第3部 第2話 §9

 話はその数時間前にさかのぼる。昼のことである。

 魔物の肉片を回収したサブジェイとレイオニーが、ヨークスに存在する、アカデミーの支部の研究所内の一室を借りて、検証を行っていた。主に薬品などの研究に使われている設備が整えられている部署で、それらは、レイオニーが使用しなれている古代科学とは、大きくかけ離れている分野のものばかりである。だが、二人はその設備に用事があるのだ。

 周囲に研究員はいない。二人のために、出払ったのである。

 「サブジェイ見て……」

 レイオニーは、顕微鏡を調整し終わると、サブジェイにその観察を促すのだった。

 細胞は活動しており、筋組織が痙攣を起こしたり規則的な運動をしようとしたりしている。

 「自立的な運動と強制的な運動。それに加え酷いストレスのために、硬化した組織。明らかに、不完全で強制的な召還における拒絶反応だわ」

 「でも、魔法じゃない……」

 顕微鏡を覗き終えたサブジェイが、すっと顔を上げて、正面の景色を眺めていう。周囲には様々な器具や試験管類がある。

 「そう。最初の魔物が出現したときと同じ結果よ」

 レイオニーは、顕微鏡のスライドガラスを取り出し、サブジェイに投げ渡すと、サブジェイはそれを手の中で蒸発させてしまう。理由は一つ、魔物の細胞が分裂を繰り返し個体として活動しないようにするためだ。

 「ねぇサブジェイ。私たち数年。開かれようとしているゲートを閉じることは出来ても、根本になる手がかりを掴めずにきたわ。それは恐らく敵側……ん~そうね。向こう側も同じで、誰が解放プロセスの妨害をしているのかは、解らない」

 「だけど、クーガのシステムより高速で尚かつ精度は向上しつつある」

 「そうよ。恐らく遺跡レベルの能力を有しているわ……いえ、遺跡のシステムを使用しているといっても、過言ではないわ」

 その話題は前にも論じたことがある。レイオニーの推測はほぼ間違いないだろう。反論する意味を感じなかったが、サブジェイが疑問に思っていることは、他にある。

 「だけど……」

 サブジェイがそこまで口を開いたときレイオニーは、愚問であるそれを封じるために、サブジェイの唇を指先でそっと塞いだ。

 「解ってる。部分的とはいえ、遺跡をそこまで使用できるということは、その深部に到達できるか……あるいは、間接的にアクセスをしているか……。つまり、それが可能な人間がいるということよ。私以外に」

 レイオニーは自分に限定した。彼女はそれが自分の力だと知っている。自分たちがシルベスターとクロノアールの子孫である事を知ってから、ただの才能ではないことを受け入れ、今日まで生きてきた。

 彼女が得た経験以上の知識、その説明それ以外ない。

 レイオニーが常々思うのはその使用方法である。どれだけ素晴らしい才能があったとしても、その使い方を誤れば、全てを無駄にしてしまうのだ。レイオニーはSCS(サテライトコミュニケーションシステム)を開発して以来、一線から手を引いてしまう。

 開発された技術は必ず、私利私欲のために利用される。多くの偽善者がそこに群がり、己の欲を満たしたがる。現在彼らが尤も欲しているのが、クーガシステムである。これが軍事利用されれば、世界の局面はさらなる悪化を辿る。

 レイオニーの周囲には、今でも彼らが群がろうとしている。

 近づいた世界の距離は、必ずしも幸福だけをもたらしたわけではないのだ。

 世界の距離が縮まると同時に、より明確な国境線が求められるようになる。領土同士の間に空白が無くなり、自治区と呼ばれる、小規模な集落も取り込まれるようになり、国にまとめ上げられる。

 生み出された危険から守るため安全という保証を盾にし、片方では武力を翳し、それと引き替えに弱者から富を吸い上げる。世界にはそんな国も少なくない。共生から支配へ、混沌の自由から、管理された安全へ、移り変わってゆく時代。

 二人は研究室を後にする。彼らが協力的なのも、レイオニーの機嫌を取るためでもある。それでもヨークスの街はまだまともな方だった。右派のように軍事的な癒着が少なく、支配的でないからだ。

 右派であるのは、ヨハネスブルグである。オーディンの祖国だ。ヨハネスブルグがそこに転じなければならなかったのは、魔導戦争やドラゴン事件などの、度重なる災厄に見舞われたからに他ならない。

 王城が崩壊し、王家を失い、英雄を失ったこの国を支えるために生まれた執行部がそれを推進し続けている。

 だが、社交性に欠けているわけでもない。現に今回の協議会にも、参加しているし、十分な議論も出来る国である。

 だがヨハネスブルグは大国なのである。周辺諸国は少なからずとも、今以上の力を持つことに、嫌悪感を抱き、神経を尖らせているのだ。

 二人はクーガに戻る。クーガシェルは体積が大きく、市街走行にはあまり向いていないため、必要時以外は、ホテルなどに収容している。

 「一応の用件は終わったな……」

 ハンドルを握ったサブジェイが、安堵のため息をつく。

 「ええ。でもしっくりいかなくない?」

 「確かに、協議会を妨害するには……大事だな。いくらオーディンや、シンプソンさんが……いるって……いっても……」

 サブジェイが、そこで口ごもってしまう。サブジェイが言いたかったのは、万が一のことがあっても、オーディンや、シンプソンがいるのだから、騒ぎが防げたから、街全体が破壊され尽くされることはないと、言いたかったのだ。

 エピオニア十五傑を知っている人間ならば、今回この二名が協議会に参加することで、その武勇を知っていたはずである。それを知っているのはなにも自分達だけではない。

 「レイオ……、当分街を離れないか?いや……街を離れた振りをしよう。オーディンも俺もお前も、シンプソンさんも、集まりすぎた……」

 サブジェイは、何を考えているのか?レイオニーには解らなかった。

 クーガは走り出す。そして、街を抜けた後、進路を西に取る。それはホーリーシティーの方向だ。

 クーガが街を抜ける瞬間。黒いスーツ姿の男二人が、それを見届ける。二人ともやせ形だ。二人のうち、右側の男が携帯電話を取る。

 「天剣と博士は町を出た模様です。ブライトンの消息は解りません。セガレイも姿を消しています。町を出た気配はありませんが……。テストを続行しますか?……解りました。例の不確定要素はいかがなされますか?そうですか……。では我々は郊外で待機しています。帝の意のままに……」

 彼は電話を切る。声は少し低く、潜むような会話だった。無表情で、暖かさを感じない。

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