第3部 第3話 §13 風呂場にて Ⅰ
イーサーがサブジェイに扱かれようとしていた頃、ドライはブラニーに背中を流してもらっていた。まさか彼女と裸の付き合いをするとは思ってもいなかった。不慣れでもあるし、どことなく気恥ずかしい。恋愛感情がないため、ドライとしては接しにくい相手でもある。ニーネのように直接的に自分に興味を持っている相手なら、話は別だ。
「ねぇ……流してくれない?」
ドライの背中を流し終えたブラニーが、少しツンとした声で、同じ行為を彼に要求する。
サヴァラスティア家の浴室は二人で入るには広すぎる。だが、現実として二人しかそこにいない。ドライとローズが求めた贅沢な空間の一つである。
それだけに、逃げる場所があっても隠れられないこの場所に、二人だということに、妙な気まずさを覚え始めている。
それでも、ドライは座っていた腰掛けを立ち、ブラニーを通すと彼女は何も隠さず、ドライの前を通り、静かにそこに腰掛ける。
こうして黙っていると、ブラニーはいい女だ。知的な瞳の色を持っているし、細くしなやかな肢体。タオルでまとめ上げられた黒髪の項が色っぽい。そして惜しげもなく白く美しい繊細な素肌をさらして堂々としている。口を開けば刺々しい普段とは違う雰囲気がある。
「どうしたのかしら?」
「あぁ……」
ドライは、気後れしながら、洗面器で汲まれた熱すぎない湯で、彼女の背を流し始め、普段ローズが愛用しているボディー用のスポンジとソープで、ゆっくりとその背中を洗う。
「貴方みたいな、乱暴な男でも、女の肌を優しく洗えるのね……」
突っかかるようなブラニーの言いまわしにも、ドライは反応せずに、ただ傷つけないように彼女の背中を流す。ブラニーにもそれがあまり感情的でない行動だということは判っている。
まぁ当然だといえば当然だ。互いに恋愛感情はないのだ。そして人間としての距離も、近いとはいえない。互いが敬遠しなくなった分だけ、近づいたとは、いえるだろうか。
だが、それよりもう少し内側に入り込んだのは、ブラニーの方が先のようだ。
ドライは、人をからかったり楽しんだりする面では、茶化した言いまわしの出来る男だが、肝心な部分では、言葉で伝えることの出来ない人間である。そしてこれはブラニーとの共通点である。
サブジェイとの接し方もそうで、言葉で語るより身体でぶつかる不器用なやり方しか出来ない。
ドライは最後にブラニーの背中を流す。
ブラニーはそれを察すると、すっと立ち上がり、湯船に足をつけながら、軽く右手を揉みほぐす。それを少し続けながら、ゆったりと湯船に身を沈める。
表情は変わらないが気にしているようだ。
「なんでぇ……どうかしたのかよ」
こういうのには敏感な男である。普段と違う様子には、すぐ気を配れるのだ。周囲への洞察力観察力は、染みついたドライの性である。
「気にしないで……」
ほっと一息をつき、広い浴槽の一面にもたれかかり、心地よい湯の温もりをじっくりと感じている。
ブラニーはそれでも右手を揉んでいる。
「いえよ……」
ドライも湯船につかり、ブラニーの右手を取り、湯の中で丹念に揉み始める。
「シヴァに食われただけよ」
ドライはそれでピンと来る。恐らくそれは尤も適切な攻撃方法だったのだろうが、ブラニーは本来召喚師ではない。特にスペルレスでの攻撃魔法を得意とする彼女が同じ手段で召還を行うということは、召還された者に相当な支配力を持って、従わせなければならない。
強引な力業の代償だろう。
「良い気持ち……」
ブラニーは、ドライのマッサージが気に入ったらしい。表情がホッとしている。
「んだよ……お前の手……あったまらねぇじゃねぇか」
湯船に入ったブラニーの身体は、少し冷たいままだ。温かい湯に包まれていると、なおそれが強調されてしまうのだ。
「イーフリートくれぇ、一撃でつぶせるだろう?」
「バカいわないで。ボウヤとお嬢さんに怪我をさせろというの?それに、シヴァ以外では原子の運動を停止ををさせるまでに、時間がかかるわ」
ブラニーは、イーフリートの活動の源である炎の力を消滅させるために、その力を使ったのである。
「あのバカ下手打ったのか?」
「いいえ……、イーフリートの側には、エネルギー供給のための、見えない魔法陣が存在していたのよ。あの子達の手は、イーフリートの結界を崩すために、塞がっていたし、オーディンが作り出す冷却魔法では、イーフリートを倒すまでに、時間がかかるだろうし……尤もシルベスターの力を使えば、周囲は甚大な被害を受けていたでしょうけどね……」
ブラニーは、自分の判断は冷静だったし、間違っていなかったと主張すると同時に、サブジェイ達の行動も決して間違っていいなかった事を説明する。
「ふ~ん……ほら……暖まったぜ」
ドライはブラニーの手を放す。
「精霊の力は偉大だわ……、私も少々自惚れていたようね。それに少々書物ばかり読み過ぎたかもしれないわ」
ブラニーは、すっと背中をドライに向ける。
ドライはブラニーが何を言いたいのか、渋々だが理解せずにいられない。サブジェイ達だけでは、どうにもならなかっただろうし、オーディンも完全にシルベスターの力を使いこなしているわけではないようだ。彼女が現れなければ、事態の収拾は遅れており、間違いなく被害は拡大していただろう。
「わぁかったよ……、メンテしてやるよ……隅々まで……」
もう好きなように指示してくれと、諦め気味にため息をつきながらも、背中を向けたブラニーの肩をゆっくりと揉み始める。十分に暖まったドライの手がブラニーの肌に触れる。
やはり湯船に浸かっていても、ブラニーの肌が温まっている様子はない。酷い症状ではないが、可成り根深いようだ。
「無茶しすぎなんだよ……バーカ」
魔法の副作用であれば、それはシンプソンやシードの分野である。その方が遙かに効率的だ。
「少しは、ローズ=ヴェルヴェットの気持ちが判るんじゃないかしら?そういう手合いを相手にしてると……」
これは、サブジェイ達との時間の溝を作ってしまったドライへの当てつけである。そしてそれはリバティーにも与えてしまったことでもある。
「ちげぇねぇや……」
文句の付けどこもない科白だった。だが、腹が立つこともない。毒舌気味なブラニーだが。これは愛される憎まれ口である。
ブラニーは、背中越しにドライへと身体を寄せつつ、肩を揉んでいたドライの右手を取り、自分の視界に入る位置へと引き込む。彼の左手は自然にブラニーの腰に回る。冷えた身体にドライの体温がしみこむのだった。
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