第3部 第5話 §5 エイルの葛藤
先日の学校での出来事。
確かにあのときは、甘えることは許されなかったが、ローズは正しく自分の元の駆けつけて、堂々と母親としてその場にいてくれた。その後に、それについて責められることはない。そこに十分な愛情を感じている。
そして、解っている。それは彼らの面倒をみようとする、ローズなりのケジメだということを。
ドライが、柄にもなく長時間キッチンに立っていたのは、ローズの話に自分が邪魔にならないためだった。ドライが料理をする。そうは言っても簡単に切り刻んで煮たり焼いたりだ。代表的なのがカレーである。
「ローズ。出来たぜ!」
タイミングがいい。きちんと空気の流れを見計らったドライの声だった。
「さ!ご飯ご飯!」
ローズが、絡んでいた彼女らをサラリとほどく。
「ほら!何ぼうっとしてるの?手伝う!」
ローズはリバティーの頭をぐりぐりと撫でるのだった。
「あ……エイル……」
グラントが、唯一拒絶した、彼の心配をする。
「ああ、俺行ってくる。最近のアイツどうしたのかな……」
イーサーが、席を立ちながらぼやく。言葉を交わすと忠告意見の多いエイルだが、イーサーは彼の判断を自然に受け入れることができる。それは言葉の中に、悪意を感じず、自分のためもしくは自分たちのことを考えた上での発言だからだ。だが、最近のエイルは、妙に悪態をつく。今までの彼らしくない。
部屋に引きこもったエイルの返事は、「一人で考えたい。ミールにもそう伝えてほしい」だった。
セシルは、彼等多食事中でも出てくる事はなかった。ほとんどトランス状態にあるためだ。数日は必要最小限以外は部屋から出て来ることはない。それを数日続けるのだ。それには膨大な労力を費やさなければならない。
その夜更け。部屋に籠もっていたエイルが、肌寒いデッキで、一人思いに耽っていた。
クーガとゼブラが停められているが、人が乗っている気配はない。どうやらレイオニーの作業が一段落済んだようである。いや、はしゃいだ様子を見せていないことから、休息を取り、鋭気を養うことにしたのだろう。
夜の闇に包まれた中、天井からの明かりが、彼の手元にある一つのチラシを照らす。そこに書かれているのは、剣技大会の案内である。
「なにしてるの?こんな夜中に……」
玄関が開けられるとほぼ同時に、その声が聞こえる。
チラシをあわてて隠しつつ、右横に振り向くと、簡単にドライのカッターシャツを引っかけたローズの姿があった。足下はというと、素足にスリッパ、下着は下だけである。ワイルドに止められたシャツのボタン、そしてその隙間から今にも胸が見えそうな状態である。
「服くらいちゃんと、着てくれよ!アンタ人妻だろ?!」
エイルは、あまりに無防備なローズの姿に赤面して、正面を向いてしまう。
とたんにローズは、ニヤニヤしだす。こういう純情な面をみてしまうと、ついついからかいたくなるのが、彼女の本音だが、この夜はそれだけじゃない。あれから全く部屋を出ようとしなかったエイルが、今度は一人で思案に耽っている。無論そこには、自分の発言が大きく関係しているのだ。放っておけるはずもない。
「寒いわよ。それに晩ご飯まだでしょ?入んなよ」
ローズは先に、スリッパを引きずりながら、家の中に入る。エイルも少しだけ、冷静さを取り戻していた。それにローズのお節介な性格が見え始めている。
意地を張って自分が外にいれば、彼女はあの格好で一晩それに付き合おうとするだろう。それに確かに空腹でもある。
キッチンとリビングの明かりがともされる。普段は大勢いるのだから賑やかなのは当たり前だが、今は座っているのが自分だけだで、寂しいくらいに静かである。
エイルは、適当に座ると、キッチンから、ローズが料理の準備をする音が聞こえる。
「スープよ」
ローズは一度マグカップに入ったコーンポタージュを持ってくる。だがしかし、やはりあのあられもない格好だ。軽くかがむだけで、殆ど丸見えである。
エイルは返事の前に、照れて顔を背けてしまう。
そんなエイルをみつつ、ローズはクスリと笑いながら、再びキッチンにゆく。
一〇分。長い時間だ。カレーの匂いがしてくる。食欲をそそるよい香りだ。
「お待たせ……」
ローズは、エイルの前に、温かいカレーを差し出す。
「いただきます……」
エイルはあえてその言葉を口にする。自分が平常心を保っていことを、主張しているかのようだった。
ローズは、エイルの前で、頬杖をつき、口元だけをほほえませながら、それをじっと見ている。口紅はつけていない。普段でもほとんど化粧をしないローズだが、口紅だけは欠かさない。
しかし、別に口紅をつけていなくても、十分に色つやのある唇である。
「さっきのチラシ……、この街の大会のものね……」
ローズは、暈かさなかった。そうすればエイルは、誤魔化すからだ。確信を持ってそういう。エイルは何も言わない。
「この街じゃ、学生は推薦がないと、出ることができない。俺には来年なんて……待てないんだ」
エイルはいつもクールであると同時に先を見据えた厳しい視線を持っている。いつも誰よりも一つ先を見抜こうと考え巡らせる。
それとは対照的に、イーサーは、その場で直観的な判断を下す。互いに全く別のセンスを持ち合わせた二人だ。思慮という面では、グラントも周囲に気を配る心を持っている。そのチグハグさと、妙なバランスはまるで、昔の自分たちのようだ。
直情的で先走るドライに、道を切り開く手段を考えるオーディン。そしていつもみんなの気を遣っている、心の優しいシンプソン。そこに自分がいて、セシルがいる。
あのころに比べれば、ドライは随分と成長したものだ。捨て鉢になることもないし、破滅的な行動に出ることもない。
ローズは、厳しい旅の中でも微笑みかけたくなる楽しい思い出に、目尻をゆるめてしまう。
「ほかの街にも、大会はあるじゃん。大きいところは、ヨハネスブルグ、ホーリーシティー、エピオニア……。自由枠で、世界大会に出られるわよ?」
燻ってどうしようもないエイルに対して、ローズはその一言を投げかける。エイルは、膝の上でぎゅっと拳を握りながら、沈黙する。
「そんな金……ないよ」
悔しそうなエイルの声だ。
生活してゆく金はある。だが、世界大会に出場するためには、代表選手にならなければならない。代表選手には、推薦枠と自由枠、権利枠がある。
推薦枠は、文字通り推薦人がいれば済む話だ。コネもあれば、経歴審査もあるため、経歴のないものが選ばれることはない。権利枠はそれぞれの街で行われている、大会で好成績を得ることだ、それと同時に市民である必要がある。自由枠は、出身地を選ばない激戦区である。世界中から強者が集まってくる。
世界大会で優勝するのは殆どが自由枠の者だ。理由は単純に、経験の差である。権利枠推薦枠は政治色の濃いものが殆どである。
イーサーたちが大会から、締め出しを食らってしまったのは、そこにある。
「ほら……食べなよ」
ローズは、やりきれないエイルの頭をなでて、食事をするように、気持ちをそちらに促す。
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