解ってるさ。でも、俺もお前もアイツ(リバティー)に出来るのは、してやれることだけだ。俺たちに出来るのは、守ってやることだが、べったりしてやる事じゃねぇ」

 「あの子、考え始めるとずっと考えるわ。考えるスタミナがあるぶん、ずっと考えるわ。最近は、それで眠れないみたいだしね……」

 二人に出来ることは、ずっと家族でいること。当たり前のことだが、それだけである。自分たちが彼女の帰る場所である。自分たちの成り行きは、彼女が飽和状態にならないように、話して行かなければならない。一度のに話しても、飲み込めるわけではないし、聞かされることは、決して理解することにはつながらない。

 ただ、聞かせていれば、時期が来るとそれがそうだと解る、予知になる。

 その方法はいくつかある。一つは幼い頃から語り継ぐことだ。だが、それは運命を宿命づける結果につながることにもなる。もう一つは、一定の年齢に達したときに事実を語ること。免疫のない話題に、現実がひっくり返され気が動転する。尤もそれは、死に至るほどの嫌悪感に満ちるものではない。

 そして、自然に受け入れていくのは、難しい事なのかもしれない。

 リバティーには、自分たちの経緯を知ることなく、『人』として、自然に生きてほしかった。その想いがある。

 だが、ここにきてそれはもう、戻れない理想である。

 それに努力をすることもなく、知識を吸い込む事の出来る彼女は、二人が意識してそれを抑えても、抑えきれない状況になりつつある。

 つまりそれは、子孫としての覚醒が始まっているということであ。

 ただ単に、その時期を遅らせていただけに過ぎない。

 「アイツが、俺たちの娘でよかった……って思えるように、なりてぇな」

 「ふふ。サブジェイは、そう思ってくれてるわよ?」

 「それは、アイツがえらいんだよ。俺じゃねぇ……」

 「私は、母親として、あの子にイロイロ教えてあげたし……、まぁ当然よね」

 ローズはわざと、自分を主張する。彼女の色々は、多々度が過ぎる場合がある。ドライはその言い回しに、思わず、クスクスと笑いたくなってしまう。

 「全くだよ……」

 半分は本当で、半分はあきれているドライの返事だった。

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