第3部 第2話 §4

 ローズは感動の対面でオーディンに抱きついたままだが、情熱的なキスの嵐は止んだようだ。少し遅れてしまったが、座っているドライに、再開の証として、握手を差し伸べる。

 「元気になったら顔くらい出せ……馬鹿が」

 昔ならば神経を逆なですることにしかならないその言葉だったが、オーディンが発すると、何故か嬉しくなるドライだった。安心した笑みを浮かべたオーディン。言葉とは裏腹に、その音には角がない。

 ドライも立ち上がり、握手のために手を出すが、オーディンの顔が視界にはいると、思わず握手するはずの手を引いて、俯いてしまう。

 どうしたのだろう?オーディンがそう思い、ドライを心配げに見つめた瞬間だった。

 沈黙したときが二秒ほど流れる。

 「ぷ……く、はは、くはは、あはははは!なんでぇその面!用水路で顔洗ってこい!」

 ドライは、腹を抱えて、前のめりに蹲ってしまうのだった。ローズのキスマークがそこら中に広がったオーディンの顔が、視界に入るたびに、ドライは吹き出して、肩を上下させる。遠慮のない笑いだ。

 「な!……みんなお前の事を、どれだけ心配してるか解ってるのか?相変わらず無神経な奴だ!」

 オーディンは片腕にローズをおさめながら、空いている左手で、拳を作って振り回し力説している。顔は至って真面目だが、やはり顔中についているキスマークのせいで、気迫の微塵も感じられなくなっている。

 だが、ドライはオーディンの顔を指さして、笑い転げている。

 エピオニアの大使であるオーディンとタメ口をきき、彼を遠慮無く笑える男など、この世に存在したのだろうか。ドライという男は、いったい何者なのだろう?とリバティーを含め、イーサー達は、その存在の得体が知れなくなった。だが、その中でエイルだけが、正しい結論を導き出す事が出来た。もっとも、それは複雑な過程を辿る必要など無かったのだ。

 「おら!いつまで、人の恋女房抱いてやがる。顔洗って来いよ」

 ドライは、ひとしきり笑い終え、オーディンに次の行動に移るよう促す。

 畑から少しだけ歩いた所にある用水路まで足を運び、冷たい水で顔を洗うオーディン。きれいな水だ。ヒンヤリとした水の心地よさが、興奮気味だったオーディンの気持ちも自然と静めてくれるのだった。

 「ふう……」

 顔を拭き、さっぱりとしたオーディン。彼の顔からローズのキスの跡は消えていた。横には自然とドライが立っている。

 その背中を、ローズを含め、更にイーサー達は、それを眺める。

 ローズは二人の背中を見て思う。やはりドライの隣にオーディンが立っていると、何か違う雰囲気があるのだ。広大な畑の向こうに、道が一本出来たような気がしてしまう。まだ形も陰も見えないが、自分たちの明日があるような気がする。尤も、そこにはローズもいなくてはならないし、自分たちの仲間がいなくては、何の意味もないことも、確かである。

 「ねぇ、パパって本当に何者なの?」

 リバティーが、ローズのシャツの袖を引っ張りながら、聞こえてはいけない会話をするかのように、こっそりとローズに訊く。

 「ドライは、ドライ。貴方のパパよ」

 ローズには、それしか言いようがない。

 だが。

 「違うだろ?」

 噛みついたのはエイルだった。ローズが勿体ぶっているように思えたのだ。隠そうとしているわけでもないのに、ほしい答えを茶化しているようにも思える。

 「ドライ=サヴァラスティア。天剣のサヴァラスティアと相似点が、あまりにも多すぎる。ましてやあんなにハッキリとした紅い瞳を持った人間なんて、この世に沢山いてたまるか!」

 言葉を吐き捨てるように、エイルはいう。単純に感心しているイーサーとは、タイプがかなり異なる。彼らの中で、尤も鋭く棘のある性格だ。だが、ローズからすれば、彼らから不満を持たれる理由そのものがない。

 「だったらどうなの?ボ・ウ・ヤ」

 ローズは、エイルに近づき、大人びたクールに細めた視線で彼の瞳をのぞき込み、その額を指で突いてみる。

 「イーサーは、あの男について行きたがってるが、俺は訳もわからず、ついて行くのはゴメンだ。はっきりさせておいてほしいね」

 「どうしたんだよ。エイル」

 エイルは普段、イーサーに助言や知恵を貸し、頭脳として邁進的な彼をよく助けている。仲間達よりも、一歩引いて見ている彼が、このときはやたらと熱くなっているのだった。

 イーサーが、宥める方に回るのは珍しいことだ。普段それはグラントが行っているからだ。

 「そうだよ。あんなスゲェ人に会えたんだ。俺も一寸ドキドキしてる。お前もそうだろ?」

 グラントが、カリカリしているエイルに対して、両腕を広げて、彼らしくないのではないか?と、驚いた様子を見せる。

 エイルは言わなかった。だが、それは彼の洞察眼が、他の誰よりも優れているからこそ来る、神経の苛立ちだった。

 「ねぇねぇ。そんな堅くなんないでさ!有名人いっぱいくるかもしんないよ?もうチョイいようよ!」

 ミーハーな結論に達したのは、ミールだエイルの肩を揺さぶって、壊れそうなチームワークを懸命に修復しようとしている。

 「いるさ……イーサーがいるってんだ。いてやるさ」

 エイルは気に入らないからといって、飛び出すわけではない。イーサーのことに対しては、強い思いやりがある。

 ローズは他のメンツより、まず彼と話す事を考える。ドライにとって、基本的に彼らの素性は、興味のないことだが、ローズは少々違う。何よりイライラした雰囲気を家に持ち込まれることが、イヤだった。

 「オーディン!ドライ!中で、一杯やろうよ!」

 よく通るローズの声。前髪が濡れたオーディンと、機嫌の良さそうな顔のドライが、二人並んで歩いてくる。

 「よっしゃ。いこうぜ」

 ドライは、一度オーディンの肩を軽くつかみ、さらに先に歩き出す。

 「ガキ共!畑はおわりだ!!イーサー!買い出しにいくぜ!!」

 ドライはよほど機嫌がいいのだろう。彼の名前を呼ぶ。ドライがバイクのある庭先に歩き出すと、イーサーははしゃいで走り、ドライを追いかけてゆく。自分の名前を呼ばれたことが、よほど嬉しかったらしく、一度飛び上がって、拳を天に突き上げてガッツポーズを取る始末だった。

 「さぁてと……お風呂わかすか!」

 ローズは、ドライ達が汗を流せるように準備を進めることにする。

 「弟子!手伝え!」

  ローズはニカっと笑いながら、腕をまわす。後ろは振り向かない。だが、慌てて動き出すのは、フィアしかいない。

 彼らはひとまずリビングに落ち着く。オーディンのマントは、リバティーによって、ハンガーに掛けられる。それから、ドライのシャツとズボンを借りることにするのだが……。

 ズボンが僅かにきつい。実は、ウエスト周りで言えばオーディンの方がガッシリしている。大型の猫科の動物のようなドライの肢体と、猛禽類のよう逞しい足腰を持つオーディン。ドライの方が背が高いため、一見では目立ちにくいが、そうなのである。

 オーディンは一応。席に着く。人数が増えつつあるため、テーブルが少々手狭になり始めた感が否めない。

 横からローズの電話が聞こえる。

 「ええ、そう。ズボンがね。大丈夫破れてないわ。うん……だから序でに上着も含めてね、じゃぁね」

 しきりに笑うローズ。自分のことを言われているオーディンが、一寸顔を紅くする。なんだか自分が太ってしまった錯覚に陥るような言われ方に思える。

 「と……自己紹介がまだだったな。私は、オーディン。オーディン=ブライトンだ」

 オーディンは若者に向かって手を差し伸べる。

 右回りに、グラント、エイル、ミール、フィアの純に握手をし、最後にリバティーの方をじっと見て、握手を求める。彼の手は若者との距離を全く感じさせないほど自然で、距離も視線も彼等にあわせたものだった。

 「リバティー……サヴァラスティアです」

 自分の名前を言うまでに、少し言葉を詰まらせてしまうリバティーだった。

 少し、会話の間を開けるオーディン。

 「大きくなったね……」

 オーディンは、握手を終えると、リバティーの頭を撫でる。オーディンは自分を知っているのだ。自分は何も知らない。リバティーは、とたんに知りたくなる。それは興味本位ではなく、心から切なくこみ上げるものだった。オーディンの瞳は、それほど懐かしさに溢れている。

 「はいはい。色々話すこと山積みなんだけど、アイツが帰ってきてからね~」

 ローズの一言は、色々な憶測から放心状態になりそうなリバティーを現実に引き戻した。

 「ほら、レディーファースト!お風呂はいっといで!あんたも!」

 ミール、フィア、リバティーを叩いて追い立てるように、彼女らを風呂に向かわせる。フィアが一瞬ローズを見るが、ローズは彼女の肩を押す。

 サヴァラスティア家の風呂は広い。これは、ドライとローズの趣味だ。少女達が風呂場に向かってから、ローズは、オーディンの隣の席に腰を下ろす。それは、先ほどまでリバティーが腰を掛けていた椅子である。

 「アイツがね。何時もみんなに会えるように……って、口では言わないけどね」

 リビングからデッキにかけての広い空間。三人家族という構成にしては、多い部屋数。オーディンはまだ、この家の全容を見回した訳ではないが、外観から、確かにそれは伺えるものがある。

 ここに、彼の家族がある限り、ドライはそこに根付くつもりなのだろうということを、オーディンは知る。以前のように毎日顔を合わせる生活もいいが、会いたくなったときにこうして、会いに来る生活も良いかもしれない。

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