第3部 第2話 §14
二人が街に向かう頃。
シンプソンが市長を務めるホーリーシティ。シンプソン邸では、潤いに満ちた黒髪を靡かせる、姉妹がキッチンで、あるものを調理していた。
「ヨークスの街では、随分大変なことになっているわねぇ。あの人一つも連絡を入れてくれないなんて……」
と、ヤキモキしているのはノアーである。オーブンで焼き上げられた、バターの香ばしい香りのする、きつね色のクッキーが乗せられた、トレイを持ちながら、はっとため息を吐く。
「心配なら電話入れれば?」
ブラニーは、サラリと言う。ノアーとブラニーは姉妹でありながら、対照的な面がある。ノアーは受動的であるのに対して、ブラニーは能動的なのだ。ただし二人に共通する部分は、それほど行動範囲の広い人間ではないと言うところである。ブラニーは相反するものを持ち合わせているように見えるが、彼女が調和的な人間ではないからだ。チャンネルを合わせるノアーと、チャンネルの合った人間しか興味を持たないブラニー。
「仕事中は、電話は入れないわ。あの人を集中させてあげたいから……。解ってるでしょう?」
「そうだったわね。シンプソン様は、気遣いの多い方だから……だけど……」
ブラニーは、ノアーからクッキーを取り上げ、クロスの敷かれた薹で編まれた篭に、それを適当にざっと入れ。もう一度香りを確認する。
ストレートティーに合いそうな、仄かに香る甘さがいい。
「たまにはあの女みたいに、動くことも、有りでしょうね」
「姉さんは、すぐローズと私を比較するわね」
ブラニーが他人を口にする。しかも、頻繁にである。ノアーは、一見澄ましているブラニーが、内心ではそれほどクールに行動し切れていない矛盾に、おかしさを感じ、クスリと微笑む。上品で小さく可愛らしい笑みだ。
ブラニーは、比較と同時に自分にも言い聞かせているようだった。
「まぁ。貴方が街を離れるのは、拙いわね。だから、私が行くの……解る?」
「姉さん?」
遠回しに、行かなければならない理由をこじつけて、ノアーに当てつけるブラニーに、彼女は少し忠告めいて、語尾を上げ、意地悪をいうブラニーを、笑いながらキッと睨むのだった。
「今夜は多分……戻らないから……」
と言い残し、すっと姿を消してしまうブラニーだった。
ノアーは反応が遅れて、ブラニーに威嚇射撃をすることも出来なくなってしまうのだった。
ホーリーシティー。
その街は現在、シンプソンが市長を務め、ルークが兵士団長となり、ブラニーはあまり表舞台に立たない。普段は、静かに本を読むことを楽しみにして、半ば世捨て人のように振る舞っている。世間の成り行きには、あまり関知しないでいる。
ノアーは、というと、彼女はファーストレディということになるが、あまりそれらしく表舞台に立つことはなく、シンプソンが外出しても彼女が街を離れることは、あまり無い。
それはドライ達が居なくなった穴を埋め、街を守るためである。彼女にはドラグサマナーとしての一面がある。この街は人間の兵士とは別に彼女に従順な数頭の飛竜が、街の安全を見回っている。
そして、ルークが兵士団長についたのには、訳がある。
実はあれから、ホーリーシティーは周辺の国に幾度も侵攻を受けたのだ。世界がグローバル化しつつある弊害である。内陸にあるにもかかわらず、大きく整い反映したこの街は、拠点として魅力があるのだ。
現在は北に構えるリコという街を、衛星都市に構えており、当時より更に大きな街になっている。
竜と剣士が守る街。それが現在の姿である。
ルークにとってシンプソンは、心を通わせることの出来る数少ない男である。18年前に再会を果たし、エピオニアで共に戦い、ドライ達が姿を消し、オーディンが住まいをエピオニアに移し、それからずいぶんと長いつきあいになる。
今では、二人で何も言わずに、居間でくつろぎながら、言葉無き会話を交わせる大事な時間がある。その時間を守るために、ルークは、大役を買って出たのだ。
威風堂々。
ルークは決して人を寄せ付けないが、誰もがその腕を認める男である。
当初は、その理解しがたい行動に随分と反発も生まれたが、今では鶴の一声で誰もが動く。
ドライ=サヴァラスティアという男に剣を教え、その息子にもまた剣を伝えた男。その男のオーラは、今でも顕在している。
ルークの通り名は、ガーディアン。その存在は偉大である。
姿を消したブラニーは、瞬間的にシンプソンをイメージして、そこを中心にある程度の距離を想像する。
それを中心に、周囲の景色が自分に伝わり、移動場所を指定する。
ブラニーが驚いたのは、そのイメージの中に、ドライがいたことである。しかもシンプソンをバイクの後部に乗せているではないか。
イメージが完了したと同時にブラニーは、上空に姿を移し、飛翔する。
その一は、ドライの前方の視界で、彼からよく見える場所だった。
周囲の情景と何ら関連性もなく、唐突に現れたブラニーに、ブレーキを掛けてしまう。
バイクを少しスライドさせながら、急ブレーキを掛けたため、慣性の法則でシンプソンが、進行方向に投げ出されそうになってしまう。
「とと……ブラニー……、どうしたんですか?」
慌ててバイクから降り立った、シンプソンが、着地したブラニーに駆け寄り、突然の来訪に驚きを隠せないでいる。
「いえ……ただクッキーを届けようと……」
ブラニーはシンプソンより数センチ身長が低い、視線が自然と合いやすい位置になるのだ。
だが、すぐにバイクに跨っているドライに、視線が移ってしまう。
シンプソンも、すぐにそれに気がつき、ブラニーの視界に、よりドライが移りやすいように、半身になる。
「ああ……、その偶然……なんです。ね!ドライ」
別に、やましいことなど、何もない。だが、シンプソンは、まだ誰にも連絡を入れていたわけでもない。これもまた偶然である。それを自分が説明してよいのか、少々戸惑っているのだ。
「よっ」
ドライはシンプソンの問いに答えず、真っ直ぐブラニーを見る。オーディンが自分の目の前に現れた時から、順を問わず、何れ全員に会うことになることは、解っていた。だからドライに驚きはない。そこには、為るべくして為る運命が連なっている。
軽い言葉だが、ドライからは、浮かれた雰囲気は見られない。しっかりとした空気がある。
「ふん」
ブラニーは、ツンとそっぽを向いてしまう。興味は示さないと言いたげだった。
「あ~……」
シンプソンは言葉に困って、ドライとブラニーを交互に見回す。
「ドライ……、ここからは一人で帰ります。ちょうど農場の入り口ですし、キリが良いでしょ?」
そこには、確かにサヴァラスティア農園の立て看板がある。
「ブラニー……クッキーは頂きます。会っておいでなさい」
シンプソンは、ブラニーに微笑む。そこには、先ほどの慌てた雰囲気はない。シンプソンは自分では迷うことが多いというのに、人には選択すべき方向を示してくれる。小さな事だとしても自分が犠牲になることを、厭わない。そしてそれを気にせず、真っ直ぐ見つめてくるのだ。
その深い優しさに、痺れずにはいられないときがある。
「この埋め合わせは、きっとさせて頂きますわ」
親愛の情を込めて、シンプソンの頬にキスをするブラニーだった。だがその抱擁はそれ以上に思いがこもっている。
「では、ドライ……頼みますね」
「ああ、すまねぇな。半端でよ」
ドライはシンプソンを見て静かに微笑む。だがその目は何気なく遠くを見るようにぼんやりとして思える。シンプソンの本当の微笑みは、いつもそうだ。穏やかな空気がいつも、あふれ出ている。
「あ、家はいつでも、戻れるようにしてあります。いつでも帰れますよ」
「ああ」
ドライも、シンプソンの気持ちに心が震えている。守っていきたい大事な仲間だということを、彼に深く感じさせずにはいられない。
ドライが皆の元に戻りつつあることに、シンプソンは満足感を感じ始めている。弾むように大地を一蹴りして、飛んでゆく。
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