第1部 第3話 §2  水と油

 ふとドライの背中が視界に入る。息巻いているときには、広く大きく、時には強い頼りがいのある背中だが、今は寂しさに満ちている。その背中に、先ほど、彼がノアーに投げかけた言葉を思い出す。


 あの状況でノアーを殺せるのは、自分しかいなかったということを、彼女は知る。だが、ドライはそれをさせただろうか?現実にはシンプソンに制止された。結局のところ、誰も彼女を殺せずにいた。


 正気を取り戻す雰囲気で、軽く首を軽く左右に振り、目を閉じて、口元だけでくすくすと笑い、ドライの後を歩いた。何かを口にしたかったが、何を口をしてよいか解らなくなったようでもある。


 「さぁ、我々も戻ろう。きっと御老体も心配しているだろうし……」

 少し刺々しさが取れた空気に乗じて、オーディンは、疲れ切った安堵感を感じる。すると自然にそんな言葉が出た。


 「そうですね……、さぁ、ノアー行きましょう」


 シンプソンは、さり気なく彼女の手を引く。ノアーにはその手が、本当の導きに思えた。


 夜が少し回った時間帯になると、孤児院に着く。シンプソンは、入り口付近に落ちっぱなしになっていた眼鏡を拾う。夜中なせいか、バハムートは眼鏡の存在に。気が付かなかったようだ。


 彼らが戻ってきたことに気が付いたバハムートは、少し小走りに彼らを迎える。


 「おお!シンプソン君無事であったか!おや!?」


 「何だ?!」


 「ウソ!やだ!!」


 バハムートと、ドライ、ローズが、互いを見つけると、いかにも意外と言った感じで、妙な声を出し合って、目をぱちくりする。


 「何でジジイが、こんな所に……」


 「そういう賞金稼ぎどもが、何でこの様なところに、しかもオーディン殿たちと、一緒に!」


 かなり興奮気味に、互いがあまりりよい印象出をもっていない相手を嫌うようにして、指を指しあう。バハムートとしては少しその気はあったが、ドライとしては、ただ驚いただけだった。ローズもバハムートも互いに、悪印象は抱いていない。彼女の声は、驚きの一言に尽きる。


 「あの……、子供達が起きてしまいますので、出来ればお静かに……」


 シンプソンが何とも申し訳なさそうに、二人の仲裁に入る。と、言われても全員このままでは寝ることなど、出来はしない。食堂でテーブルを囲み、いろいろな話をすることにする。


 まずは簡単に、ドライとローズがこの地方にたどり着いた経緯を話す。もっと厳密に言えば、彼らは、ローズの希望で、シンプソンの孤児院によってからさらに北の地方へと行くつもりだったのである。その偶然であの現場に出くわしたのだ。


 バハムートは、オーディンの問題、黒の教団の問題で、魔法を使って、彼らより一足先にこの地方にたどり着いたことを話す。


 「はぁん、なるほど、この仮面男の用件で……、にしても結局黒の教団か……、やだね全く……」


 「仮面……!!失敬な、私には、オーディンと言う名がある!呼ぶのなら、きちんと名前で呼んで貰いたい!」


 ドライの礼無きに、一瞬ムッとして、立ち上がりたくなったオーディンだが、五月蠅くなるといけないので、一応の説得だけでやめておいた。


 「解ったよ……」


 ドライはさも面倒臭そうに、投げ遣りに答えた。ちなみに位置的に言うと、ドライの正面がオーディンで、その左横が、シンプソン、さらにその正面、つまりドライの右横が、ローズだ。そして、彼らに挟まれるようにして、長卓の左の端にバハムートが、座っている。そして少し離れてその正面に、ノアーが座っている。ノアーとしては、少し心細い位地だ。


 「さてと、面倒クセェ話は、また明日にでもしようぜ、俺疲れちまったよ。はぁあ」


 両腕を高々と伸ばし、緊張感のない欠伸をして、さもノアーに対する問題は片づいたかのように、仕切ってしまう。それから席を立った。だがいくら何でも、切りが悪すぎる。こう言うときに神経質なのは、シンプソンや、オーディンだ。ローズはドライの性格をよく知っているので、特に言葉に出して言うことなど無い。まして彼女が注意して元の鞘に収まる人間でもない。


 「一寸待て下さい。まだ黒の教団のことについて……」


 と、シンプソンがドライを引き留めようとしたときだった。


 「うるせぇ、メガネ!俺にはもう関係ねぇんだよ!!部屋かなんかあるだろうよ。案内してくれよ」


 「メガネ……ヒドイ!!」


 今度は、シンプソンが、ドライの乱暴な発言に、一瞬硬直してしまう。少しショックだったようだ。ドライは、席から立ったまま、シンプソンを高い位地から、見下ろしている。そして、これを見て黙っていられないのが、オーディンだ。


 「なんて乱暴な男だ!もう少し周りに対する口の利き方があるだろう。これは貴公だけの問題では無いのだぞ」


 オーディンが、ドライを「貴公」と言ったのは、同じ事件に共通している重要に人物であることと、剣術家として、敬意を払ってだった。しばらくの間自分に向けられた言葉を頭の中で整理しながら、眼をパチクリとさせるドライ。


 「貴公?俺がか?こりゃおかしいや!ハハハ!!」


 ドライにとってはどんな敬意も、ただの堅苦しい形式張った言葉でしかない。ただそれがおかしかった。とりあえず座ってみる。だが、決して黒の教団の話を聞くつもりではない。


 「おい、仮面男、あんた何者だ?そういや格好も、なんかエラそうだな」


 彼の言ったエライの意味はいろいろ含まれている。威張っているだとか、金持ちだとか、高貴といった良い意味も含めて、全てだ。


 オーディンは、再び仮面男と言われたことを、腹立たしく思う。彼が素顔を気にして付けた仮面だが、改めてそれを再認識させられているように思えて、仕方がなかった。仮面男と呼ばれぬように、オーディンはムキになて、仮面を外した。彼の焼けただれた、左半分の顔面現れる。


 「これで、仮面男では無いぞ!名前で呼んで貰うか!!」


 仮面を静かにテーブルに置く動作とは反対に、口調は激しかった。完全にドライに乗せられてしまう。


 「何だ。てっきり変な顔してんのかと思えば、でかい勲章じゃねぇか……」


 オーディンとは逆に、ドライは気が抜けたように、がっかりし、本当に腰から座り込んでしまった。


 「勲……章?」


 顔の傷を、勲章と言われたことに驚いている。もちろん彼にとって、この傷は卑怯傷である。だがドライの言い方は、ヨハネスブルグの民衆のように、彼にプレッシャーを与えなかった。むしろそれであったことががっかりなようだ。このとき、ローズがドライの変わりに、謝った。


 「ご免なさいね、今度こんな事言ったら、比奴ぶっ飛ばすから、気にしないで仮面つけてて良いわよ」


 と、言いつつ手は、すでにドライの頭を一発殴っている。


 「いてて……!!」


 周りから見れば、同じ人間が、環境によって、こうも極端に性格が違ってしまうのかと思うほどの二人だ。一瞬空気が変わると同時に、ローズがもう一発、ドライを殴る。


 「痛いって!何だよオメェは!」


 すぐに牙を剥きそうなドライだが、惚れた女には、滅法弱い。口で言うだけで、少しも手を出せないでいる。何とも情けない男に見える。


 「少しは気が晴れた?まだなら……」


 ローズが構える。


 「いや……、私も大人げなかった」


 オーディンは仮面を付けるのをやめる。一寸空気が変な流れになったときに、バハムートが、重く閉じていた口を開く。


 「儂も、皆の疲れ切った状態では、話は続かぬと思う。ドライ君の言う通り、皆ゆっくり休んで、頭も冷やした方が良かろう」


 と、いかにも最もしく言う。言っている内容はドライと差ほど代わりはしない。だが。


 「まぁ御老人がそういわれるのなら……」


 と、シンプソンがあっさりと、前言撤回をする。年長者の功だろうか。


 「解った。今夜はもう遅い。明日にしよう」


 と、オーディンも疲れた顔をして、席を立つ。二人とも別段悪気はないのだが、ドライとしては、面白くない。無視をされたように思えた。しかし、それも一瞬の間だ。一々細かいところを考える男ではない。休めることに越したことはないので、すぐに立ち上がる。


 それから翌朝の事だ。昨晩は疲れ切って皆寝てしまったが、身体も汚れていることから、シンプソンは、皆に気遣って、風呂を用意した。何せ十人以上で生活しているので、風呂もそれなりに広い。一番先に、入ったのはオーディンと、シンプソンだった。


 「オーディン、やはり彼女には何らかの……」


 「ああ……、皆納得しないだろう。むろん私も含めて、だが……」


 オーディンは、私的にもそうだが、公的にも彼女に何かの償いをさせなければならないと、考えている。シンプソンとしては、出来れば免除してやりたい気持ちがあった。罪を憎んで人を憎まずといううやつだ。


 その時、風呂場の戸が開き、ドライがタオルを肩に担ぎ前を隠さず堂々と入ってくる。でかい一物が、無神経に揺れる。


 「何でぇ、俺が一番乗りじゃなかったのか」


 ドライが入ってくると、オーディンはムッとする。ドライは別に昨夜のことなど気にはしていない。オーディンは、ドライの態度を含めて思うことは多少あるが、そう思っただけで何も言わない。だが、ドライの足は気になった。何せ彼の右足は、膝から下が義足だ。ドライは、一度オーディンと目を合わせ、一応の掛かり湯をすると、湯船につかる。


 「なぁ、あんたの勲章の話、聞かせろよ」


 「悪いが、君に聞かせる義理など無い……」


 少し冷たさが感じられる言葉遣いで、さっと、かわす。これに対して、ドライはふっと息を付き、やり難さを表に出す。視線は何処と無しに天井だ。だが、二人以上に一番この空気に敏感だったのは、シンプソンだ。


 「あの……、その足、どうされたのですか?」


 「足?ああ、これね」


 ドライは湯船から普通に足をあげる感じで義足を出す。


 「別に、大したこっちゃねぇよ。ドジ踏んで、砕いちまっただけよ」


 と、言って、またそれを湯の中に沈める。


 「にしても、メガネ君、でかい風呂だな。いいよなぁ、でかい風呂は……」


 この時のドライの声音は、いつになく情緒的で、安堵感に満ちていた。


 「ええ、孤児院ですから子供が沢山居ますし……、あの、出来ればメガネ君ではなく。シンプソンという名前がありますので、出来れば……」


 遠慮がちに、自分の名前を呼ぶようにドライに願い出てみるシンプソンだった。少し揉み手になって、こびているようにも見える。夕べの「メガネ」発言が、よっぽどショックだったようだ。


 「考えとく……、それにしても、彼奴何やってんだ?遅いなぁ」


 「彼奴?と申しますと?」


 と、シンプソンがドライに突っ込んだときだった。ドライの後ろの戸が開き、ローズが入ってくる。彼女も、全く何も隠すことなく、風呂に入ってきた。


 「お待たせ!」


 と、ローズが言った瞬間だった。


 「な!な……な!」


 オーディンの周りには、こんな女性など居ない。ローズのいきなりの出現で言葉を詰まらせた。だがもっと酷いのはシンプソンだった。ローズを見た瞬間、顔が沸騰し、あっと言う間に逆上せ、気を失って湯船の中に、沈んでしまった。


 「おう、遅かったじゃねぇか、あれ?何してんだテメェ等……」


 ドライは、顔を真っ赤にして横を向いているオーディンと、沈んでしまっているシンプソンを、不思議そうに覗く。


 「あちゃぁー……」


 ローズは、ついドライと居るときと同じ様にとった行動に、片手で顔を押さえ、失敗を隠しきれなかった。

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