第3部 第3話 §16 鬱屈

 ドライとローズが一つの事実を知った夜、周囲は静まりかえり、誰もが眠りに就いたと思われた時間帯の出来事だった。

 イーサーは眠れないでいる。

 そんな彼の寝間着はタンクトップに、トレパンである。

 かすかなランプの明かりで照らされた空間の中、右手を上げて、開いたり握ったりしてみる。サブジェイと交えた剣の感触が忘れられないのだ。指導的な手合いだったが、剣の動きも正確で無駄がない、そして剣をぶつけられた瞬間に、ズシリと重い感触。憧れの天剣と剣を交えることが出来たのだ。それが譬え勝負ではないとしても、夢のような話である。

 思わず、ベッドの上で転がりながら、叫びそうになってしまった。

 「んが……」

 横ではグラントが寝ているのだった。

 「っと……」

 イーサーは自重する。だが、興奮で眠れそうにない。単純な発想だが、こういうときはアルコールが気付け薬になる。こそこそとベッドから抜け出し、そっと部屋を出る。

 廊下は夜中でも歩けるように、小さな明かりが灯されている。

 廊下を歩き、一階へ下りる階段に一番近い部屋の前を通り過ぎたときだった。

 「ん…………」

 部屋の中から聞こえる微かな女性の声。そこは、ドライとローズの寝室である。だとするとそれはそうであり、そう言う状況下にあるということである。

 イーサーは照れながら、そそくさと階段を下りるのだった。

 「参ったなぁ、俺年頃だぜ……」

 思わずぼやいてしまう始末である。

 リビングは右巻きになった二階からの階段を下りると、正面にある。怪談を背にした状態で、右側に廊下があり、その廊下づたいに、風呂や他の部屋がある。

 正面には、背を向けたソファーがあり、少し距離を置いて、ソファー用のテーブルがあり、その前に五〇型のプロジェクター式のテレビがある。この時代のテレビはブラウン管式ではなく、投影式や、液晶のようなものである。

 そしてそのテレビには映像が灯っており、ソファーから頭が見えている。ピンクの頭髪だ。それだけで誰なのか判る。

 〈起きてたのか……〉

 イーサーは、こそこそとすることはなかったが、なるべく触れないように視線を合わせず、キッチンに向かうのだった。リバティーも、自分の右横を通り抜けてゆくイーサーに気が付き、じろりと視線を送る。

 リバティーは、涼しさが漂うリビングで毛布を肩に掛けて羽織りながら、テレビを見ているのだ。

 深夜だがニュースをやっている、一応の本日の締めくくりだという雰囲気がする。

 ニュースの内容は、やはりイーフリート出現である、そこでは炎の魔物として扱われているが、実際は精霊である。まだ、誰が退治したのか?などは、報道されてはいなかったが、死者が出なかったというのは奇跡であると、アナウンサーがしきりに伝えているのだ。

 尤も、それはオーディンが到着直後に、鎮火に当たったからに他ならない。ただし怪我人に関しては数十人出ている模様だ。

 リバティーは、既にそれに関わった人間の事を知っている。

 キッチンの明かりが灯り、冷蔵庫が開かれる音がする。瓶同士があたるガラスの音がして、もう一度ばたん!と閉まるのだった。そして、プルタブの挽き空けられる音がする。

 「なに勝手に人ん家の冷蔵庫漁ってんのよ!」

 イーサーが、もう一度姿を現すかどうかのタイミングでだった。つんけんとした、棘のあるリバティーの声が、彼に向けられる。常識知らず、礼儀知らずなどの意味が多分に含まれているのは言うまでも無い。

 そんな彼女の手には、ロックアイスの入った水割りのグラスが握られている。

 多少呂律に切れがないことから、酔っているようだ。イーサーがリバティーが酔っていると判断出来たのは、テレビの明かりが反射して照らされたグラスと、彼女の呂律である。

 「姉御は、遠慮なく、使っていいって言ってた……」

 イーサーは、あまり関わらない方がいいと思い、視線を合わせずに、無許可ではなくマナー違反ではないという主張だけを残し、部屋に戻ろうとする。そんな彼の手にも缶ビールが握られており、そして口をしめらせつつ、歩いてゆく。

 酔っているため、リバティーのイライラはすぐに蓄積され、行動を起こさせる。

 リバティーは、毛布の隙間から手を出して、忌々しげに、ソファーのクッションをひとつかみして、振り向きながら、通り過ぎたイーサーの後頭部に投げつける。

 それは見事に命中し、イーサーは、前のめりによれて、危うく倒れ賭け、ビールをこぼしそうになってしまうのだった。

 「な!なにすんだよ!ビール零れるだろうが!」

 流石に、邪気いっぱいにクッションを投げつけられた事に腹が立ち、振り向いてリバティーに一喝したが、彼女は既に正面にむき直している。

 「ったく……」

 それでも、イーサーはそれ以上何もしない。

 元々自分が悪いことは、十分自覚しているのだ。あの夜の出来事でついてしまった印象はどうしようもないし、泥酔したあげくの行為である。最低最悪のレッテルを貼られるのは当然だ。だが、謝りもしている。後はほとぼりが冷めるのを待つしかないと、彼は思っていたのだが、思っている以上に、根深いものがある。

 リバティーとしては、そもそも、彼が自分の家に居座っていること自体が許せない。

 素面のうちは、気にくわない相手だと認識するだけに留まったが、酒気がそれを嫌悪に膨張させているのだった。

 「あんた、いつまで居座る気よ!」

 我慢して立ち去ろうとした、イーサーに追い打ちを掛けるリバティーだった。だがどれだけ悪態をついても、すっきりする事もないのだ。

 イーサーのことは確かに気に入らないが、今彼女がこうしているのには、もっと他の事に原因があるのである。

 「アニキがいいっていってんだ!」

 イーサーは、ドライに剣の指導を施してもらうまで、住み込むつもりだし、ドライはそうしろと言っている。それは彼女にも判っているのだ。何よりこの三、四日あまりに自分の周りに膨大な出来事が起こっていたため、イーサーのことに対して、ドライに反対するゆとりなどなかったのである。

 「私はやなの!アンタみたいな、野蛮人!!」

 互いに顔を合わせることはない。その場で言い合うばかりである。

 イーサーも苛立ちが募り歯を食いしばる。今にも歯ぎしりの音が聞こえてきそうだった。

 「わかったよ!」

  自棄になって出たその一言だった。

 「そうだ!出てけ!出てけ!」

 売り言葉に買い言葉。リバティーは、清々すると思ったが、清々しい訳ではない。ざまぁみろ!という、刺々しい気持ちで溢れかえっている。押し切ったことにより、一時的に優越感を感じた錯覚に陥っただけに過ぎない。

 「ちげーよ!どうやったら、許してくれんだよ!俺は絶対アニキに認めてもらいたいんだ!」

 イーサーは、キッとリバティーの後ろ姿を見つめつつ、真っ直ぐな言葉でそう言った。

 リバティーのせせら笑いが止まる。彼は退かないのだった。そこには一途な強い思いが現れている。

 「言い訳しえねょ。俺……最低なことしたもんな。彼奴等にも迷惑かけてるし……」

 イーサーは正しく自分のしてきたことを認識している。だが、どうしても無鉄砲で無計画な性分はどうしようもないらしい。

 急に形勢逆転された錯覚に陥ったリバティーは、別の苛立ちに苛まれる。

 「へ、へぇ……、何でもするんだ?言うこと聞くんだ?」

 リバティーは再び、後ろを向きソファーの背もたれに、寄りかかり、意地悪な笑みを作りながら、イーサーの瞳の奥を探る。流石にイーサーも動揺を隠せないが、有言実行といかなければ、彼の思いはつぶされることになってしまう。そこは引けないのだ。

 「お、おう」

 何でもこいと、自分に言い聞かせつつ、オドオドとした返事をする。

 「ふーん」

 リバティーは、正面にむき直しイーサーから視線を外す。

 「んじゃ、土下座して、こういうの。『私が悪ぅ御座いました!どうか許して下さいませ、お願いします!』って、しっかり床におでこつけてね……、ホラ早く……」

 リバティーは、椅子にふんぞり返ってイーサーを待つ。

 確かにそれくらいの事はしなければならないかもしれない。危うく彼女を傷つけてしまいそうになったのだ。それは剣士の風上のもおけない行為である。

 イーサーは、ふて腐れることもなく、すっとリバティーの前に立ち、彼女を一度見据えると、すっと跪き、飲みかけたビールを床において、深々と頭を下げて、床にピタリと額を着ける。

 「俺が悪かったです。どうか許して下さい。お願いします」

 リバティーは、色々意地悪な想像をしていたが、面白みもなくすんなりとしたイーサーの謝罪、しかも、決して悪びれる様子もない。一言かかるまで、静かに頭を下げたまま待っている。リバティーの笑いも止まってしまう。

 「ふん……」

  リバティーは、グラスの残った酒を、イーサーの頭の上に垂れ流す。氷で冷やされたアルコールがヒヤリと、彼の首筋にかかるが、それでもイーサーは頭を上げない。

 どうやら、彼はそうすると、自分で決め込んだようだ。最後に氷が彼の頭に当たり床に転がる。

 リバティーはますます面白くなくなってしまうが、これ以上何をしても面白くないことも認識する。もともと、面白みがある要素など、どこにもない。曲がった方向性の憂さ晴らしである。

 「頭あげたら、許さないからね」

 リバティーは、そう言いつつ、立ち上がり、キッチンに向かう。

 イーサの耳には、遠ざかる彼女の足音と、引き開けられた引き出しの音、そして冷蔵庫が開かれる音、そしてそれが完了する音だった。そして、再びリバティーが戻ってくる足音がした。かすかな視界に、彼女のスリッパを履いた足が見えるだけだった。

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