第3部 第3話 §最終 ソファでの一夜

 次にイーサーが感じたのは、タオルが頭にかけられる感触だった。

 「ばっかじゃないの?」

 そうさせたのはリバティーだが、あまりに真面目な反応に白けたと言いたげだった。そう言いつつ、タオルで濡れた彼の頭をごしごしと拭いている。

 「もういいよ」

 リバティーはため息がちにそう言って、タオルの上から、彼の両頬を挟み、その頭を上げさせるのだった。

 タオルで視界がふさがれている。前が見えない。

 イーサーが顔を上げ、タオルが落ちると、酔いで少々瞼が重くなった感じのリバティーの顔が目に入る。相変わらず毛布にくるまった状態でいる。

 普段静電気を帯びたように、ツンツンと立っているイーサーの頭髪が、水分の重みで、だらしなく寄れている。

 本当もう良いのだろうか?と、疑心暗鬼になって、リバティーを見つめている。

 リバティーは、今度は床に落ちたタオルで、スリッパを履いた足で、軽く床を叩く。フローリングにお酒をこぼしたのを横着に拭いているのである。毛布の先から、軽く脛の当たりまで見えるが、拭き終わると、毛布をかけ直す。

 それから、ビールのプルタブを引きあけて、ごくりと一口飲んで、イーサーに突き出す。

 「ん……」

 それは、あからさまに飲めと言っているのが判る。

 「あ……ああ」

 何をどうして、どういう風の吹きまわして、彼女のつんけんとした空気が、無くなったのか判らないイーサーだった。戸惑って缶ビールを手に取り、一口飲むと、リバティーは床に置いてある、イーサーの缶ビールを手に取り、ごくりと飲んで、再び背もたれに身体をなじませる。

 「眠れないの?」

 そう聞いたのはリバティーだった。やはりまだ、敬遠するような冷たさのある言葉遣いだったが、多少は関心を示してくれているようだった。

 言葉に邪気が含まれていない。微妙な空気の流れだが、その流れは、イーサーに反発心を持たせることはなかった。

 「ん……んん、そうなんだけど」

 イーサーは、サブジェイとの事に浮かれていたが、今はリバティーのやり取りのために、すっかり気分の高揚感を無くしてしまった。

 「何でも言うこと聞くっていったよね?」

 不連続な会話だ。イーサーは彼女が読めなくなってしまう、酔っているから何を言い出すか判らない不安がある。だが、確かに彼女がそう聞いたときに、イーサーは頷いてしまった。

 「じゃ、ここ」

 リバティーは自分の正面の床を指さす。

 「座るの」

 「?」

 「いいから、テレビに向いて座るの!」

 またイライラし出すリバティーだった。

 イーサーは、更に無茶な要求が彼女の口から出る前に、テレビの方向を向いて、リバティーの真正面で、床の上に座る。

 リバティーは、イーサーが座ると同時に、彼に肩に両足をかけて、毛布をばさりと彼に被せる。

 予想以上に大きな毛布だ。

 「…………」

 心境が分からない。嫌っている自分にする行為ではないのが、明らかである。だが、すぐ側に彼女の体温がある。毛布の中は彼女の温もりがある。かかっている両足は間違いなく素足だった。

 イーサーの頭は毛布の中からヒョッコリと出ている。

 「実は、私も眠れないんだ……」

 リバティーの声のトーンは急にションボリとしたものになってしまうのだった。

 しかし眠れない理由はイーサーと随分違うようだ。

 イーサーは、リバティーを肩車するような感じになっている。少し窮屈だがビールを二一口飲む。彼女の体温に心臓が落ち着かない。

 イーサーは、眠れない理由を彼女に潰されてしまった。だが、今度は別の意味で眠れなくなりそうだ。風呂上がりの香りが、ほんのりと鼻をかすめるのだ。

 「ふ、ふ~ん……」

 ぎこちなく無関心を装うイーサーだが、耳元にある両足が気になる。

 「ふん。許すんじゃなかった!」

 イーサーが聞く体勢を取ってくれない。ほしい一言が出ない状況にリバティーが、彼の肩から足を外し、立ち上がろうとする。

 「ま!まてよ!聞いてやる……じゃなくて、聞かせてくれよ!」

 立ち上がったリバティーに振り返ったイーサーの頭は毛布の中だった。

 「……」

 次にリバティーが座り、彼女の毛布の中から、頭を出したイーサーはゆでだこのようになっている。

 イーサーは思う。蛙の子は蛙だと。

 「どうしたのよ……」

 完全に心臓が破裂しかかっているイーサーの首に、リバティーはそっと絡み。耳元で囁く。

 イーサーが見たものは、正確な情景ではない。ただ、かろうじて開いていた毛布の隙間から差し込むテレビの光が映し出した陰影は、まさに彼女そのものだったのだ。

 「お前……、ひょっとして……?その……マジで?」

 リバティーは、もう一度毛布で、イーサーをくるむのだった。

 次にイーサーが、顔を出したときは完全に、リバティーの方向を向いている。もう放心状態になっている。それを見てクスクスと笑うリバティーだった。

 「この毛布特注よ、ママのお気に入りなの、キングサイズより大きいのよ」

 酔っている彼女の表情の変化はあまりない、酒気で目がとろけるようになっている。考えも読みづらい。

 イーサーは、見えない状況で、リバティーの腰に手を回し、ゆっくりと彼女をソファーに横たわらせながら、その上に乗る。

 リバティーは、リラックスした状態で身体の力を抜き、それを許している。それどころか、イーサーの背中に手を回し、より互いの距離を近づけるのだった。

 「ね……眠れねぇならさ……眠れるように……してやろうか?」

 イーサーは、顔を真っ赤にしながら、しどろもどろになりつつ、期待と願望を込めて、リバティーの様子を探る。

 「酷かったら、承知しないんだから……」

 リバティーは目を閉じて待つ。

 イーサーの行動は、明らかに彼女が誘って作ったシチュエーションだ。無論彼がリビングに現れること自体は予想外だった。

 理解できなくなることが多くなる中、明確になってゆくことは、全て不安に繋がってゆく。

 それは、ただ知ればよいだけではない。その中に自分の居場所が無くてはいけないのだ。

 だが、今彼女がいて良いはずの場所は、流れの速い水流が流れ込んだように、不安定になり、気を抜くと足下を掬われ、自分だけが流されていそうに思えてならなかった。


 今はそれら全てを忘れ去ってしまいたい。


 気が付くとイーサーに抱きしめられ、唇と唇が撫で合う暖かみを感じ、背を抱かれ、リバティーの手は彼の頭部を引き寄せていた。

 時折互いに息苦しく感じては、吐息を吐き、また唇を重ねる。

 キスと同時にイーサーの両手がリバティーの胸元でざわめき始め、リバティーは答えるように息を吐いた。

 不思議なものだった。全く他人の空気を読むとは思えないイーサーが、まるでタイミングを知っているかのように、自分の期待に応え始める。キスのタイミング、触れるタイミング。

 特に技術に優れているわけではないし、むしろぎこちなさがある、だが、乱暴な所は一つもない。

 そこで一度行為がとぎれ、イーサーは、タンクトップを脱ぎ、更に体温を求め始めるのだった。

 リバティーは、手の届く範囲で彼のズボンを下げ、あとは、足で強引に引き下ろし、イーサーにさらなる自由を与えた。

 「お嬢……」

 イーサーは、不意に彼女の事を、自然にそう呼び、彼女との境界線を越えるのだった。

 イーサーのその声以上の記憶は、リバティーには残っていない。熱く籠もる赤熱が身体の内側から彼女を焦がし、風に焚きつけられたように、更に熱を上げ白熱に達する。

 そして次の瞬間、まるで揮発性の液体に火を投げ込まれたように、身体を燃やし尽くすのだった。

 その直後から、記憶が徐々に戻り始める。少し落ち着いたイーサーは、先ほどとは打って変わって、ゆっくりと自分を求めている。

 体中のエネルギーを解放したリバティーの四肢は脱力感に見舞われ、ぐったりとしていた。

 「お嬢?」

 一つの流れを終え、虚脱状態になっているリバティーの変化が心配になった、イーサーが、リバティーの顔を覗き込むのだった。

 「ん……大丈夫……君は?」

 イーサーの行為は、一時的だが、彼女の不安も燃やし尽くした。冷静になれば、再び苛まれるだろう。だが、その効力は十分だった。

 イーサーは何も答えない。だが、まだ抱いていたいことを、行動で示すのだった。

 余韻に浸っているリバティーは、未だ彼がゆったりと自分を抱き続けていることから、二人の時間に未練があることを理解する。

 暫くすると、キスの回数が増え、やがては精神的にそれに耐えられくなり、もう一度リバティーを熱に悩ませ、自分の熱を彼女に迸らせた。

 イーサーは、息を吐くと同時に、身体をリバティーに預ける。

 彼の呼吸は暫く早かった。酸素を取り入れるための肺と横隔膜の運動がリバティーに伝わる。

 逆にリバティーの呼吸は、ゆったりと深い、熱しすぎた身体の熱を調整するかのようだった。そのうちイーサーの呼吸も落ち着きを見せ始める。

 彼の与えてくれた、その間の余韻は何ともいえない。


 それでも、精神の静寂と平静はやがて訪れ、リバティは胸の内を打ち明ける。 


 それは、自分の両親が、手の届かない場所へ行ってしまうのではないかという不安。

 サブジェイを兄として、冷静認識しながら、全く感情が沸かなかった事への戸惑い。

 状況が激しく移り変わり、何か恐ろしいことが起こりそうな予感で、心が押し潰されそうになり、眠れずにいたこと等。

 そして、どれに対してまず気持ちの整理を付けて行けば良いの解らず眠れなくなった事。


 「私……怖いよ……」

 「大丈夫だよ。きっと……。俺…………、何となくそう思うんだ。だから……お嬢も、そう思おうよ。うん。きっとなんとかなる」

 イーサーは、根拠のない説得をリバティーにしつつ、再びキスをする。

 イーサーのキスは、今現実的に彼女が理解できる唯一のものだった。こうしている間は、不安が消えてくれる。リバティーは、もう一度一時の夢を強請るのだった。

 二人はやがて、充実感の中疲れ果て、眠りに就く。そして、そのままいだき合い、朝を迎えるのだった。

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