第3部 第3話 §11
頭を撫でられているリバティーは、放心状態だ。サブジェイがどれだけ名の知れた男なのかは理解していないが、先日テレビに映っていたことは確かで、後ろに立っているレイオニーのボディーガードをしている男である。
そしてイーサー達が天剣と呼んでいた人物である。
「なに、間抜けな顔しながら、浸ってんだよ」
サブジェイの顔は、ローズのキスだらけである。
「人のこといえた面かよ……」
サブジェイは笑いながら睨む。
初めはどれだけ怒りをぶちまけてやろうとかと思っていた。そして同時にいつまでも姿を現そうとしないドライを殴り倒してやろうとも思っていた。農園の入り口を通ってからここに来るまでは、作られた状況にイライラしていたが、平和そうに暮らしているドライを見てしまうと、そんな気持ちは簡単に静まってしまう。
何を考えているのか理解できないような表情はしていない。すっきりとした顔をしている。
その時、バイクから降りていたエイルが膝を崩し、その場に座り込む。
「エイル!」
すぐにグラントが彼に肩を貸そうとする。
「大丈夫……少し疲れただけだ」
「ん……だよ。どうしたんだ?」
先ほどまで、天剣のことで騒いでいたイーサーも彼より、エイルの様子が気に張り始めた。エイルの服はイーフリートの炎により少々焼けこげ、側によるとその臭いが解る。
漸くサヴァラスティア家が一つにまとまりかけた時だったが、空気の流れが変わる。
「どうやらオーディンと一緒にイーフリートとやり合おうとしたらしいんだ」
サブジェイがドライの目を見ながら、エイルが何故力尽きているのかの説明をする。
「ああ……そう言えば、ブラニーがそんなこといっていたわ。イーフリートが現れたとか……そんなこと……」
ローズは左手の人差し指で下唇の下を撫でながら、そのことを思い出すのだった。
「は?」
サブジェイには寝耳に水である。ブラニーがここに来ていることなど全く知らない。それに彼女は確かに帰るという表現を使った。その表現は基本的にホーリーシティを指すはずであったのだ。
「エイル……」
ミールが心配そうな顔をする。
「いいって!やめろ!イーサー!」
「バーカ!よれてんだろ!活きがんなって!」
イーサーは、良くも悪くも他人の迷惑を考えない部分がある。エイルをひょいと担ぎ、脳天気にカラカラと笑いながら、家の中に運んでゆく。
だが、やはりイーサーの人のことを考えない部分が出ている。本当に肩に担がれているのである。それは荷物のような運び方だ。エイルは真っ赤な顔をして、思ったより元気そうにしてる。イーサーの背中を叩いて暴れてみるが、イーサーは全く堪えるようすはない。
「ま、まってよぉ!」
少し間をおいてから、ミールが走り出す。イーサー達に追いつくと、ふて腐れて黙ったエイルを心配げに見つめている。
「しゃーねぇな……今日はこんくらいにしとくか……」
ドライが畑仕事の切り上げを全員に伝え、ローズとリバティーの肩を抱いて歩いてゆく。
「あ……あの……」
口べたなグラントが、サブジェイの横に並び、遠慮がちに声をかける。
「ん?」
「イーサーは……アイツは……すごい貴方に憧れてるんですよ。お、俺も貴方に憧れて……」
「抜け駆けぇ!私のことも、忘れてない?」
フィアが小走りにグラントの横に並び、グラントを押しのけてサブジェイの横に並びつつ、忠告めいたそれでいて、全く怒っていない睨みをグラントに効かせる。
困ったグラントは、面目なさそうに後頭部を軽く掻く。
天剣と呼ばれたり、尊敬されることに対してサブジェイはあまりいいように思っていないようだ。一つため息を入れて、何を言おうか考えてしまう。
今の彼では少なくとも、この世で絶対勝てない人間が二人いる。オーディンとドライである。
ウォーミングアップにもならないような人間達を負かして得た、数々の名誉など、サブジェイにとって無意味なのである。
その世界には彼の望んだ強者は、存在しなかったのだ。
そして、教えることに長けた師を知っている。それを知って人を指導しようなどという考えは、あまりに烏滸がましい。気軽にそう口を開く気にもなれないのだ。
「サブジェイ!?」
レイオニーが無愛想になっているサブジェイに対して、忠告を入れる。
「ああ……、そうだな……俺で良ければ、手合わせするよ。でも今日は勘弁な。オヤジ達に話さなきゃ行けないことがあるし……」
ローズに翻弄されていた時のサブジェイは、昔のままのような気がしたが、彼は大人になっていた。それは良くもあり悪くもあり……である。きっと沢山の経験を積んできたのだろう。
社交辞令ではないが、それは時間があればという意味であるが、彼等は大いに期待している。グラントが珍しくはしゃいで、フィアとハイタッチをするのだった。
デッキに上がり、玄関をくぐり家の中にはいると、そこはリビングになっている。広いリビングだ。大きなテレビの前に長テーブルがある。テーブルの短い辺の一方がテレビに向いている。
室内にあがったサブジェイがまず目にしたのは、すました顔をして、読書をしているブラニーだった。
これを見た瞬間、サブジェイは遣り切れなくなり、思わず膝を崩して、そこに座り込んでしまう。
「なんで……ここに居るんすか?ブラニーさん……」
レイオニーも驚いた顔をしていたが、サブジェイほどのリアクションはない。
「あら……坊や達遅かったわね……」
淡々としているブラニーは、本の文章から視線を外すこともなかった。まるで、当たり前のようにくつろいでいるのだ。テレビ正面から少し離れたソファーにくつろいでいたら、微妙にサブジェイの反応も変わっていたのかもしれない。はらりとページをめくる音がする。
都合良く現れた理由がそれで判るサブジェイだった。
「で?いつ頃からオヤジ達の居場所を?」
どうにか精神的に立ち直ったサブジェイが、再び立ち上がり膝ついた誇りを払いながら、ここを知った日時をブラニーに尋ねた。
「4時間ほどくらい前かしら?」
ブラニーは平然とした顔をしていて、本から目を離すつもりはないらしい。
だが……。
「ほら、あなた……、手を抜くとせっかくのイーフリートが消えてしまうわよ」
と、ソファー左横にある、壁の隅に置かれた、イーフリートの種火を、指さすのだった。
イーフリートの残した炎は、結界に包まれており、通常の空間から遮断されていて、不意に散ってしまわないようになっている。ブラニーの心遣いらしい。
フィアは、慌ててその近くに座り込み両手を結界に翳すのだった。
「さて……風呂にするか……」
ばたばたしかけた空気が治まると、ドライが何気に自分の行動を口にする。
「流しましょうか?」
またもやブラニーである。
目が点になったのは、ドライ、サブジェイ、レイオニー、ローズでの四人である。
あのブラニーが、ドライに声を掛けたのである、しかも裸の付き合いだ。それ以前にブラニーは女性である。互いに契り交わした相手もいる。ドライやローズの倫理観から見れば、それは驚きに含まれないが、あのブラニーが言い出したのである。
四人は解答を求めながら、互いの顔を見回してみる。
「流してもらえば?その間、ご飯作るし……」
ブラニーに何かしらの心境の変化があったことはいうまでもない。リバティーが生まれたときに、ローズとの距離感を縮め、サブジェイ達と居ることで彼等との距離感を縮めたブラニー。何か思うところがあるのだろうと、ローズはそう思った。
「イヤならよくてよ……」
ブラニーは興味がなさそうに本ばかりを見ているが、実はそうではないのだということを、レイオニーは悟り、少しおかしくなって、クスクスと笑う。態と自分が無関心であるという様子を見せつけているのだ。
ローズが、顎で、早く風呂に行けとドライに指示する。
「ん……いや。頼む…………かな」
「そう……仕方がないわね……」
ブラニーは本を閉じる。
調子が狂わされそうなドライが、少し落ち着きなく後頭部を掻きながら、キョロキョロとしながら、テレビを正面にして、ソファーの右奥にある廊下を歩いてゆき、その後をブラニーがついて行く。
その直後、リバティーがローズの横に小走りに駆け寄る。
「ママ、いいの?!」
ドライとローズが、一般の倫理観からかけ離れていることは彼女も知っている。特にローズが、オーディンやシンプソンに包容やキスをも積極的にする分には、性分だと思えるが、流石に大人の異性がその空間を共有し合うということには、驚きを隠せない。
「あ。グラント!ドライのバイクから、買い物取ってきておいて!」
とローズは、先にグラントに、指示をする。
「まぁ、そんなに囚われる事じゃないわよ」
と続けてリバティーの疑問と不安に簡潔に堪えるローズだが、その感覚が理解できないから、訊いているのだ。
納得出来ないリバティーである。表情にそれが良く表れている。
「たまに別の恋をしないと男も女もダメになるの。判る?」
ローズはそれがリバティーに理解できるとは思っていないが、彼女の頭を撫でながら、深い経験を持った瞳で、リバティーを見つめた。それはいつもドライに恋するローズの目だった。
潤みを含んだ綺麗な目をしている幸せそうなホッとした表情とは、また違う。
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