第3部 第4話 §9  二度目の夜

 イーサに連れられたサブジェイとレイオニー。二人は、イーサの家の前に立っていた。イーサーがキーを眼前に差し出すと、カモフラージュが解け、その入り口が姿を現す。

 問題なのは、持っているそのキーである。自分達の物とほぼ同じキーである。二人はそれを見て頷いた。間違いなくそれは遺跡である。しかもタイプ的に似ているようだ。

 「でも、俺ん家ホントなんもないっすよ」

 イーサーは、そういって扉を開いて、二人を招き入れるのだった。

 入り口から入って真っ直ぐ、正面には扉がある。だが、イーサーは、そこを右に曲がる。

 「あ、その扉壊れてて、開かないっすよ」

 そう、彼はドライと同じように自分達のプライベートな空間に案内しようとしていたのだ。だが、レイオニーとサブジェイは、その扉が壊れていないことをすぐに認識するのだった。二人はその扉に釘付けになり、そこから動こうとしない。

 「天剣?」

 イーサーが、急に思い雰囲気になった二人に対して、機嫌を窺うようにして、振り返るのだった。

 「君は、いつからここにいるんだ?」

 サブジェイがこの遺跡を見つけた経緯をイーサーに訊ねる。重要なことだ。イーサーと向き合い、視線をしっかりと合わせる。

 「さぁ……、ガキの頃からずっと……」

 イーサーは考えてみるが、はっきりとした記憶がたどれたわけではない。

 「貴方のご両親は?」

 「ん……お袋は……俺が生まれたときはいなくて……オヤジもガキの頃に死んじゃってさ……」

 イーサーは、特にこだわり無くそれを話す。彼の記憶からは両親に対する思い入れや愛情があまり感じられない。記憶から来る事実を漠然と語るのだった。

 良くは判らないが、彼がその鍵を初めから所持していたと考えるのが妥当だと思うレイオニーだった。

 レイオニーは、持ち歩いているバッグの中から、ノート型のコンピューターを取り出し、一つのアダプターを端子の一つに接続する。

 「君の鍵を解析するわ……貸してくれる?」

 レイオニーは、既に借り受ける権利が自分にあるかのように、手を差し出すのだった。イーサーは少し躊躇ったが、キーをレイオニーに渡すことにする。

 「なぁ天剣……俺さ……」

 そう、別に彼は、自分の家が遺跡であろうと無かろうと、そんなことはどうでも良かった。ただそこは自分の住み場所なのである。失うという一つの不安が、何気なく過るのだった。

 「大丈夫。君からここを奪ったりしないよ」

 サブジェイはイーサーの肩をぽんと一つ叩き、一つの安心を与えるのだった。

 数時間が経つ。だがキーの解析は終わらない。

 「膨大な可変プロテクトだわ……、いったい何万通りあるのかしら……」

 買い出した食料。主にサンドイッチを食べながら、コーヒーを飲みつつの、レイオニーのその一言。ずっと開かれないり口の前に座り込んでいる。

 その時、イーサーの携帯に一通のメールが届くのだった。

 妙な間である。自分の所在はエイル達が知っている。それにサブジェイ達と一緒で、長引くことも理解しているだろう。誰だろ?と、イーサーは、そう思いながら、ズボンの後ろポケットから携帯電話を取り出し、折りたたまれた携帯を開き、着信メールを確認するのだった。

 「お嬢だ……なんだろう。至急?」

 イーサーは、用件を見て、メールの内容を確認すると、そこには「絶交」の二文字が書かれているだけだった。

 「ああ!やべ!」

 イーサーは、大事な用件を思い出す。サブジェイとの時間の共有に、ついついそれを忘れてしまっているのだった。簡素で無機質なその二文字に、凍てついたリバティーの怒りが表現されていた。

 「えっとえっと……」

 イーサーは慌てて時計を探す。普段から時間に縛られる感じが伺える腕時計などしないイーサーだった。だが、慌てていなければ、携帯電話の画面の右上に表示されている時間を見れば、一目瞭然だ。だが、慌ててそのことに気が回らないでいる。

 「どうした?」

 サブジェイが、急に平静さを欠いたイーサーの慌てようが気になる。

 「天剣!時計持ってないっすか!今何時っすか?!」

 「ん……あぁ、レイオ」

 サブジェイも時計をする人間ではない。簡単にレイオニーに話を振ると、彼女は左手の掌を自分の方に向け、手首を見る。

 「十時よ。どうして?」

 レイオニーも、イーサーが時間に敏感な人間には見えない。酷い言い方をすると、何か大切なスケジュールを抱えて生活をしている人間には見えないということである。

 「ああ!ゴメン!俺、約束あってさ!もどんなきゃ!」

 「おい……君の家は?」

 「っと、鍵もって、十メートル以上家から離れると勝手に玄関消えるから!後たのみます!!」

 イーサーは慌ててそこを離れるのだった。

 慌てる以上に何かに怯えたような、イーサーの表情。それはサブジェイとレイオニーには無縁の心配事なのかもしれない。

 そう、いつ何処にいてもお互いの行動をよく理解している二人にとっては、必要のない悩みである。

 約一時間半。それがサヴァラスティア家とイーサーの遺跡との片道の道のり。IHのほどよい高速走行での距離だ。

 イーサーは、慌ててサヴァラスティア家の玄関先にバイクを止めると、明かりの消えた玄関を小さな音で叩く。室内からは、多少明かりが漏れている。それは、恐らくテレビの明かりだろう。

 イーサーの携帯電話に再びメールが飛び込む。

 「鍵はかかってません?」

 それはリバティーからのメールである。正しく言うとリバティーが鍵を開けているのである。

 即座に反応をするということは、彼女はその向こう側にいると言うことである。

 イーサーは、冷や汗をかき、作り笑いをしながら、玄関をそっと開き、忍び足でリビングに忍び込み、玄関を閉め律儀に鍵を掛ける。

 そこには、昨日と同じく、大きな毛布にくるまり、ソファーに座ったリバティーが、あからさまな不機嫌顔で、テレビを見ている。昨日と一つ条件が異なるといえば、ソファーの前に、小さなテーブルが置かれ、その上にはチーズとワイングラスが二つ置かれ、その瓶も置かれている。そのほかにも数点酒菜が置かれている。

 「ゴメン!天剣に誘われてさ!」

 イーサーは、拝みながら媚びを売るように、リバティーに謝り倒す。それから、すぐにリバティー真横に腰掛ける。

 「へぇ……天剣の方が!大事だったんだ……」

 リバティーはテレビのスクリーンを見ながら、イーサーに一別もくれない。そして、『天剣』を大きく強調して、痛烈な皮肉を言う。

 「う……」

 確かに、それは否めない事実である。あの瞬間はサブジェイの誘いに、ついつい我を忘れていて浮かれていたのだ。

 「いいよ。私、別に君に恋してる訳じゃないし……」

 そういいつつも、小さなガラステーブルの上には、きちんと二人分のグラスが用意されているのである。しかし、リバティーの言っていることもまた、事実の半面であることに変わりない。

 眠ろうとすると漠然とした不安が胸の中一杯に広がり、押しつぶされそうになるのである。今その助けとなり、唯一頼れる相手であるのは、良くも悪くも本音をぶつけられる彼しかいない。

 リバティーは、態とらしく席を外そうとする。

 イーサーは、反射的にそれを阻止する。棘のように毎日チクチクと、刺されるのはゴメンである。それに何より昨夜、腕の中で震えていた彼女を体中に思い出すと、止めずにはいられない。

 毛布で身体を隠している、その向こうには夕べ唇で撫でた彼女の温もりがある。思い出すだけで、生唾を飲んでしまう。引き留めるイーサーの手と、薄暗く照らされたこわばった表情が、自分に何を求めているのか理解するリバティーである。

 「最っ低……」

 今回のリバティーは、酔っていないようだ。

 「あはは!喉乾いたなぁ……」

 イーサーは、見透かされた気持ちを誤魔化すために、緩く閉められたワインのコルクを抜き、手前のグラスに注ぎ、口をしめらせる。それからチーズを一口。

 テレビのスクリーンに映っているのは映画の再放送である。

 「あ、これって、マリー=ヴェルヴェットの伝記……?」

 態と映画に話題を振り、三角に切られたチーズを口に放り込み、ワインで味をなじませる。

 「知ってる?彼女の数年後半には、絶えず一人の剣士がそばにいたって……」

 白々しく思いつつも、リバティーは彼の問いの答えに似うそぐう一つの逸話を話す。それから、カシューナッツをひとつかみして、口の中でぽりぽりと音を立てる。

 「ふ~ん……。それってアニキのことかな……」

 少し落ち着いたイーサーも、無意識に酒菜を取り、口の中にそれを彫り込む。

 「うわ!なんだこれ!辛(かれ)え!」

 部屋の中は薄暗い。明かりに照らされた表情は判るが、それは人を認識しているからである。適度な大きさに切られたチーズは判る。だが、もう一つの皿には、小さな酒菜が数種類の競られており、その全容は把握できない。彼の食べたものは、やたら辛味のきいた、青唐辛子のような味だ。青く熱っぽい辛味が口の中に広がる。

 イーサーは、チーズとワインでもう一度口の中の状態を整える。

 「うわ……ひでぇな……何これ……普通出す?こんなの……」

 イーサーはまだ、口の中の辛味に耐えきれず、手で口を押さえながら、息を吐いたり吸ったりしている。

 「くす……。さっき発見したんだけど、クラッカーにチーズ乗せて、これ乗せると、いけるんだよ」

 急に現実に引き戻されたようなイーサーに対して、リバティーが先ほどとは一転して、豊かな表情を作り、クラッカーにトッピングしたそれを、イーサーに食べさせる。

 「んぐ……」

 イーサーは、リバティーの指ごと口にくわえる。

 「美味しいでしょ?」

 「うん……美味い。辛いけど……」

 イーサーは、不意にリバティーに気を遣う必要性を感じなくなる。それは彼女から発せられている緊張感が無くなったからである。それと同時にスクリーンに映し出された二人が、追っ手から逃げつつ、森の中を抜けて行くシーンに見入る。

 「アニキなら、あんなのどうって事ねぇよ」

 スクリーンの緊張感のあるシーンに逐一文句をつけるイーサーだった。彼はすっかりドライを知った気になっている。逆にリバティーは、ドライに深みが出れば出るほど、父親としての彼と、その過去のギャップに不安を感じる。

 リバティーは、イーサーの肩にそっと寄り添う。

 「メール送ってなかったら。絶対忘れてたでしょ」

 「う……」

 話が戻される。気まずい。

 会話が全くとぎれる。図星なだけに、返す言葉がない。

 「ん……」

 リバティーが、再び別のトッピングで、クラッカーをくれる。

 「お嬢……」

 イーサーは、リバティーと肩を並べつつ、聞くことが出来なかった昨晩の真意が気になった。

 「お嬢がさ、そこまで感じる不安……て何?お嬢が、ガッコー行ってる間、考えたんだ。お嬢は俺のこと好きじゃないとしたら……こうする理由って……何かな……って、どうしてかな?って……」

 それでもイーサーは、リバティーの肩を抱いて話さずにいる。男の性が、彼女を離さずに。つまりそれが本音だ。だが、間をおいた彼が、知性を持つ人間として、もう一つの答えを求めたがっている。

 イーサーは無謀だが排他的でない。彼の無茶は、剣を持つ者として成し遂げたい一つの目標があるからだ。下手なりに一生懸命そこまで、一つ一つの思いを積み上げようとしているのだ。

 だが、リバティーの行為は刹那的で排他的で、先がない。その先に求めるものを感じないのだ。

 「ふ~ん。男の子っ、てエッチできたらそれでOKだと思ってたけど、……意外ね」

 リバティーは、彼の意外な一面を発見したように、少し大げさな声で、頷いて見せた。

 「そ……そりゃ……今すぐでもお嬢と……ぼそぼそ……」

 リバティーは、気恥ずかしさに頬を赤らめ、視線を逸らしながら、尻すぼみになるイーサーのそれを聞くと、一度立ち上がり、毛布を広げ、イーサーに覆い被さり、二人の距離を縮める。それから毛布の中から、二人の頭がすっぽりと姿を現す。

 「君との時間……夢中になれるよ……それじゃダメ?」

 それは誘惑であり、答えではない。こうされるとイーサーは冷静を保てない。彼女の質感が一枚の布地の向こうから伝わる。衣服を纏っているのはイーサーだけだ。そして、リバティーの素肌に回った両手は、まるで吸い付くように彼女を抱くことを求めて離さない。

 彼の理性の限界が早まったのは、何も自然の生理現象のためだけでないことを、理解しているのはリバティーだけだ。彼自身は異常なほどに膨れあがった本能に逆らえない状態にある。

 イーサーの思考回路は完全にショートする。破壊された理性にはどうにもならず、五感からえら得られる全ての感覚は、何もかもが快楽を得る材料に過ぎなくなる。

 どれだけ喰らい尽くしても、静まることのない熱情に駆られる侭に、数時間が過ぎる。

 体中が休息を欲し、冷却作用のために発せられた汗が互いの体中を覆い、その中で僅かに戻った理性が、尚リバティーを抱きしめさせた。荒れ狂った嵐が過ぎ去ったような、静けさだった。

 その中で彼女は、何もかも忘れた表情をしたまま、静かに深く眠りについている。脱力感が全てに勝っていた。

 リバティーが感じている不安の先の先。それはあまりにも感覚的で本能的で、彼女にも掴めないままだった。

 だから答えることが出来ない。だが知っている。これから起こる出来事を。

 ドライは再び必要とされている。それがシルベスターがドライに課せた、永遠の宿命である。無論それは、ドライだけに課せられたものではない。ローズやオーディン、ブラニー、リバティーにも同じ事がいえる。

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