第3部 第5話 修行
第3部 第5話 §1 リバティーの部屋
日曜日の夜。イーサーは夕食を取る直前の時間、ベッドの上で俯せになって寝ていた。場所はリバティーの部屋である。そして、腰にかけられたバスタオル以外は何も纏っていない姿だった。実に良く鍛え上げられた物だが、体中アザだらけである。
そんなイーサーの、タオルを少しずらし、青アザのあるお尻の頬の上に氷嚢を乱暴に置いたのは、リバティーだった。彼のおしりの割れ目はどうにか見えないでいる。
「イテェ!お嬢!イテェよ!」
背筋運動の要領でイーサーが一瞬エビ反りになり、再びベッドに沈み込むと、情けない顔をして、シーツを握る。
なぜ、彼がそんな状態になったのか?それは、セシルが彼の不思議に気が付いた午後にある。
「アニキ……いきなり、畑はいいとか言い出したと思ったらさ、ヒデェよ……」
「情けない声だすわねぇ」
リバティーは氷嚢の頭をつまんだまま、情けないイーサーの寝ているベッドの縁に座り込む。そして、昼間のドライとセシルの間にあった話を思い出す。最後は自分が笑いの酒菜にされてしまったが、その後にドライが言った一言を、少し口の中で咀嚼していた。
時間はリバティーの中で、昼間の出来事に戻る。
「まだ、アイツには言うなよ」
巫山戯て笑っていたドライの表情が、急に真面目になり、自分の頭を一撫でするドライ。
「どうして?」
それは、イーサー自身の問題である。そして、それは今後彼の生き方を左右する問題である。それを他人の自分達だけが共有して良いものではない。リバティーはそう思う。
逆にセシルは、別の観点からドライの意見に賛成だった。それは彼の存在理由がまだ不確定要素で、謎が多すぎることだ。無論その観点はドライも持ち合わせていたが、彼の考えはもっと個人的である。
「話してショックを受けるような奴じゃないが、今のアイツは、物事に流されする。だろ?」
確かに、ドライの言うとおりだのだと、リバティーも思った。彼女も感情や雰囲気に流されやすい部分がある。あの一夜が始まった時も、確かに不安定な感情に流された自分がいて、その雰囲気に流されたイーサーがいた。
ここへやって来た経緯も、二人が初めて出逢った夜もそうだった。
今はただ、幸運の歯車がかみ合っているだけなのかもしれない。だが、それは繊細で脆いものだ。いつ歯が欠けて、流れを狂わせてしまうのか、誰にも判らない。
「お嬢~、ケツ……冷たい……」
イーサーの情けない声で、リバティーは現実に戻る。
「我慢しろ!ていうか、何でアンタ私のベッドに寝てるのよ……それに荷物もいつの間にか、持ち込んでるし……」
部屋の隅には、イーサーの布のバッグが二つほど転がっている。まだ、タンスの引き出しを占領するに到っていないだけマシだが、それはまるで、初めからそこにあったかのように、図々しく居座っている。まるで、サヴァラスティア家に厄介になりたてのイーサーのような存在のように、リバティーはそれらを鬱陶しく感じるが、妙に愛着を感じるのも、事実である。
「うりゃ!」
一番身近な、ベッドの横に置かれているイーサーの下着が顔を出しているバッグに、リバティーはケリを加える。
八つ当たりされたバッグは、部屋の扉にぶつかり落ちて少し下着を散蒔いて、拉げる。苛めないでと、少々泣いているようにも見えた。
「うわぁ!やめろよ!俺のバッグ!イテテ……」
「煩い!」
リバティーは、氷嚢でイーサーの後頭部を軽く叩く。水と氷が混ざった氷嚢が、大げさな音を出す。
それにしても酷い鬱血である。相当なスパルタだ。しかもイーサーだけに対してである。他の四人は、サブジェイに任せ、ドライは彼だけをコテンパンにしたのだ。
青あざは、1カ所や2カ所ではない。
「お兄ちゃんが止めてなかったら、パパ、止めなかったのかな……」
リバティーは、再び氷嚢をお尻に戻して、そんなことを呟いた。尤もドライに何かの考えがあるのは判っている。その一つは彼を鍛え上げるという理由だ。
「多分、俺がまだまだ……ってことを言いたかったんだろうなぁ……」
ドライと自分の実力差は明白であり、足下にも及ばないことなど、彼も自覚している。代の中上には上がいるということを知り、寧ろ井の中の蛙で終わらなかった事を、彼は感謝しているのだった。だが、本当に急な話である。
「イタタタ……」
イーサーは、俯せの姿勢が辛くなり、仰向けに寝返るが、あらぬものが挨拶をする。
リバティーは再び氷嚢をそこに叩き付ける。
「はう!!」
不意打ちを喰らったイーサーは、泣きそうになり、瞬間的に縮こまる。
「早く隠せ!」
リバティーは、顔を赤くしながら足下の毛布をイーサーの腰に毛布を掛ける。胸にも腹にも、ドライが突き放した時に出来たと思われる酷いアザがある。
イーサーは、股間に叩き付けられた氷嚢をもぞもぞと取り出し、胸の上に置く。
「臭そう……」
ぼそっと呟くリバティーだった。
「臭くねぇよ!シャワー浴びてるし!ホラ!」
一寸ムッとしたイーサーは、リバティーの眼前にそれを突き出す。
「きゃあ!!このオバカ!」
リバティーは、まるではえを追い払うかのように、氷嚢を振り払うのだった。
「べぇ!」
イーサーが、あまりに意地悪ばかりするリバティーに対して、舌を出してしかめっ面をする。すると、リバティーも負けずに、しかめっ面をして同じように舌を出して、ブゥブゥ!とブーイングの飛ばし合いになる。
互いに、つんと拗ねあって、少しだけ間が空く。
「アンタ、もっとキツい奴かと思ってた、目も吊り目だし、眉毛もこぉんなだし!」
とリバティーは、目尻を両手の人差し指で、ぐっと釣り上げてみせる。
だが、何かにつけて子供のようにはしゃぎ回る彼は、ほぼ毎日のことだ。改めて言うことでもないのだが、リバティーは改めてそう思う。
イーサーはキョトンとする。
きつい性格なのは、そっちだろう。と、思わず口に出しそうになってしまう。
「痛そうだね」
そう言いつつも、リバティーはイーサーの胸の青あざを指でつついてみる。
「イテテイテテ!何すんだよ!」
突くたびに、イーサーは敏感に反応して、のたうち回る。
「うりゃうりゃうりゃ!!」
動き回れば回るほど、リバティーは面白がって突きたがる。そのうち二人の緊張感のない攻防が、じゃれ合うようになって行く。
「やーめろっての!」
イーサーには一つの反省点がある。それは彼にしっかりと刻まれている。尤もこの戯れは、苛立ちの頂点に達するほど、彼のプライドや人生を否定するものではない。痛いが、それほど気分の悪い状態ではない。毛嫌いするように、リバティーの手を押しのけるが、彼女自身をどうにかしようとは、思っていない。
今の彼には良い意味でのブレーキが働いている。リバティーと出会った夜の彼は、心身行動すべてにおいて最低な状態だった。そしてそれに流された弱い自分がいた。
「へぇ~……」
と、その時、第三者の声が聞こえる。
それは、間違いなくこの部屋唯一の扉の方角からだった。
脈絡のない介入社の声に、じゃれ合う二人の手が、触れ合ったまま止まり、両者の顔が、自ずとそちらに向くと、大きく扉を押し開けて、二人の状態を見ている、ミールがいる。
すっかり感心した顔をして、目を見張っている。
確かに、一夜の後の体勢を見られているため、男女の関係の一面を隠せない二人だが、あえて感心されてしまうと、リバティーは顔を真っ赤にする。
ミールの目に詮索の色はないが、感心はしている。
「さ……、勉強勉強……」
リバティーは、なぜミールが覗いているのかとか、どんな用事なのか?などの詮索には頭が回らず、普段全くしないことを、始めつつ、そこに寝ているイーサーに対して急に無関心を装う振りをしている。
そもそも、リバティーが言っているように、彼がこの部屋で寝ていること自体が、好奇の目を誘うことなのである。
なおかつ、イーサーの上半身は裸である。そして、毛布の中の下半身も同じだ。
「ってミール。俺のバッグ……」
イーサーも、顔を赤くしていたが、扉に押されて更に無惨な状態になっているバッグに目が行くと、そう言わずにはいられなかった。
「あ……ゴメン。そうそう、姉御がご飯だから、降りて来いってさ。持ってきてあげよっか?」
小さな体を命一杯動かして、クネクネとして色っぽい視線でイーサーを見るミール。妙な気を回して愛想を振りまいている。
へへへへ……。と、笑いながら再び、扉を閉めるミールだった。
ただ、食事を終えたその夜のサヴァラスティア家は、二人のじゃれ合いに反比例して静かなものだった。
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