第3部 第2話 §8

 その時、新たな肴がやってくる。

 文字通りシンプソンが飛んでやってきたのだ。着地すると同時に、前のめりになって、ドライの家の庭先まで、走り寄ってくる。そして、デッキに腰を掛けている、エイルの前までやってくるのだった。

 「す、す、済みません。このあたりに、ドライ=サヴァラスティアという名前の人の家ありませんか?」

 ドライがエピオニア十五傑の一人であるということは、もう解っている。目の前に現れたこの男が、シンプソン=セガレイだと、言うことも解る。

 そのシンプソンが、ドライを懸命に探している。

 「あ……」

 と、エイルが言葉と同時に、奥にいるドライを指さそうとした瞬間。シンプソンは、エイルから引き離されてしまう。いや、正確に言うと、押し倒されてしまったのである。

 「嗚呼シンプソン!久しぶり!」

 走り寄って、押し倒し抱きついたのはローズである。力一杯抱きしめて、オーディンと同じくキスの嵐だ。

 「わ!わ!ローズ?!くすぐったいですよ!……」

 流石のエイルも、呆然としてしまう。シンプソンの場合、めがねの上にもキスマークが付いている。鼻眼鏡が斜めにずり落ちて、みっともない顔になっている。

 「もう……今日はホント……最高ね……」

 ローズは、シンプソンの顔を引き寄せ頬ずりをしだす。

 「ほらほら!落ち着けよ、飲もうぜ!」

 ドライは、ゆったりとローズの後ろから近づき、シンプソンと視線を交わす。

 さらに感極まったローズは、シンプソンから離れると、目を潤ませてドライにぎゅっと強く抱きつく。ローズの抱きつく強さが、ドライに彼女の心情をよく伝えていた。

 ドライの胸が痛む。自分のわがままに随分付き合わせてしまった。

 「我慢……させちまったな。すまねぇ」

 「うんん……、ずっと信じてたから……ずっと」

 「もうチョイ……、あともうチョイ待ってくれな」

 「うん」

 ローズは、ぎゅっとドライに抱きついたままになる。そしてドライは、包むようにしてローズを抱きしめる。不安定な心とは違い、ドライの腕の中は深さと強さに溢れている。彼の心がどれだけ地に着かない状態であったとしても、ローズを愛し守り続けることだけは永遠なのだ。

 シンプソンは、ドライとローズを見ると、ほっとする。色々言いたいことはあるが、まずやらなければならないことがある。

 シンプソンは、オーディンと同じようにキスだらけの顔のままで、ドライに手を差し伸べる。

 「お帰り……」

 それは何ともシンプソンらしい挨拶だった。

 「ああ……」

 ドライは、シンプソンとがっちり握手をする。だが、かけ寄ったオーディンは、不満だった。

 「なんで、笑わない?」

 単純な疑問である。散々自分の顔についた、キスマークを笑い飛ばしたドライなのに、シンプソンの時は穏やかな表情を浮かべ、がっちりと握手をしているのだ。

 「あ?」

 ローズを腕に抱き、シンプソンと握手をしたまま、オーディンを見るドライ。

 もう一度、シンプソンを見るドライだった。

 「こういうネタは、最初が肝心なんだよ」

 ドライは、簡単にそう片づけて、オーディンのキスマークのついた顔を思い出して、ぷっと吹き出す。

 二人の事情がよく解らないシンプソンは、首を傾げている。

 オーディンは、やはり不服そうだ。ローズの行動も理解していたし、ドライが笑うという予想をしていたからだ。それに、自分だけが笑われたのも、少々しゃくに障る。深い意味はない。

 些細なことである。一息ついた頃には、どうでも良くなることだった。

 シンプソンが、顔を洗ってさっぱりした頃。

 「サブジェイと、レイオニーには、このことを?」

 顔を拭いたタオルで、両手も拭きつつ、洗面所からリビングへと戻ってくる。

 「いや、彼奴にはもうチョイ……な」

 ドライには、別に考えがあるわけではない。あるとすれば、リバティーが飽和状態にならないようにしたいことくらいである。ゆっくりとしたい一面もあるのだろう。

 「そうですか……」

 シンプソンが椅子に腰を掛ける。リビングにはテーブルが、もう一脚用意され、イーサー達とドライ達に別れてしまう。リバティーは、若者の一段に纏められてしまう。年代別というわけだ。

 イーサー達がこのとき疎外感を感じなかったのは、リバティーが自分たちの側にいたからだ。リバティーとしては、ドライ達と同じ距離にいたかったが、ドライがそうしたのだ。

 テーブルの距離自体は、非常に近い。

 ただ、この人数で囲めなくなったからというだけの理由だった。

 エイルとミールは、一時冷やかしから、免れたと少し安心していたが、シンプソンが現れたことにより、ローズが料理を作り直した時だった。

 エイルの前だけに、豪華な料理が並べられる。どう見ても血と肉の元にしか思えない、料理である。

 「おい……俺は、こんなに入らないぞ?」

 なぜ、急にそういう展開になるのか?と、珍しく慌てるエイルだった。先ほどのキスの動揺は消えておらず、料理の理由もそこにある。

 「しっかり食べないと良い仕事出来ないぞ!」

 ローズは爽やかなウィンクをしてみせるが、内容は全く爽やかではなく。嗾けているようにしか思えないことはエイルにも解る。

 ローズは再びキッチンの方へと戻ってゆく。まだまだ調理は終わっていない。

 「姉御!俺には、ねーの?!」

 エイルを贔屓したローズに対して、イーサーが、同じ待遇を求める。慌ててローズの後ろをついていくエイルだ。

 「はいはい……今から持ってきてあげるから、座ってな!それか、手伝ってくれる?」

 声は、キッチンの方へと遠のきながらも、二人の会話を響かせている。

 「賑やかですね……」

 シンプソンが微笑む。彼らしい柔らかい笑みだ。昔のシンプソン家を思い出さずにはいられない。彼らにシンプソンが加わると、楽しい雰囲気の中に一つのクッションが加わった雰囲気が出る。

 「まぁ、一昨日からの成り行きでな」

 魔物の現れるもう一つ前の日付である。

 その間にイーサーが、テーブルに、スープを並べてくれる。ただ飲むだけの時間は終わったようだ。だが、あれ程飲み食いしたというのに、ドライもオーディンもそれに、嫌気を指す様子がない。

 エイルの料理には、躾の出来ていないフォークやナイフが、多数攻撃を仕掛けている。フィアとグラントとミールである。その中で、フィアがリバティーにもお裾分けをくれるのだった。

 仲間ではないリバティーが、遠慮がちになっていた部分を上手にフォローしてくれる。ローズの真似か否かは解らないが、フィアがウィンクでサインを送ってくれると、リバティーも食欲を制御できなくなり、顔が賑やかになる。

 悪戯っぽく笑っているのはミールだった。グラントは完全に美味そうなにおいに誘われて、我慢出来ずにいるという状況だ。

 エイルは何も言わない。ただローズのいった意味に、赤面しながら料理を口にする。悔しいがついつい手が口元に食事を運んでしまうのだった。

 シンプソンは、周囲を見回し、若者達の様子をうかがう。

 色々話したいことや、訊きたいこともあるが、今日はそれを語るのを止めることにした。それは国や体制にとらわれ気味の話だったり、サブジェイやレイオニーが動き回っているように、不穏な空気の漂う話だ。ドライがその一片に出会ってしまったということは、既にドライもそれに関わりつつある。いや、それは自分たちの宿命なのかもしれない。

 やがて夜が更ける。眠りにつく時間だ。

 シンプソンの携帯に一本の電話が入る。

 「はい、ええ……済みません。明日の午後にはホテルに戻ります……ええそうですね。プライベートですので、現在の位置は言えませんが……。訊かれれば、私用だと……はい……」

 シンプソンが話しているのは、ホーリーシティの大臣の一人だ。外務大臣である。急に居場所がわからなくなったシンプソンに、電話を入れてきたのだろう。いつもなら、連絡を入れるシンプソンが、そうしなかったために入った電話だった。

 「忙しそうだな……」

 すっかり大人達だけになってしまった時間帯。漸く落ち着いてテーブルを囲んでいる気がする。

 ドライが、プライベートの時間を削られているシンプソンをみて、クスリと笑いながらいう。

 「こういう時期ですからね……。これでも、市長ですから……」

 シンプソンも笑って、軽く答えを返す。スタミナは十分にあるようだ。陰のある表情は見られない。

 「さて……そろそろ寝ない?明日も、子供の相手しなきゃいけないし……」

 確かにローズは大変だろう。彼らの食事も作らなければならない。疲れた表情などは見られない。

 「だな……」

 ドライ達は、このあたりでお開きにすることにした。シンプソンはサヴァラスティア家に姿を現して数時間程度だが、ドライ達は実に昼間からずっと酒をあおっている。静かになったことも含めて、頃合いだろうと思う。

 こうして、賑やかになったサヴァラスティア家の一日が終わろうとしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る