第1部 第4話 §5  氷結の少女 Ⅱ

 「オーディン!てめぇ俺を殺す気か!」


 ドライはオーディンと、シンプソン、ローズの固まっている位地にまで戻る。


 「済まぬ、しかし彼は殺したくない、解るだろう?」


 「アホか!テメェは!!隙が無くなっちまったじゃねぇか!!」


 ドライの言葉は的中した。バートから放たれる大気の刃は、溜を必要としないのか、連続的に彼等を襲う。ドライも防御に徹することになってしまう。二人の後ろには、ローズとシンプソンが居る。彼等を守るためにも、二人は動けなくなってしまった。


 「クリスタルウォール!!」


 シンプソンは、今頃のように、この事態を把握し、両手を全面に突き出し、呪文を唱える。ドライ、オーディンの前に、ガラスのような結晶状の固まりの板が出現する。これで前方の防御は完全だ。それと同時に、この位地からの直接攻撃も不可能となってしまう。二人は構えを解き、少しリラックスする。


 「でもよぉ、このままじゃ、また悪魔とか出して来るんじゃねぇのか?」


 「しかし……」


 オーディンが言いたいことは、皆理解していた。彼には何の罪もないのだ。だからといってこのまま指をくわえている訳にもいかない。


 その時だ。周囲の風景が、歪みはじめ、壁であった四面が、湿地帯の風景になる。上に見えていた町並みも、唯の突き抜けた青空になってしまう。それどころか遠くを見ると、樹木さえ確認できる。ただし足下から一定距離、地下室の床面積と思われる部分は、元あった石畳の床だ。大司教の魔力なのか?バートは唸っているだけで、何か呪文を仕掛けてきた様子もない。


 「今度は一体何?」とローズ。


 オーディンは、この摩訶不思議な現象に着いて行けない様子で、少し冷や汗を流す。


 「おそらく、限定空間における置換でしょう。この世界はおそらく現実です。皆さん気を付けて!」


 最もらしく言い放ったシンプソンだったが、こんな状況に出くわしたのは、皆生まれて初めてだ。言葉だけでは理解できない。だが一人だけ彼の言っていることを理解した男がいた。


 「なるほど」


 それはドライだった。


 「ドライ!貴公は解るのか!」

 「まさか?!ドライが?」


 これを疑ったのは、オーディンとローズだった。知的さの似合わない男が、真っ先に理解したのだ。当然と言えば、当然である。


 「ウルセェぞ!要するにだ!俺等のいた場所は、そっくりそのまま、どこかに移されたって訳だ。それが証拠に、ほれ見ろ!あそこ」


 ドライが2、3メートル離れた地面を指さす。そこには大型のトカゲの亜人種、つまりリザードマンが、沼の中から顔を覗かせている。そして、ドライ達を見つけると、獲物を捕る野獣のめつきに変わり、こちらの方にやってきたのである。それが一匹どころではない、いつの間にか四方を、ぐるりと囲まれている。


 「と言うことは、此処は?まさか……」


 「おうよ!いわゆる。超獣界って奴、クス……」


 オーディンは、環境の激変で唾を飲むが、ドライは、眼の色を変え、口元で一度笑って見せた。


 「皆さん!此処からの脱出を試みてみます!ですから、石畳より外へ出ないで下さい!」


 シンプソンは、イヤに気合いが入っている。怖じ気付いた気配はなさそうだ。


 「ねぇドライ!背中のファスナーおろしてよ!」

 シンプソンが意気込んでいる後ろで、ローズが、着なれない服を、賢明に脱ごうとして、一人あたふたしている。


 「ん?何だよ。こんな時に身体が夜泣きか?」


 彼もこの様なときに、ローズの首もとに抱きつき、首筋辺りを、唇で撫でる。


 「馬鹿!トンチキ!そうじゃなくて、動きづらいのよ!」


 横から覗いているドライの耳を、遠慮なく引っ張る。


 「イテテ!……んだよ。そんなことか」


 何故かドライは残念そうに、彼女の言うがまま、背中のファスナーをおろす。


 「って、まさかローズ、貴方その下は!」


 シンプソンが、横から口を挟む間に、彼女はさっさと服を脱ぎ捨ててしまう。そこから出てきたのは、下着姿のローズだ。剣を勇ましく振り回し、準備運動をしてみせる。


 「いっくわよぉ!!、サウザンドレイ!!……あれ?」


 ローズは呪文を唱えたのだが、状況に少しの変化もなかった。


 「ローズ!此処は超獣界だ!空間の安定条件上、古代魔法にはロックがかかる!オメェの得意分野は、全部無効だ!」


 この疑問に、ドライはあっさりと答えを返す。最近の彼は、頭の調子もいいようだ。だがそれだけではなかった。先ほどと言い、旅立つときの彼と言い、明らかに何かが違うのだ。


 「え?そうなんだ!!」


 と、言いつつも、彼女は襲ってくるリザードマンと、剣のみで戦う。相手が人間ではないだけに、一撃に入れる必要な力や、向こう側の反射速度も違う。気を抜いて戦う事が出来ない。


 「ええい!それにしてもおびただしい数だ!武器も所持している!しかし何故バートは襲われんのだ!」


 オーディンは、自分の技を百パーセント、使い切ることが出来る。だが数が多い。一撃一撃に奥義を使っていては、ばててしまう。だから、剣に付与する魔力も、一つ一つの動作も、パッとしない。しかしほぼ一撃で相手を斬り殺している。


 「それは簡単です!大司教にバートが操られているとすれば、彼を中継して、リザードマンも、操る事も可能!そういうことです!」


 シンプソンは、どうもローズの下着姿が、眼にちらついて、呪文に集中できないようである。顔を真っ赤にしながら解説を入れる。


 ドライは、持ち前の強力(ごうりき)で、リザードマンの攻撃を強引にねじ伏せると同時に、そのまま叩き殺してしまう。どれもこれも、一刀両断である。見ていると、人間の戦いではないようだ。野獣が野獣を喰らうと言った光景にも見える。それほど凄まじいモノがあった。


 「イー・リー・ハン・トゥ・ティア・バサラ・ディムターナ!!」


 シンプソンが呪文を完成する。しかし、周囲に変化はない。シンプソンの周りには、静まり返った空気しかない。


 「ダメです!大司教の魔力の干渉が大きすぎてで、移動できません!!」


 「てことは!あれだな!方法はやっぱひとっつだな!!」


 ドライは、そういうと、目標をバート一人に絞る。それに気が付いたリザードマン達は、ドライの前に、立ちはだかる。だがかまわずそれに突っ込んで行く。立ちはだかるモノは、全て殺すのみ、である。


 「止すんだ!ドライ!彼には、何の罪もないんだぞ!!」


 「ウルセェ!!」


 彼はオーディンの制止を全く聞こうとはしなかった。獣ののように、返り血を浴びながら、一気にバートへと突進する。そしてその瞬間だった。ドライの腕に、生きている人間の肉を貫く感触が伝わる。剛刀ブラッドシャウトの先端が、彼の腹部を貫いた。先端と言ってもかなりの太さの両刃刀だ、傷は深い。確実に彼を貫き、剣を引いた瞬間、ドライの衣服に、バートの血が飛び散る。


 「あ……、私」


 血みどろになったドライの顔を見ながら、バートが一言漏らす。蚊の泣くような小さな声だった。眼に普段の彼の輝きが戻る。貫かれたショックで自我を取り戻したのだろう。彼は力無く跪き、反射的に口元を押さえ、多量の血を吐き出す。それを見た彼は、未だ何が起こったのかは、理解していない様子だ。


 「メガネ君!今だぜ!!!」


 「解りました!イー・リー・ハン・トゥ・ティア・バサラ・ディムターナ!!」


 再び空間が激しく歪み、辺りの湿地帯が消え、今度は草原となった。様子を見ると、少し向こうに見た町並みがある。間違いなくリコの街だ。転移の場所がかなりずれたらしい。それほどこの呪文は正確な位地に、移動できないと言うことだ。


 「許せよな、これしかなかったんだ」


 ドライが、バートの身体を支えながら、口先だけの謝罪をする。


 「私、操られて……いたん……ですね」


 バートは、漸く自分がどういう状況に置かれていたのか、気が付いたらしく。息を乱しながら、彼を囲む人間の顔を伺う。一番良く目に入ったのは、上から覗き込むドライの顔だった。


 「ああ、一応、急所は外しておいたぜ、メガネ君、頼むわ」


 「わ、解りました」


 あの状況に置いて、まさか彼が急所を外しているとは思ってもみなかった。それに気が付くと、シンプソンは、早速治療に当たる。その時だった。


 バートは、何を感じたのか、シンプソンをはね除け、蹌踉けながら、立ち上がり、皆を庇うようにして、見えない何かに、立ちふさがった。


 「みんな伏せて!」


 その刹那だった。ドン!と言う轟音と共に、辺りが真っ白になる。皆、反射的に耳を塞ぐ。暫く耳がキーンと、後を立てる。暫く轟音がやむと、そこには、集中的に焼けた草原と、目の前には、手の施しようもないほど、傷ついたバートが、先ほどと同じように、彼等の前に立っていた。彼は再度力無くその場に座り込む。


 「大司教が……、狙っていました。あなた達を……」


 と、ニコリと笑い。ドライの顔を見る。


 「馬鹿か!あんくらいなら、俺のブラッドシャウトで、跳ね返せたんだぜ!」


 ドライは、バートの言葉に、いきがり、強がっては見たモノの、あのタイミングではまず間に合わなかったことは解っていた。だが、無惨な姿になった彼を見ると、強がらずには、いられなかった。


 バートは、残りの時間を惜しむように、乱れる息を賢明に整えようとしながら、再び話し始める。


 「皆さんの御武運を祈ります。それから、氷漬けの少女を……どうか……お救い下さい。シンプソンさんの魔法で、可能な……はず……です」


 彼は、最後にもう一度ニコリと笑い、首をガクリと項垂れる。それを見届けたドライが、バートの遺体をそこに寝かせる。と、いつもとは少し違ったやるせない様子で、膝を重くして、立ち上がる。


 「ちっ!せっかく急所外してやったのに……、お節介野郎が」


 声は静かだった。だが、苛立ちが目立っていた。この言葉は、命の恩人に対して、侮蔑に値するモノだったが、誰もそれを責める気には、なれなかった。ドライはそれっきり、皆に背を向け、口をきかなくなってしまった。オーディンが肩に手を掛けると、無造作にそれを払いのけた。


 バートの死体は、静かなその草原に埋められた。シンプソンが、弔いの祈りを捧げ終わる頃には、もう日が暮れようとしていた。雲行きが早い。次第に空も雲が重なり、雨が降り出してきた。その空は、やり切れない様子と思うように表現できないドライの心中を表すようだった。彼は思った。マリーが死んだと知ったときも、この様な心境だったと。いや、これよりもっと心に衝撃が走ったように思う。それが悲しみだったという感情だろう。今はそれが解る。


 マリーが死んだ。心に収まりが付かなかった。それが何故だか解らなかった。やがてローズと出会い、それが満たされる。しかし彼は、それでも心に空白を感じていた。それが今解る。


 ドライが、漸く口を開く。


 「ローズ、風邪ひくぜ」


 何気なくボソリと言ったドライの台詞だった。彼は、そのまま、街の方に向かい、歩いて行く。冬の雨が徐々に、身体に痛さを覚えさせて行く。だが、その雨は同時に、ドライの蟠りを洗い流して行く。


 「あ、うん」


 ローズは服装を整え、ドライの後をついて行く。


 オーディンとシンプソンは、氷漬けの少女を、氷の中から救出し、二人の後を追うように、街にある宿屋へと戻るのだった。

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